石垣島便り

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2010年 01月 09日

カンボジア染織紀行

しばらくぶりのブログ書き込みです。
昨年12月にカンボジアを旅してきたので、
ここでは染織に関する話題を紹介します。
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カンボジアの首都プノンペン(独立記念塔)

    プノン・チソールへ

朝7時半、プノンペンのバスターミナルからタケオ方面行きのバスに乗る。
車やオートバイで混雑する市街地を抜けると車窓からは水田地帯が望める。
走っても走っても稲穂の地平線、畦にはサトウヤシが林立する。

プノン・チソールは首都プノンペンの南約60kmに位置する。
遺跡観光で有名なアンコールワットより約半世紀ほど以前に
建てられた丘の上の寺院を中心にひらけた村、
古くからの伝統的な絹絣織を伝えるという。

地図で見るとベトナムに通じる国道2号線をタケオ方面に向かい、
途中下車して農道を数キロ東へ向かう。
しかし、下車するバスの停留所などは旅行案内書にも詳しく記されていない。
「まあ、なんとかなるさ~」と出かけた次第。

幸い、たまたまバスで同席したプノンペンの大学に通う地元青年が面倒をみてくれた。
国道わきに数件の家しかない場所にバスを止め、
商店の前に待機していたバイタク(オートバイ)
の運転手に交渉してくれ
「これに乗れば村まで行けるので、降りる時1ドル払ってください」と言ってくれた。
その間、バスを停車させて・・・
青年は再びバスに乗ってタケオへ、
「オークン(ありがとう)」とお礼を言って見送る。

乗り継ぎのバイタクに乗って未舗装の道を約4キロ、畑や水田の中を進む。
到着したのは寺院のある丘の麓、学校と門前屋台が数件立ち並ぶ場所、
「まずは、遺跡巡りからということだな」と成り行きにまかせる。
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この丘の上に寺院があり周辺に伝統織物を遺す村と田園が広がる

丘の上の寺院へ向かう石段を登りはじめると、一人の少年が後を追ってきた。
流暢な英語で挨拶、案内をすると言う。
「俺、英語苦手なんだよな」と心の中で思いながらも
「一人で行くよりいいか」とこれも成り行きにまかせる。
「何処から来たか」と少年、「日本から」と言うと少年はちょっと困った顔。
それでも英語で何やら解説しながら石段をヒョイヒョイと上がって行く。
「おい、おい、待ってくれよ」日頃運動不足の身には300数段の斜面はきつい。
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寺院から見下ろすプノン・チソールの田園風景

丘の石段を下ると少年が案内料2ドルを要求してきた。
案内料のことは当然頭の中にあったが、4キロの道をバイタクで送ってもらって
1ドルに対して、2ドルは高すぎるのではないかと思った。
これまで市場のオバサンと値段交渉は度々してきた。
はじめの価格のぼりようときたら呆れるほどであった。
少年に「1ドルにしろ」と伝えた。
少年は困った顔どころか悲しげな顔になり俯いてしまった。
たかだか日本円にして180円の案内料を少年に値切っている自分に恥ずかしさを感じた。
「分かった、分かった2ドルだな」といって2ドル払ってから、
「織物をしている家に案内してもらえるか」と切り出すと、きっぱり、
「自分は遺跡だけの案内しかしない」と断られた。
「まいった、まいった」

人気の無い村の大道通りを一人歩いていると、家々から珍しい人が居るという視線を感じた。
それもそうだ、こんな村に来る酔狂な外国人はめったに居ないのだろう。
普段、自分は自然や人を観察している立場だと思っていたのに、
何はからん、自分が観察されているのだ。
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人気のない村の大通り、左右の家々から視線を感じる
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ここは純農村地帯、家々の背後には広大な水田が広がる
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今は米の収穫期とみえ、家の庭には稲藁が積まれている

高床式の家には、土間にそれぞれ機が置かれている。
農作業の合間に織物の仕事もしているのだろう。
とある一軒の家に糸の掛かった機が見えたので立ち寄ってみる。
突然の外国人訪問に子供たちがまず反応する。
「何だ、なんだ」
家の者全員が庭に出てきて何事かといった様子。
当然、カンボジア語は話せないし、つたない英語が伝わる相手でもない。
身振り手振りで、織物を見せて欲しいと伝える。
窮すれば、通ずるものだ。
ぞろぞろと出てきた10数名の内、オカミさんと思われる人が了承してくれる。
織をしているところを見たいとジェスチャーで伝えると、子供と思われる青年に、
「織って見せろ」と指示してくれた。
笑みをたたえ、はにかむ青年は織機に座ると巧みな手裁きで杼を左右に投げた。
いろいろ注文して、それぞれの作業を見せてもらった。
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初めて見るタイプの杼が使われていた。
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横絣の巻き取り
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横絣の結束、下書きもせず絣を括っていく、ベテランの作業だ

