石垣島便り

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2007年 05月 26日

今日、漂着していた物

暑いので午後から1時間半程、海でカヤックを漕いできました。
日中、サウナ状態の私の部屋から比べれば、海風の吹く海面はなんと涼しいことか・・・

今日、浜に漂着していた物を紹介します。
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椰子の実といえば、ときどき鉈で一部が切られ、ジュースを飲んだ物が流れつくが、
今日のはドリル状の道具で穴が空けられていた。
椰子の木陰でちょっとジュースを飲んだ、という代物ではなさそうだ。
工場に運ばれ、大量に処理されたのかも知れない。
実も大きくて栽培種のように思える。
「この実、何かに使えないかな~」と考えたら、「小鳥の巣箱にいいかも」とひらめいた。
穴に巣を作る小鳥は、と考えると、シジュウガラが思い当たったが、家の庭に来るシジュウガラは、
最近、ジンの抜け毛を嘴いっぱいに集めてすでに巣作りをはじめている。
アカショウビンには、ちょっと入り口が小さすぎるようだ。
結局、該当者なし、で拾わないことにした。
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最近、中国製の風船が大量に漂着している。普段は直径50センチ程のものだが、
今日のは、なんと直径2メートルはありそうな代物。
風船というよりは、アドバルーン。
でも、作りはいたって簡素なので一度限りの使い捨てなのだろう。
製造元はと見ると「南京市」とある。
ふっと、戦時中のことが思い浮かぶ(私は生まれていなかった時代だが)
当時、日本軍は物資の不足に悩み、コストのかからない兵器の開発にのりだしていた。
そこで、科学者を交え考案されたのが「風船爆弾」、偏西風に乗せ、
アメリカ大陸に爆弾を落とそうというのだ。
日本から飛ばされた風船爆弾は、幾つかがアメリカに到着したが、
不発で原野に落ちたりしたらしい。
それを見つけたアメリカ軍は、何処から飛ばされたものか検討をはじめる。
調査の結果、風船に搭載されたバラストを鉱物学的に解析して、
日本のある地方の砂であることを突き止めた、そうな。
「戦争は科学を発展させる」と言うが、両者共に涙ぐましい知恵の使い方と言える。
しかし、だが、ところが・・・
この戦略は、決して無意味ではない。
これに準じた戦略を中国や朝鮮がとった場合、日本は格好の有効国となる。
太平洋を横断するのと、日本海や東シナ海を横断するのでは、確率の桁が違う。
かつて、日本軍が考案した兵器の脅威は、日本にこそ最大限に発揮される可能性がある。
皮肉なものだ。ましてや、現代では生物(細菌)兵器なるものまで開発されている。
爆弾よりずっと軽く威力のある危険物。
それを拡大解釈していくと、渡り鳥すら兵器になる。
そう。もし、世界大戦が起き、なりふり構わず戦争が行われれば、
人類は核など使わずとも破滅の時を迎える。
もはやそんな時代がきたのであろう。
あれ、あれ、漂着物から思わぬ妄想の世界へ・・・
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浄土からの漂着物がありました。
ハスの実です。
湖面に花開くハスは、なんと美しいことか・・・
「この湖面に石を投げ入れてはいけない」
この湖面に石を投げ入れてはいけない。

by modama | 2007-05-26 17:06
2007年 05月 23日

コノハズクの宿パート6

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今日、PM6:40分、庭でジンを放して散歩にいくと、巣箱の近くから一羽のコノハズクが飛び立った。
ジンはずけずけと巣箱の下まで行くものだから、巣穴からもう一羽のコノハズクが顔をだした。
携帯カメラで撮り、あとで再生してみたらすごい怒りの表情だった。
「ごめんね」
目が真っ赤!!(これはフラッシュのせいだけど)
角まで生やしている!!
随分、表情が変わるもんだな~。
動揺したとき「いろを変える」という言葉があるけど、イカやタコの仲間はまさに言い当たる。
色や形まで変わる。
コノハズクも姿が変わる。
撮る写真ごとに姿が違う。
気分が、すぐ表情に表れるんだね。
今は、こんなカメラしかないから、できるだけ写真は撮らないようにしよう。

by modama | 2007-05-23 19:17
2007年 05月 22日

コノハズクの宿パート5

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               パート4では、へんな顔に写ったけど
               今度は凛々しくポーズ。

今日は旧暦の6日、少しずつ月が明るくなる。
もうしばらく辛抱して、満月の夜に観察してみよう。
餌を巣箱に運んでくるかどうか・・・
運んでくれば、もう、雛が孵っていることになる。
コノハズクの雛は白い毛糸の塊のようだ。
猛禽類は主に白、クイナの仲間は黒、どうしてだろう。
今日はカラスが来ない。
昼間のうちにゆっくりお休み。

by modama | 2007-05-22 12:33
2007年 05月 20日

コノハズクの宿パート4

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                おかしな顔に見えますね。口のように見えるのは
                首の羽の色です。

