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石垣島便り

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2013年 04月 08日

モダマを追って旅するアジア、4-2

ネパール、モダマ巡礼の旅・2
カトマンズ到着以来三ケ日が過ぎ、四日目を迎えた。
二日間のストライキで、自然史博物館は閉館が続いたが、今日はオープンしているだろう。
ちょっと気になるのは、ネパールの暦で4月8日は「女性の日」とある。
日本には無い祝日なので、公共施設の対応が分からない。
とりあえず、朝から散歩がてら歩いて出かける。
いつもコースを変えて、何か新しい出会いはないかと期待しながら・・・

スワヤンブナートの参道前には、物乞いが多い。この日、一人の少年に声を掛けられた。
あいにく小額紙幣が無かったので、ポケットからつり銭でもらった硬貨をあげた。
確か1,2,5,10ルピーの種類があったと思うが、2ルピーではないかと思う。
新品で光っていた。物乞いの子供は、光るコインを自慢そうに母親に見せていた。
くしゃくしゃでも紙幣の方が高額なのに、子供の目には立派に見えるのだろう。

自然史博物館は、この日も休みだった。
教育機関は休みではないと見え、館内には子供達の姿は無く、代わりにサルが10匹ほど
遊んでいた。(一体どうなってるんだ)と叫びたかった。

帰り道、これまでとは別のチョークをまがってタメル方面へ向かった。
昨日まで、多くの店がシャッターを降ろしていたが、さすがに今日は開いている。
ふっと見ると、軒から沢山のビニール袋を提げ、缶に木片などを詰めて並べている店があった。
生薬屋だ!!。やった、ついに見つけた。
品定めすると、ある、ある、まさにモダマが・・・
早速「これをネパリネームで何と言うか」と尋ねた。
答えは「パングラー」。ついにモダマのネパール名が分かった。
これで、都市を離れて森での散策がし易くなった。

とりあえず10個を買った。(喜んだ表情を店主に見られてしまったせいもあってか)値段は
1個20Rだった。これまでの経験から、この類の店は数件軒を並べているので、
一軒でことを済ませないようにしている。
隣の店でも、同じ物を指差して「これをネパリネームで何と言うか」と聞く。
「パングラー」との答え。値段は1個10R,半額だ。
次の店では「パングラーあるか」と聞いてみる。店主が指差す先にはモダマが・・・
これで、どんな場所の森で、人に尋ねても大丈夫だ。
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ネパール語は分からないが、日本語、英語、身振り手振りでモダマ10個を買う。
この店の出会いとモダマのネパール語を聞き出したことで、これから各地の森で行う調査は
一段と進む。
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店の前に自転車を横付けして「いつものやつ」と言ったような、言わないような、
馴染み客が、紙幣と交換に紙袋を受け取るとポケットの中に突っ込んで去っていった。

通りに佇みながら、ふっ、と考えた、ネパールはアジア文化圏の何処に位置するのだろうか。
これまで、アジアで見てきたモダマ屋(生薬屋)さんはみんな同じような店構えをしている。
ただ、地べた売りであったり、台売りであったり、店売りであったりした。
売り方とは別に、薬物としての考え方は、基本的に民間の知識があるのだろうが、
その背景には、漢方とかチベット医学とかインド医学の影響を何らかの形で受けているであろう。
その辺のことも、今後、調べてみよう。
何せインド科学技術省では136,000種もの生薬を記録しているという。

カトマンズに来てからこの三日間の生活パターンは、早朝起きてダルバール広場の馴染みの店で
チャーを飲んで市場ウォッチング、商店が開き始める頃から街を歩いてスワヤンプナート丘の麓に
ある自然史博物館に向かう。閉館を確かめてから丘の上のストゥーパへ行ったり、周辺を取り巻く
寺院を見て周り、また、街中の商店街を生薬屋を探して歩き回る。一日5時間ぐらい歩き、正午
前後に朝食をとる。遅い朝食は、モモかチョーメンで軽く済ませる。モモは広場のはずれにある
店に良く行く、カレースープをかけたモモで美味しい。値段10個40R,(50円弱)
旅にでるとよく歩くが食欲が無くなる。
それでも夕方になると飲みたくなる気持ちは失せない。はじめはウイスキーなど飲んでいたが、
ネパールに来てウイスキーはないだろうと考え、宿のオーナーに「ロクシーは何処かで売って
ないか」と聞いたところ、「市販のロクシーは、絶対飲むな」と釘を刺された。
市販のものは、製造過程でいろいろな不純物が入っているとか・・・
「でも、せっかくネパールへ来たのだから飲んでみたい」と頼んだところ
「じゃあ、待ってろ」といって10分程席を外し、コップ一杯のロクシーを持って来てくれた。
日頃飲んでいる泡盛より濃厚な(少し甘味のある)香りがして美味い。
もともと、王宮広場前のジヨチエンが故郷だというオーナーは、近所の家から自家製のロクシーを
コップ一杯借りて来たと言う。私が飲み干すと「家でも作っているので明日持って来てあげよう」
と言ってくれた。彼の経営する宿は、もともとの実家があったジョッチャンだが、現在は郊外に
住まいを持っていると言う。宿には二人の青年が常駐していて、彼は夕方だけ訪れる。
家では「野菜も酒も作っているよ」と言っていた。
オーナーにチトワン行きのバスチケットの手配を頼むと、
翌日、チケットと1リットル入りペットボトルに入ったロクシーを手渡された。
「チトワンで飲んでね」と言うことだ。