記念に絹絣の布を一枚欲しいとオカミさんに頼むと、織溜めておいた布がばさっと出てきた。
いろいろ広げて進めるが、一番気にいった布の値段を聞くと
「50ドル」と言う。「30ドル」と値下げ交渉に入ると「これはまけられない」
と言う。それでは、これはどうかと別の布を広げて見せる。
「うむ、これもなかなか良い」、「幾らか」と聞くと「40ドル」と言う。
「30ドル」と値下げを要求すると、また、別の布を広げ、
「これなら30ドル」と言う。なかなか値を下げようとしない。
周りでは、十数名のヤジウマが固唾を呑んで見守っている。
二番目の40ドルの布に絞って、「35ドル」でどうかとたたみかける。
傍らのオジサンはオカミさんに対し「それでいいよ」と促している。
でもオカミさんは譲らない。
こちらも周りの余勢を背景に「35ドル、OKね」と譲らない。
でも、心の中では「この絹絣の布が35ドルでは安すぎる」と思っている。
同じ作り手としては、その布を製作する手間隙が、
ずいぶんとかかることが理解できる。

もし、私のように作り手ではなく、商売をする人であればどのように
交渉に臨むが考えてしまう。
きっと、はじめに「幾らで売れるか」を考えて交渉に臨むのであろう。
自分のところで、売らなくとも、同業の人に売った利益配分まで考えて・・・

結局、35ドルで買うことができた。
それが安かったのか、高かったのかは分からない。
いずれにせよ、物を作る人の感覚からは安い買い物である。
その布を織るためには、少なくとも一ケ月の手間が掛かるであろう。

バスの車中で知り合った大学生と快く織の作業を見せてくれた人々に
「オークン、オークン(ありがとう)」


      チョロイ・アンビル村へ

プノンペン郊外のキエンズヴァイにあるチョロイ・アンビル村へ行く。
宿泊先付きのバイタクを一日10ドルで貸切る。
この三日間、いつも彼に頼んで市街を飛び回ってきた。
すっかり馴染みになり、買い物も付き添ってもらっている。
言葉はまったく通じないが、何でも理解できるような気がする。
マーケットにある民間薬(漢方薬)店で植物を探すときも、
指差し会話帳で、「薬」「植物」と、指差しただけで通じた。
それも、持ってきた図鑑のコピーなどを彼に見せて、こんな物に興味があるよと
語ったり(言葉は通じないはずだが)してきたからだろうか。
心は、言葉なしでも通じるものだ。

この日も「織物をしている村へ行きたい」と身振りで伝えた。
地図でキエンズヴァイを示すと、同僚のバイタク仲間にチョロイ・アンビル村の
行き方を聞き出してくれた。
バイクの後ろに乗って出発。
途中、河が近づいた気配があったので、後ろから左折するように合図する。
細い田舎道を進むと河に突き当たった。
そこは渡し場のようで待合茶屋が数件あった。
バイクを降りてしばし休憩。
二人で喉を潤すためヤシの実のジュースを飲んだ。2個で1ドル。
休み場では、次の渡しが来るまで男たちがトランプ博打をしていた。
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それから村へのわき道を走り、織物をしている家々を回った。
この村では、主に綿のクロマー(マフラー)などを織っている。
価格が安いせいもあってか、すべて自動織機を導入していた。
織子さんたちは機械の管理に余念がないが、
プノン・チソールの青年のようにゆとりが見られない。
生産性と機械化が、何かを奪ってしまったのだろうか。
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帰りしな河畔に設けられた休息所でバイタクの運転手君と食事をして帰った。
この場所は、土日になるとプノンペンの街からも市民が遊びに来るという。
河が身近にあることが、とても和みを与えてくれることを感じた。
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    ラタナキリへの途中で

プノンペンを発ったのが午前7:30分、ラタナキリへの途中一泊した。
ストン・トレインに到着したのは午後5:00頃であった。
長い長いバスの旅、南部の水田地帯とは違い国道7号線はラテライト(赤土)
の道、国道脇の植物や家々はすべて土ぼこりで真っ赤に染まっていた。
途中、車窓から広大なコショウの農園やゴム園が望まれた。
ストン・トレインに近づくにしたがい開拓地が多くなる。
森を切り開きゴム園などを建設している。
バスは数時間おきにトイレ・タイムで停車するが、はじめのうちはドライブイン
モドキや売店前であったのに、やがて原野の中で停車するようになる。
人々は、下車してからめいめい草薮の中に座り込む。
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果物売屋の前でトイレ・タイム

ストンメトレインは、ラオスへ向かう主要都市だ。
メコン河に沿って北上すれば国境は近い。
東へ進路を変えてラタナキリ方面へ向かえばベトナム、ラオス両国の国境へ至る。
別の見方をすれば、ストン・トレインはラオス、ベトナムの山岳地帯から
コン川やサン川、スレボック川がメコンに合流する地点でもある。
河川交通の要とも言え、ここから先はクメール人以外にもいろいろな少数民族の
生活の場となっている。
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メコンの船着場、

