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石垣島便り

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2007年 05月 15日

パイパティローマ伝説

パイパティローマとは、南(ハイ)波照間島。
島人たちは、昔から自分達の祖先はさらに南の島からやって来たと考えていた。
その思いが1648年、ある出来事を引き起こした。
琉球王府が宮古・八重山に人頭税(1637年)をかけてからまもなくの事である。
八重山年来記によると「波照間島の平田村(伝承ではヤグムラ)の百姓男女四、五十人が
大波照間という南の島に逃走した」と記されている。
明治初期に八重山諸島を訪れた笹森儀助は、その著書「南島探検」の中で
「今ニ之ヲ南波照間島ト称シテ、其子孫ノ連綿タルコトヲ信ジテ疑ハス」と書いた。
島人たちは、歴史上の出来事を言い伝え、その時逃走した祖先たちが今もなお子孫を残し、
平和に暮らしていると信じていたのだ。
その意識は、17世紀にも繫がり、「さらに南の島」「祖先たちの暮らす島」は、
彼らの世界観の中に焼きついているのである。
では、この南波照間島とはいったい何処なのであろう。
明治二十五年には、県知事から海軍省に南波照間島の所在を探索するよう要請があったとされる。
後に、明治三十九年沖縄県が、台湾東部の島、緑島や蘭嶼島を候補として探索が行われる。
公的機関の探索は、この出来事にいっそうのリアリティーをあたえた。
また、台湾東部から南部にかけて暮らすロンギョウ族が琉球人を祖先とする報告などもある。
幾つかの候補地が挙げられながらも確定はしていない。

by modama | 2007-05-15 12:27


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