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2012年 04月 30日

モダマを追って・旅するアジア

 今回は「染織」ではなく「モダマを追って」の旅でした。
ひとつは、中国雲南省南部に残るモダマの自生地を探すこと、もうひとつは昨年行ったラオス・
チャンバーサックでの極小型の種子を着けるモダマ自生地を再び訪れること、
それに、山地少数民族の暮らしに触れること・・・

ラオスの田舎では、林の中でばったり出会ったタケノコ採りに来ていたご婦人に
高い枝に垂れ下がったモダマの莢を採ってもらいました。
見ず知らずの、おまけに言葉も通じないよその国から来たオジサンに
さりげなく親切にしていただきました。
そのときの出会いは、今も脳裏に焼きついています。

人里離れた静かな林でした。
見つけたモダマの莢をどのように採ろうか思案していると、
ぺたぺたぺたとゴムゾウリの音がしました。
振り向くと小道をシン(筒スカート)を身に着けたご婦人がやって来ます。
ちょっと気まずい気持ちで迷いましたが、身振りで上を指差し、別の場所で採った莢を
見せました。
ご婦人はすぐに理解し、鉈で竹を切り、それで叩いて莢を落とし、拾ってくれました。
その手際のよいこと・・・
採り終わると、また、ぺたぺたぺたとゴムゾウリの音をたて小道を帰って行きました。
手には小さなタケノコの入ったビニール袋と鉈を持って・・・
その姿は「ちょっと角のコンビニで買い物をして来た」という風でした。
林に夕餉の食材を調達に来たのでしょう。
彼女にとっては、日常的な場所での出会いなのでしょうが、
私にとっては、とても印象深いものでした。

いろいろな出会いがありました。
気のむくまま書いていきます。
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ラオス・ウドムサイの南バスターミナルにて。
屋根のスズメを見上げる妊婦。

雲南のモンラーから国境を越えてラオス・ウドムサイに一泊、そしてルアンパパーンへ向かうため
南方面バスターミナルでバス待ちをしている時のことです。
しきりと上を見上げるご婦人を見かけました。
屋根の上ではスズメが巣を作っているらしく、鉄骨パイプの穴から出入りしています。
どうやらそれを見ているようです。
私の乗るバスとは別のバスが出るのを待っているようで、
ご主人はバスの屋根の上に荷物を載せていました。
大きな袋と真新しい子供用自転車です。
この街の周囲は、すべて山がちな場所なので、
山の村から夫婦で買い物に来た帰りなのでしょうか。
もしかすると検診を兼ねて来たのかも知れません。
留守をしている家族と子供へのお土産を沢山買って、また、村へ帰るのでしょう。
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私の乗ったバスは土埃の82号線から113号線をルアンパパーンへ向かいました。
幾つもの山を越え、途中、少数民族の村々を車窓から見ました。
熱帯の赤い土と草ぶき屋根の家々、日本の山村風景とはかけ離れていますが、
何となく親しみを覚えます。昔の沖縄の風景にも似ています。
バスターミナルで逢った夫婦は、147号線を南下したのでしょうか。
地図で見ると幾つかの村があり、メコン河に突き当たります。
その先に道は無く、船が乗り物の手段です。

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行けども行けども山、その山々に人が住んでいます。
雲南、ラオスではそれがごく普通の景色でした。
人が生活するためには、山から食べ物をえるか、斜面を畑にするしかありません。
ラオスでは、今でも焼畑農業を営んでいます。
行ったのが乾季の終わりに近かったため、あちこちで火入れの光景を見ました。
それにしても、こんな場所で畑ができるのかと言うほどの急斜面です。
人の長い歴史の中で、山に生活の場を求めなければならなかった時代があったようです。
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ラオスでは、よく白い頂の山を見ました。
遠くから見ると、雪山のようにも見えますが、石灰岩の山です。
石灰岩と言えば、海の底で堆積した海生生物の遺骸からできています。
大陸のこんな奥深くまで、太古の昔には海があったことに驚きを覚えます。
それにしても1000m以上の山になるまで、隆起と侵食が進んだ時間の流れに眩暈すら感じました。
そして、こんなところにもモダマの自生地はあるのです。