この日の広場ウォッチングは、まず、シヴァ寺院前。
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写真で獅子像の前が一段高いフロアーになっているのが分かると思う。
このシヴァ寺院は、窓からシヴァ夫婦?が覗いているように、男女の出会いに所縁があるらしい。
私が訪れた時、こんな行事が行われていた。
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何かの行事に参加するため、親子が着飾って集まってくる。
フロアーには仮設テントが張られ、最終的には20組ほどの女子と母親が参加していた。
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後で分かったことだが、ネパールの伝統的行事で女子の通過儀礼である「果物との結婚」の儀式
らしい。ネパールの女子は、生涯に三度結婚する。その始めが3~5才頃の果物との結婚だそうだ。
日本で言えば七五三のような祭りと言えよう。
古くからは、各家で、その年頃を向かえた女子に行う行事であったが、個々が司祭を招き、執り行うには費用がかかるため、このように合同で為されるようになったらしい。
その後、女子は成長して初潮の訪れる頃、再び通過儀礼として「太陽との結婚」があるそうだ。
暗い部屋に12日間篭り、13日目に太陽にお祈りするのだそうだ。
私は専門外なので詳しいことは分からない。
それらしき話を、宿のオーナーから取材した。

兎に角、ネパールに来てからいろいろなことに出会う。

この日の「女性の日」の行事はこんなふうだ。

市街地を廻ってやって来たデモ隊は広場に終結する。
ナラヤン寺院とクマリの館の前で集会を開く。
女神として崇められる「クマリ」が、この集会でどのような対象(意味づけ)なのかは、
ネパール語を理解しない旅人にとっては分からない。
出合って写真に収めたことだけを載せておこう。
(誰かネパール語の分かる方が見たら、スローガンなど教えてください)
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この翌日は、タクシー組合のデモ。赤地にスパナ模様の旗を掲げて、数百台のタクシーが
パレードしていた。観光客からは充分にボッテいるのだから
ガソリン不足のネパールでは、むしろ節約を心がけましょう。
それから、この日、街中には急にインド人観光客と修行僧の姿が増えた。
翌日、ネパール最大のヒンズー教寺院パシュパティナートでシヴァ・ラートリー
(シヴァ神の誕生日)が催されるそうな、それでインドからの巡礼者が増えているようだ。


今回、自然史博物館での情報集めは、
後回しにしてモダマ自生地の有力地チトワンに向かうことにした。

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朝7:30分発のバスに乗る。カトマンズ盆地をぬけて山道にさしかかると、道脇に子供達の
たむろする光景が目立つ。日曜日ではあるが、車の往来の激しい道で何をしているのだろう、
と思っていると、道路にロープが張られ、バスが停止。運転手と子供達と何やらあって、
パスは間も無く出発、するとまた、道路にロープが、一体何回繰り返しただろうか。
ときおり車窓の下をサリーを身に着けた女子が金属製のお盆に赤い粉を盛り、
紙幣なども見られることから、何かの祭典の儀式ではあろうと思った。
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「そっか、今日はシヴァ・ラートリー」なんだ。
ヒンズウー教の神シヴァは破壊神でもあるが、ネパールでも信者が多く、
おまけにシヴァの妃パールバティーは、ヒマラヤの娘で良妻賢母だとか。
ヒマラヤの娘をこよなく愛した破壊神という組み合わせの世界観は、良く分かる。

それにしてもバスの前方で、なんだか雲行きがおかしくなってきた。

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道路を通行するバスやトラックにとっては、しょっちゅう止められて小銭を支払うのは、
かなりの負担である。だから、他の車が止まっている間にノンストップで通貨するものもある。
止める側は、より効率よく祝銭を徴収しようと必死である。運転手としては、サリーを纏った
女子に声を掛けられれば、ついふらふらと停車もするが、いかつい兄さんばかしが半ば強制的に
停止させようとすると、強行突破もしたくなる。
そこで、止めようとする側と通行する側でいざこざも起こる。

事の起こりはこうだ。道にロープが張られたので運転手はバスを止めた。
ところが、ご祝儀を要求した青年の手に竹の棒が握られていた。
運転手は「棒を捨てろ」ととがめた。それでも棒を捨てないので、
車窓から棒を奪い取ろうとした。
しばらく、険悪な状態がつづいたが、運転手が降りてにらみ合いとなった。
そこにすかさず、車掌が割って入り、両者の気を治めた。
めでたし、めでたし。
(白いシャツが運転手、黒いシャツが村の青年リーダー、間の茶色いシャツが車掌)

その後も険しい山道を上り下りして、チトワンへ向かった。
ムグリンから南下しはじめると、車窓から見える渓谷の植生も亜熱帯に変わった。
マハバーラト山脈からシワリーク丘陵に降りて来たのだ。

とりあえずチトワンへ向かうが、私の本等の目的地は、途中のRamnagar周辺であるので、
車窓からじっくり観察しておく。じき戻ってくるのだから。

by modama | 2013-04-08 12:10


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