スクランブル発進

今日の午前10頃、パソコンの前に座っていると庭の北東側にある木でカラスが鳴いた。
まもなくして遠くからそれに応える声も聞かれる。
北東側にいたカラスは、コノハズクの営巣している南東側に移って再び鳴いた。
すると、営巣地の北側のフクギで見張っているコノハズクが、すぐさまスクランブルをかけた。
一声鳴き声を残してカラスは退散した。

以前、訪れたカラスは巣のありかを確信し、隙を窺っているようだ。
まずは、先発隊の一員をよこし、遠巻きに待機している連中に「今から決行します」と合図を送る。
そして、巣に近づいたがスクランブルをかけられ、遠巻きの連中に失敗を告げ逃げ去ったのだろう。
この様子を観察していると、お互いの作戦が読めてくる。
カラスは集団で行動するが、はじめからではなく、まずは先発隊に様子を探らせ、
ことの成り行きを見守って集団の力を発揮するのだろう。
用心深く事を運ぶ。
しかし、今回のように隙が無いとみるとすぐさま逃げ去る。
何が何でもと言った実力行使をすぐさまする訳ではない。
もし、カラスが集団で事を起こせば、見張りと子育てをしている二羽のコノハズクではかなわないだろう。
例え一対一で戦っても、コノハズクには鋭い爪があるものの、
体の大きさが二倍以上もあるカラスが有利かも知れない。
いや、この場合、その場の有利不利は問題ではなく、お互いに傷つく。
野生の生き物は、負傷することは死に繫がるケースが多い。
たとえ集団で行動していても最終的には、個が餌を得るからだ。長い休養は許されない。
だから、どちらが強いかは別として無闇な闘争はできるだけ避ける、というルールができる。
その原則にしたがって生きているのであろう。
コノハズクも基本的にそのルールを活用して護りの体制をとる。奇襲である。
普段、巣の近くで見守っているものの姿をおおっぴらには見せない。
隠れていた場所からいきなり攻撃を仕掛ける。カラスは奇襲に驚き悲鳴をあげる。
すると、遠巻きに待機していた集団は、その合図で事の失敗を判断する。
もし、コノハズクが奇襲に失敗して劣勢にたち、
カラスが優位な合図を送れば集団行使がなされるかも知れない。
微妙なバランスだ。
圧倒的に強い猛禽類であれば、自分の姿を誇示することも作戦のひとつであろう。
しかし、個と集団の戦いとなれば、個の戦いで傷つきながら勝っても長い目でみた
種の戦いでは結果として敗れる。
種として命を繋ぐことが優先されるであろう。
「森の賢者」はいろいろなことを教えてくれる。

by modama | 2007-05-20 11:10
2007年 05月 19日

このはずくの宿パート3

今日、庭のイヌマキの木に葛゛がからんで覆っていたので、ツルの根元を切った。
すると、そばのフクギから一羽の鳥がとびたった。
見上げた瞬間、コノハズクだと分った。
こんな所で巣箱を見張っていたのだ。
これ以上驚かさないようにそっとその場をしりぞいた。

今から、二十年以上も前、県の鳥獣保護員をしていた時、山で梢に止まる一羽のコノハズクを
見つけた。
しばらくたって、帰るときにも同じ枝に止まっているので、ちょといぶかしく思い近づいてみると
コノハズクは飛び立った。
しかし、10メートルほど先の下草に落ちた。
その不器用な羽ばたきから傷をおっていることが分る。
拾いあげてみると、片方の羽が骨折していた。
家に持って帰り、介抱することにした。
その夜、寝床についてから、ふっとコノハズクが梢から飛び立った時のイメージが頭の中に浮かんだ。
近くの梢からもう一羽の鳥の陰が飛び立ったような気がする。
でも、さだかではない。
飛び立つ時のシーンが、幾度も頭の中で繰り返し思い描かれた。
その夜はあまり眠れなかった。

翌朝、起きてからコノハズクを入れておいたダンボール箱をみると冷たくなった遺体が横たわっていた。
また、梢から飛び立つ時のシーンが頭の中を駆け巡った。
「あの時、別の陰が飛び立ったのではないか」
もし、そうだとすれば別の一羽が傷ついた一羽を見守っていたことになる。
すると、わたしはとんでもない事をしてしまったのだ。
「例え、今日、死んでしまう身であってもそのままにしておくべきだった」
ながらく後悔の念が消えなかった。

若かった頃の思い出がよぎる。
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                     写真は昨年、撮影したもの。
                 (この頃からカメラの調子がおかしくなっていた)

by modama | 2007-05-19 00:50
2007年 05月 18日

シダ食う虫も好き好き・・・?