今回の旅のコースは次のようです。
ベトナム・ハノイ→ラオカイ→国境越え→中国雲南・河口→大樹塘→曼耗→緑水河熱帯雨林→元阳→
緑春→江城→モンラー→望天樹熱帯雨林→国境越え→ラオス・ウドムサイ→ルアンパパーン→ビエンチャン
→パクセ→チャンバーサック→パクセ→サバンナケート→国境越え→ベトナム・フエ→ハノイ、以上を
列車とローカルバス、国境越えの国際バスでひと月をかけ、およそ3000数百kmの旅をしました。

事前に出来るだけの旅情報を集めましたが、中国雲南の交通の便は不明な所も多く、現地での
情報に頼ることもありました。

はじめの目的地は、華南植物園に保管されていたモダマ標本の採集地、大樹塘・金竹坪でしたが、
やっとのことグーグルアースで探し当てたものの、現地の情報は皆無でした。
「はたして宿泊施設はあるのだろうか」「乗り物は何で行けば良いのか」等など・・・

現地河口で調べたところ、以前は昆明までの列車が運行されていましたが、現在は廃線になり、
大樹塘へはバスがでているとのことでした。しかし泊まるところは・・・
何はともあれ、現地へ向かいました。

着いた所は十数軒の村、それでも鉄道線路と駅舎は今も残っていました。しかし、泊まる所が
見つかりません。河にかかる橋の手前にある食堂で聞いたところ「泊めてあげるよ」とのこと、
ほっと一息つきました。
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大樹塘で泊まったところは、看板も名前も無く、営業しているのかどうか分かりづらい
のですが、それでも河べりに5室がありました。
二名いた先客は、すべて地元の人で仕事で宿泊しているようです。
一人部屋一泊15元(250円くらい)です。
とりあえず荷を置いて食堂でビールを・・・
しばらくすると店の前をパインを積んだ馬の列が通り過ぎて行きました。
そお言えば、橋の上に大型トラックが駐車していたので、出荷作業の最中なのでしょう。
ほろ酔いかげんで見学させてもらいました。
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大勢の人夫たちがパインの積み込み作業をしていました。
その先では、バナナも積み込まれています。
馬は山の上から降りてきたばかしで吐く息も荒く汗をかいています。
小型の馬で、南西諸島にいる馬に良く似ています。
橋の上から向いの山を見ると降りてくる姿が点のように見えます。
あの斜面を幾度も往復するのは大変な仕事でしょう。c0023181_122583.jpg
私は働き者の馬が大好きです。
動き回る人夫に混じって「ご苦労さん」と声をかけて廻りました。
荷を降ろすときには、馬の前足にロープを掛けて、三本足で立たせています。
むやみに動かないようにするためでしょう。
当然、片方の荷を降ろすともう片方の荷は傾きます。
馬は三本足でふんばってバランスをとっています。
(この馬はおりこうなので足を縛られませんでした)c0023181_12143245.jpg
中国にバナナの一大産地があるとご存知でしたか。
じつは、私も知らなかったのですが、これが旅の目的をここで
果たせなかった一因になるとは、ほろ酔いの私には
まだ、気づきませんでした。
とほほ・・・
夜になって、再びビールを飲み、食事を済ませ、
ここから私の仕事になります。
食堂にたむろする男衆にモダマの図版や標本写真の
コピーを見せ「この植物を知っていますか」と聞きまわります。
何だ、何だと人が集まり、ああだ、こうだ、と話がはずみます。
「ああ、知ってるとも、大きなマメだろ」「これなら向こうにあるよ」
「向こうって、何処?」「・・・あっちだ」「あっちて、何処」「あっちさ」
知ってはいるようですが、話が具体的ではありません。
「誰か、自生地に私を連れて行ってください」でも、乗り気の人はいません。
それもそうで、見ず知らずの人を有償、無償も分からず時間をかけて連れて行くと
名乗りでる人はいないでしょう。
そこで「オートバイで連れて行ってくれたら50元、種子を見つけたら1個5元」
と有償ガイドであることをアピールする。
すると一人の青年が「あってもなくても50元で行こう」と名乗りでる。
名前を聞いて、明日の朝出発の約束を取り交わし、握手して別れた。
部屋に戻って、しばらくするとドアをノックする音が・・・
ドアを開けると店の主人が立っている。「さっきの男は、俺の弟だ」ところで
「モダマを何に使うんだ。薬か、金になるのか」と言う。
詳しいことは、言葉が不自由で説明できないので「調べている」とだけ伝える。
「何個欲しいのか。1000個採ってきたらみんな買うか」と聞くので
「沢山はいらない、10個もあればいい。自生地を見たい」と言い「確実にある自生地なら
100元払うから連れて行って欲しい」と伝える。
何だか可能性があるみたい。寝床について明日に備える。