ストン・トレインの街中で、たまたま一軒の織物工房を見かけた。
高床式建物の土間に三台程の織機が置かれ、女性が作業している。
覗いて見ることにした。
機にかかっているのは絹の縞柄で、ここでは絣を織らないらしい。
そのことを聞いてみたかったが、言葉が通じず断念した。
数枚の布を見せてもらったが、織むらがひどく買う気にはならなかった。
地元の人たちは、そのことを気にしていないようだ。
あまり小さなことにはこだわらない。
数箇所、糸が飛んでいても着るぶんには問題ない、というのが常識のようだ。
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男巻は板を使用している。カンボジアでは何処でもこの装置が使われていた。

翌朝、ラタナキリへと向かった。
これまでのバスとは違いワゴンタイプの車で、通常8人乗りのところに
18人くらいが乗り込み、おまけに沢山の荷物と肥料袋に入れられたアヒルも
同乗していた。
未舗装の道を赤土の埃を巻き上げながら森の中を進む。
ここも開拓が進みつつあり、ところどころに小屋が建てられている。
停車場は無く、途中、家の前や離れた村では脇道を入って停車する。
ストン・トレインに買出しに行った家族を迎える光景もしばしばだった。
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乗り合い自動車が到着すると家族が迎えに来た。

それでも、街に買出しに行ける家はよい、中には今にも離散しそうな小屋も
多く見かけた。ヤシの葉で屋根を葺いただけの小屋、電気もガスも無い。
小屋の前に製材された板が人の字型に立てかけられているところは、
やがて、板壁の家を建てたいという希望が伺える。
しかし、それも無い小屋では、
森を切り開いて得た材も生活の糧に売り払ってしまっているのだろう。
作物が生長して収穫できるまでの厳しい生活を耐えしのげるのだろうか。
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この小屋に何人もの家族が生活している。

     シェムリアップへ

アンボジアへ来てアンコールワットを見て帰らなかったら
後で何んと言われるだろうか。
でも、やっぱり旅の目的は織とモダマ、
シェムリアップではクメール伝統織物研究所や森をめぐって来た。
もちろん、遺跡も行きはしたがついつい周辺の森を散策してしまう。
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象徴的なバイヨンの顔
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南大門をくぐるといにしえの都城
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アンコールワットは観光客でいっぱい、そこで、森の中にこっそり
忍び込み眺めて見た。やっぱり、こうでなくっちゃ。
もちろん人ごみに混じってレリーフも鑑賞した。
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タ・プロームは、今でも森の中に眠る遺跡という感があった。
でも、やはり人でいっばい。
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     クメール伝統織物研究所

もと京都で友禅染めにたずさわっておられた森本氏がカンボジアの染織に
ひかれて開設した工房。
一時失われつつあった伝統織物を危惧され、技術を継承されている方々を
集めてはじめたのが1996年とのこと、もう14年になる。
最近では「伝統の森」プロジクトを立ち上げ、桑を植えたり、
養蚕をして自然染料を得る植物も植えておられるとか、
その視点は確かなものと思う。
材料の生産と生活の場を固めていかないと、
絣織のような手間隙かかる工芸は存続しえないだろう。
つきつめれば村作りになるのではないか。

これまで見てきた織物の現場でも、絣織が続けられているのは
プノン・チソールのような農村地域。稲作にたずさわりながら家族で
生計を支えている場所だった。
古くからの生活様式の中に織の風習と技が受け継がれていた証だ。
ストン・トレインのような開拓地域に囲まれた街中では、
すでに技術の継承は途絶えてしまったのだろう。
かといって、新たに習う機関や生活水準から考えると個人で
立ち上げるには今のところ困難が多い。。
何年かして、プノンペンの芸術大学の学生たちが、
自らの手で試みる時期が来ればよいが・・・
それでも服飾デザインの方では活躍されている方もおられるようなので、
何時の日かきっと、今以上に
伝統的な布の生産に取り組む方が現れるのでは
と期待している。
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クメール伝統織物研究所

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子供をあやしながら糸巻きをする女性
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整経作業
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ヨコ絣くくり作業
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伝統的な絣織
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高床式住居の二階(?)はショップになっている。
余談ですが、カンボジアのホテルなどのエレベーターでは一階がB、
二階が1,と表示されているので
高床式でも住居部分が一階なのかもしれません。

シェムリアップへ行くときはバスを利用したので、
帰りプノンペンへ向かうのにトンレサップ湖を渡る船に乗った。
船賃はバス代の六倍以上、カンボジア語で言うならば
「タライ、タライ(高い)」
そのせいか乗船客のほとんどが欧米人、地元の人は僅かだった。
それでも「こんな高い乗り物に何で乗るのだろう」という疑問が
残る。その訳は・・・
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船の上から見た水上生活者、売り舟で生計をたてているらしい。
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高速船は欧米人でいっぱい、みんな屋根の上でくつろいでいた。

途中、船が速度をおとしたので何事かと思いきや、
下船する人がいた。
小船が下船者を迎えにきたので、どうやら湖の中洲で生活している人のようだ。
これで疑問が解けた。
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欧米人のマリファナ好きなちょい悪おじさんたちも、
途中下船者をみんなで見送り。

とりあえず、これでおしまい。(気がむいたら続けます)

by modama | 2010-01-09 07:42