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ヒカゲヘゴ(モリヘゴ)は、日本で奄美大島以南に自生し、10メートルにも成長する木状羊歯。
山の暗い谷などで、この姿を見ると恐竜時代の風景を想像する。
いつもは下から見上げているが、良い撮影ポイントがあって上から撮ってみた。
葉は茎の先端に束生し長さ3~4メートル、ヤシのような樹形。
しかし、葉は二回羽状複生(羽のように小さな葉が柄の左右に付き、
それらがさらに大きな柄に左右に着いている)なので明らかに形が違う。
シダ類の葉は、何故か動物や昆虫にあまり好まれない。
「虫が着かない」そおゆう物質を含んでいるようだ。
もちろん、自然界には例外があり、シダだけを食べる昆虫もいるが、いたって少数派だ。
ところがどうだろう、人ときたら虫も好まない植物まで、料理して食べる。
ワラビ、ゼンマイ、コゴミなど背丈の低いシダから、この恐竜時代まがいのヒカゲヘゴまで食べてしまう。
かつて、石垣島や西表島ではヒカゲヘゴの成長点部分を料理して食べたという。
う~ん、恐るべし人間。
それだけではない。あのヤシの木まで食べたという。
「ええ、いったいどこを食べたの」
と思われるのは当然、葉は初々しくないもんね。
そう、これも同じく成長点。
まだ、毒も薬も蓄えないウブな部分。
それも、今では「天然記念物」として崇められているヤエヤマヤシ。
枝分かれしない植物だから、一本の幹の先端は生命線。それなのに・・・
恐るべし人間。
自然界の生き物たちは「シダ食う人も好き好き」と言うそうな。

by modama | 2007-05-18 17:26
2007年 05月 16日

コノハズクの宿パート2

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              まだ、緊張気味のコノハズク、身が細っている。

先日、折角作った巣箱にコノハズクが来ないと書いたけど、
今日、庭にカラスがやってくると、何処からとも無くコノハズクが現れて追い払った。
その後、巣箱の上に止まったので、もしかすると子育ての最中なのかも知れない。
昨年とは違って遠巻きに見守っているのかな・・・
何だかうれしくて・・・写真を撮った。
でも、今は愛用していたカメラが故障中なので代用品、アップが撮れない。

その後、子育中であることを確信した。
日中でも、時々、コホーコホー、という鳴き声が聞こえるからだ。
何処かの梢にいるオスが巣箱の中のメスに合図を送っているのであろう。
「大丈夫たよ~。安心して卵を温めておくれ」「夜になったら子育交代するからね」
と聞こえる。

ところが、夜になるとコノハズクの鳴き声がまったく聞かれない。
昼間、確信したばかしなのに・・・
心が二転、三転して揺れ動く、いっそのこと巣箱を覗いてみようか、とまで思う。
でも、それをしては何もかも御仕舞い。夕鶴の与ひょうだ。
がまん、がまん。
すると、遠くで鳴き声が聞こえる。
「餌を捕りにいっているだけだ」と自分に言い聞かせる。
明日から天気が崩れそうだ。

聞こえた、聞こえた、近くでオスのコホー、コホーという鳴き声、遠くでメスのチッ、チッ、っていう
甘えるような声(11:20分)しばらくして、また、遠くでコホー、コホー。
放していたジンを繋いで寝よう。

by modama | 2007-05-16 12:31
2007年 05月 15日

我田引水


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               右がシャプンサロソランさん。

蘭嶼島ヤミ族のシャプンサロソランさんと瘤冠麻を探しに行く時のことです。
山の斜面に作られた水芋の棚田を登りつめると農作業をしている老夫婦にであった。
そこは、棚田の最上部で谷から水を引く水路が築かれている。
老夫婦はシャプンさんを呼び止め、しきりに何かをうったいかけた。
その仕草から、水路の中にある石が自分の田に水を引く邪魔になっていることが分る。
そして、その石はかつてそこには無く、誰かが移動したと示している。
シャプンさんは、老夫婦の話をひととおり聞いてから、岩の上に腰をおろした。
そして、再び、老夫婦の話に耳を傾けた。
少しずつ穏やかさをとりもどした老夫婦は再び農作業にもどった。
後でシャプンさんに聞いてみると、大方のできごとは想像のとおりだった。
「よくあることだね。みんな水ほしい。でも、喧嘩だめよ」といっていた。
ヤミ族には、昔から人々を仕切る長がいなかった。
島内でいざこざがあっても決して暴力沙汰を起こさないという掟があった。
言い争いの末、感情が高ぶっても手を上げることは無く、体をぶつけ合うぐらいで仲間が仲裁した。
狭い島社会で暮らしていく知恵なのだろう。
しかし、台湾から商業を営む人々が入るようになり、価値観の違いが問題を起こすようになった。
これまで、酒を飲む風習の無かったヤミ族も、出稼ぎ者や外部からの生活様式が文化を変えた。
やがて巡査が駐在するようになり、区長制度ができ、軍隊も駐屯するようになった。
そして、核廃棄物処理場が島に造られた。
島の様子はつぎつぎと変化した。

by modama | 2007-05-15 22:32
2007年 05月 15日

ヤミ族の染織雑感

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               ヤミ族の織った布。近年では伝統的な瘤冠麻で織られることは
               少なく、台湾からの布を解いて糸にし、使われている。
               組織織の技法は変化に富んでいる。