ところが、翌朝、青年はやってこない。店の主人に聞いても「どうしたのだろうね」
しばらく待ったが来ないので村の周辺をモダマを探してぶらぶら散策する。
橋を渡り川向こうの鉄道線路沿いに谷を下る。しかし、行けどもいけども山はパインとバナナの
畑。自然林は河沿いの一部にしかない。
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山全体が畑と化している。谷の向かいの山もそのまた向こうも・・・
左側はパイン、右側がバナナ、山の頂上までもが畑なのである。
中国人民恐るべし・・・
「四本足なら机以外何でも食べて、地べたなら山でも作物を植える」
それにしても山をまるまる畑にして、肥料をぶち込んで地力がいつまで保てるのだろうか。
バナナゾウムシなどの害虫がひとたび発生したらどうなるのだろう。
ついつい余計な心配をしてしまう。

線路の向こうから薪を背負ったおじさんがやって来た。もはや、薪まで遠くに採りに行かなくては
ならないのだろうか。
換金作物を作ると、収益も上がるが、出費もかさむ。来るとき肥料を満載したトラックが
幾台もすれちがった。斜面では雨が降れば肥料も雨水と一緒に河に流れるだろう。
燃料を買い、肥料、農薬を買い、山村の生計は成り立つのだろうか。
詳しいことは分からないが、作物積み込み作業などは皆地元の少数民族だった。
プランテーション化に移行しているようだ。c0023181_1527471.jpg
この日は一日社会科の勉強に終わった。
生物地理学に戻らなければ・・・
と言うことで、その日の夜、ビールを飲みながら翌日オートバイを借りる交渉をする。
一日100元で話はまとまり、もうひとつの自生地である金竹坪への行き方を聞く。
バス道路を5分ほど戻り、右側の山道に入る。というところまでは良かった。
それから先「幾つかの脇道があるから、それを曲がらず、ずっと金竹坪に向かって行く」
との説明だった。ごもっともな話だが、二股でどちらへ行くかが問題なのだ。
仕方ないので、来る前にグーグルアースで入念に(?)頭の中に叩き込んだ
感を頼りに行くことになる。
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土埃の道を行けども行けどもバナナの畑だった。
ここも自然林など欠けらも無い。集落も無く、あるのは作業小屋と道脇の集荷場。
途中から登り坂が急になり、道もさらに悪くなる。
一台のトラック(ディーゼルエンジンがむき出しに着いている)が追い越していった後、
オートバイが減速して転倒してしまう。
あまりにも坂が急なもので、発進ができない。
大きな石を探してきて後輪の後ろに置く。それでも30分ぐらい奮闘してやっと脱出。
しばらく登ると先ほどトラックで先に行った人夫たちがバナナの収穫をしていた。
ここでは、馬を使わずに背負子で運んでいる。
人夫たちの苦しそうな表情を見ると写真を撮るのもはばかれる。
やがてバナナの畑からコーヒーの畑へと変わる。
空気もひんやりとしている。海抜1000mはある。
頂上付近は比較的なだらかで、ここも一面のコーヒー畑。
いったい、金竹坪の集落は何処なのだろうか。
周辺の嶺みねを見渡す限り同じように畑になっている。
ここでのモダマ自生地探しは完全に惨敗であった。c0023181_1621657.jpg
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翌日、大樹塘をあとにして、いったん河口に戻り、
雲南省を西へと進む。
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雲南山地に残る熱帯雨林
河口の街で購入した中国発刊の雲南省地図帳には、これまで日本で調べても出てこなかった情報が
載っていた。曼耗鎮に「曼耗熱帯雨林」と記された部分がある。
これまで、大樹塘、金竹坪を含む大圍山(海抜2354m)付近に第三紀古熱帯残留植物群が残る
ことは知っていた。そこから大分西に離れた曼耗にもあるのだろうか。
とにかく行ってみることにした。
曼耗に宿をとり、早速情報集めをした。オートバイに乗った青年をつかまえ、曼耗熱帯雨林を
知っているかと訊ねた。青年は「そうではなく、緑水河熱帯雨林だ」と言う。名前はとにかく
そこに行きたいと言うと「自分はバイタクではないので車を探してやる」と言ってくれた。
トクトク(中国ではこの乗り物を何と言うか知らないが)の運転手に交渉してくれた。
はじめ運転手は「行かない」と拒んでいたが、青年が熱心に頼むものだから承知してくた。
運転手の言い値30元で交渉成立。
乗ってみて、はじめて運転手が拒んだ理由が分かった。街中で客を拾うトクトクの行くような
