石垣島便り

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2011年 07月 25日

ヤミ族の染織

もう随分昔の話だが、染料繊維植物の調査で台湾のランユウ島に
住むヤミ族の集落を二度にわたり訪ねたことがある。
はじめ訪れたときの印象は今でも強く残っている。
台東の空港で、11人乗りのプロペラ機に搭乗するとむっとする熱気、
「エンジンをかければ涼しくなるだろう」とたかをくくっていたが、
駐機場から滑走路まで徐行しても室内はいっこうに涼しくならない。
左右一人づつの座席中央通路から先を見るとコックピットに居る
パイロットと助手の背中が見える。
そこにはドアもカーテンも無い。
やがて、飛行機が離陸するとコックピットから、何やら白い煙が噴出してくる。
11名の乗客は、慌てる気配もないので、故障ではないのだろう。
それにしても機内は暑い。いや、熱い。サウナと言っても過言ではない。
しばらくすると白煙が床を這うように、私の座る後部座席にも届いた。
そして、みるみる積もっていく。
腰の辺りまで積もると、まるで雲の上に座っている錯覚に陥る。
足の方から、少しづつ涼しさが・・・
どうやら、ドライアイスの白煙らしい。
それにしても、頭は熱気で朦朧としている。
「頭寒足熱」の逆で、これは肉体的拷問に近い。
そうこうしている内に、飛行機は着陸態勢に入る。
ランユウ島が機窓から見えた。
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ド・ドーンと強い衝撃の後、滑走してターミナルへ向かう。
汗だくで飛行機を降り、一階建て田舎の小学校のようなターミナルへ・・・
乗客は11名だが、机の無い教室のようなロビーには30名ほどの人が居る。
出迎えの人たちなのだろう。
うむ・・・思わぬ衝撃が走った。
私達が普段見かける服装の人たちに混じって、軍服に銃を持った兵隊、
それに褌一丁を身に付けたオジサン・・・!!
まさか、空港のロビーでそんな光景を目にするとは思いもよらなかった。
しばらく心を落ち着かせるため、椅子にすわって人々の様子を眺めた。
10分程すると、乗客と迎えの人たちは、姿を消した。
人の居なくなったロビーの床に目をやると、何やら血痕のような赤いしみが多数ある。
ビンローを噛んで履いた唾だ。
「とんでもない所に一人来てしまった」と心の中で思った。

空港を出て、目的地の漁人村へ徒歩で向かう途中、一人の人とすれ違った。
はじめ、道の向こうから来る人影を見て、緊張を感じた。
褌姿の老人であるが、手に槍のような物をもっている。
近づくにつれ、心臓が高鳴った。
「どう対処したら良いのだろうか」
良く見ると手にしているのは、槍ではなく一本の棒であった。
気まずさを払うように「こんにちは」と声をかけてみた。
すれ違ってから、しばらくして「こんにちは」という返事が返ってきた。
・・・??

台湾では、漢の人も少数民族の人も戦前に教育を受けた人は、
かたことながら日本語を記憶しているのだ。
来島以来、心の中に鬱積していた緊張感がすっと消えていくのを覚えた。
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台湾の先住民は9族に分類できる(学者によって多少の変化はあるが)。
台湾が、まだ大陸と陸つづきだった頃から移住が行われて来たようだ。
面積からの割合では、9族というのは非常に多い。
その中で、ヤミ族は比較的後になってフィリピン方面から海を渡って北上したと考えられる。
彼らの伝承には、それを伝えるものがある。
そして造船技術も有している。
赤・黒・白の三色に彩られた小型の船を作る。
トビウオ漁に使う船だ。彼らはトビウオを追ってこの島にたどり着いたとも伝えられる。
しかし、海の民ではない。
彼らの暮らしは半農半漁で、普段は棚田にタロイモ(水芋)を栽培し、
畑ではアワも作る。そして、布も織る。
トビウオ漁は、春から夏にかけてのみ行う。それらは自給のためで、乾燥・薫煙した
干物が、主食の芋と共に一年の糧となる。

土地を持ち、作物を栽培して自給する民は「海の民」ではない。
海の民という定義は曖昧であるが、条件としては、土地を保有しない
(住居地として保有しても、作物栽培はしない)民のことである。
過去の歴史において土地を追われたり国を奪われたり、
自ら積極的に漁業や交易に携わって来た民たちのことだ。
人はもともと地上に暮らす生き物だから、根っからの海の民は存在しない。
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ヤミ族は、今でも石器の作り方や土器の作り方を伝承している。
織物も高度な組織織りを伝えている。
織りにたずさわる期間は、トビウオ漁の無い秋から冬にかけてだ。
漁期間中はタブーとされる。

彼女らの織る布は、独特のものだ。
高度な組織織りを伝えるわりに、染色に関しては、一色しか用いない。
それも染料ではなく、土器や鍋の裏に付いた煤だ。
だからと言って、色彩感覚に乏しいわけではなく、船には彩色を施している。
見た目よりも、煤のもつ呪い的な要素を重視しているのであろう。
しかし、近年、台湾本島との交通の便がよくなり、物資が大量に持ち込まれてから
伝統も変化を見せ始めている。
彼女らの織る布にも色糸が使われるようになった。
これも時代の流れだろう。
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写真は、布を虫干ししている光景。
服を着ている人は、調査でお世話になったシャプンサロソランさん。
この方からは、いろいろな話を聞かせていただいた。
漁人村の小学校へ行った時、彼は「昔、自分が子供の頃、この学校に鹿野という人が
調査で来たことがある」と語ってくれた。
鹿野と言えば、民族学や生物学で業績を残した鹿野忠雄のことだろう。
私にとっては、憧れの学者・探検家である。
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写真は、台湾からもたらされた色糸で織られた布。
組織織りの巧みさが分かる。

この時の調査は、染料と繊維植物に関するものであったが、染色は煤顔料のみ、
繊維植物では、衣服用に落尾麻、瘤冠麻などが果って使われていた。
瘤冠麻は、ランユウ島には自然分布しない植物であり、過去において彼らが
この島へ移住した折、持ち込んだものである。
フィリピンには自生するので、バシー海峡を渡って来たことが伺える。
八重山諸島には自生しない。

by modama | 2011-07-25 18:18