1992年と1993年の二回にわたり蘭嶼島へでかけたが、その目的のひとつにヤミ族の繊維・
染色植物を調べることがあった。
彼らは藍染をおこなうのだろうか。もし、おこなうとすれば、どんな藍を使用しているのだろうか。
他に利用する染色植物の種類は、などなど。
ところが、行ってみてシャプンサロソランさん(彼は初代区長・ヤミ族には集団を治める長がいなかったが、
台湾政府が後に区長制度をもうけた)を介して訊ねたところ、染材は一種のみであることが分った。
それは、鍋などの底につく煤。これをコウトウニクヅク Myristica heterophyllaの果実に
含まれる油で溶いて糸に摺りこむ、といった染色法のみ。
繊維植物は衣類には瘤冠麻 Cypholophus moluccanusが主に使われ、
その他落尾麻なども使用されていた。
染色技法は単調だが、織技法に関しては、変化に富む多くの組織織を伝えている。
染・織のこのアンバランスは、何に由来するのだろうか。
煤のみを使用する訳がありそうだが、今回の調査では聞き出すことができなかった。
今後の課題となろう。
織は女子の仕事とするが、一年をとおして飛魚漁の期間中は禁忌とされる。
私は、民俗学の雑誌でヤミ族の衣装に藍色が染められているのを見たことがあるが、
それは、近年、台湾から持ち込まれた布を糸にほどいて、織り込んだことが分った。
青系の色は好まれているようだ。
現在では、瘤冠麻の繊維で糸を作ることは稀で、多くは台湾からの布の繊維に頼っている。
特記すべきことは、この瘤冠麻は蘭嶼島本来の自生種ではなく、分布がフィリピン、
インドネシア、ミクロネシアなどのより熱帯地方の種であることだ。
彼らは、バシー海峡を渡って来たとされている。つまり、種子を携えて来たことになる。
蘭嶼島へは、計画的な集団移住が試みられたのであろう。
その他、彼らの主食たる水芋と沖縄の田芋の関係、南西諸島に伝わる飛魚漁、また、
八重山諸島から出土される土器との類似などなど民族移動の可能性をさぐる素材が多い。

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               水芋を植えた棚田の周辺には、今も半野生化した
               瘤冠麻が見られる。

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               ヤミ族の主食は水芋と飛魚、夏の間漁をした飛魚は日干しに
               され、燻製される。家々の前には必ず干し場がある。
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               涼み台に集まる若者たち、台湾へ出稼ぎに行く者が増え、
               新しい文化が広まりつつある。背後の年寄りは相変わらずの
               褌姿。

by modama | 2007-05-15 14:16
2007年 05月 15日

パイパティローマ伝説

パイパティローマとは、南(ハイ)波照間島。
島人たちは、昔から自分達の祖先はさらに南の島からやって来たと考えていた。
その思いが1648年、ある出来事を引き起こした。
琉球王府が宮古・八重山に人頭税(1637年)をかけてからまもなくの事である。
八重山年来記によると「波照間島の平田村(伝承ではヤグムラ)の百姓男女四、五十人が
大波照間という南の島に逃走した」と記されている。
明治初期に八重山諸島を訪れた笹森儀助は、その著書「南島探検」の中で
「今ニ之ヲ南波照間島ト称シテ、其子孫ノ連綿タルコトヲ信ジテ疑ハス」と書いた。
島人たちは、歴史上の出来事を言い伝え、その時逃走した祖先たちが今もなお子孫を残し、
平和に暮らしていると信じていたのだ。
その意識は、17世紀にも繫がり、「さらに南の島」「祖先たちの暮らす島」は、
彼らの世界観の中に焼きついているのである。
では、この南波照間島とはいったい何処なのであろう。
明治二十五年には、県知事から海軍省に南波照間島の所在を探索するよう要請があったとされる。
後に、明治三十九年沖縄県が、台湾東部の島、緑島や蘭嶼島を候補として探索が行われる。
公的機関の探索は、この出来事にいっそうのリアリティーをあたえた。
また、台湾東部から南部にかけて暮らすロンギョウ族が琉球人を祖先とする報告などもある。
幾つかの候補地が挙げられながらも確定はしていない。

by modama | 2007-05-15 12:27