場所ではない。九十九折の山道で、おまけにがたがた道ときている。何度か天井に頭をぶつけた。
それよりオンボロトクトクが今にも壊れそうで心配だ。やっとのことでダム湖のある入林事務所
にたどり着いた。運転手が「帰りはどうする」と心配して携帯の番号を教えてくれた。
青年にしろ運転手にしろ、みな親切だった。謝謝。c0023181_17373488.jpg
トクトクで登ってくる途中の斜面はバナナ畑、谷の向かい斜面は火入れをしたばかしの裸地で
石灰岩と見られる岩が露出していた。ここも開発が麓までおよんでいる。
事務所でもらった入林票には「大圍山保護区の飛地的存在」と書かれていた。つまり、かつては
この辺の山岳地帯は熱帯雨林の山々だったが麓での開発が進み、高山と急峻な地形の一部に
熱帯雨林が残っていると言うことなのだろう。
後で分かったことだが、華南植物園の大樹塘、金竹坪を産地とする標本の採集年代は1940年で
あった。そのころまでは、両地もここと同じような熱帯雨林の森がありモダマも自生していた
のであろう。今では標本と僅かな保護区が証拠なのだ。
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巨大なヤシ、Caryota gigasと
八重山諸島で見られるクロツグを巨大にしたようなArenga pinnata
中国自然地理を引用すれば、
「南西区は第三紀には熱帯低地であった。鮮新世にいたって広い範囲にわたる隆起があり、同時に
河川解析を受け、現在、標高が比較的高い山地と侵食面には、まだ多くの第三紀に残留した熱帯植物と古残積層が保存されている。雲南南部金平老嶺と大圍山のような標高2,000m以上の地方では
・・・」とある。モダマもこの時代に大陸奥深く、現在の雲南まで進出したのであろう。
そして時代が変わり、気候が変わり、一部の地域にこれらの植物たちと共に残ったのでしょう。
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場所は変わってこちらは西双版納の望天樹熱帯雨林です。
現地の案内板にはAAAA級国家自然保護区と書いてありましたが、入り口はかなり人手が
はいっていて、広い駐車場とドーム型催物場があり、ダム湖に船乗場が作られています。
観光バスがここに到着して、タイ族の踊りを見ながら食事をして、それからボートに乗って
熱帯雨林を見学する嗜好のようです。まるでテーマパークのようです。
私はそれらに興味が無いので、ボートには乗らず1時間ほど畔の道を歩いてモダマやマメ科植物を
探しました。周辺の自然はAが沢山着くだけあって豊かなものでした。途中、モダマとムクナを
見つけました。モダマはEntada rheedii sinohimalensisのようです。
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雲南では幾つもの吊り橋を渡りました。山あり谷ありの地形では橋はかかせません。
なかにはワイヤーロープ一本だけが谷に渡され、それに滑車付き荷台が吊り下げられたものもありました。怖そう。
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この吊り橋の下を遊覧ボートが走っていきました。私はひたすら景色を見ながら歩きます。
この一帯の土質は、少し紫がかった赤土で熱帯特有のラテライトです。
森の中では非常に丈の高い野生バナナがあちこちで見られました。ツル性植物と着生植物も
豊富で板根の樹木や高木のフタバガキ科植物は熱帯雨林を感じさせます。空中遊歩道は樹冠を
観察するというより、スリルを楽しむ作りで登る気にはなりませんでした。
(ほんとは、山で崖から落ちて以来、高所恐怖症なのです)
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雲南ローカルバスの旅
当初の計画では、金平老嶺の熱帯林にも行きたかったのですが、現地で得た情報では、
西へぬける交通網のないことが分かり、元阳経由のコースに変更しました。元阳は棚田で有名な
場所ですが、ローカルバス乗り継ぎの旅では、河口をでてからモンラーまでの間、外国人旅行客
には一人も会いませんでした。昆明から南下するルートでは多いようです。
元阳、緑春、江城の街では民族衣装を着た人たちが普通に見られました。街の物売りや畑仕事を
する人たちです。
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元阳バスターミナル前では、商品を並べた婦人たちが果物などを売っていました。
トウモロコシを買って食べましたが、ここのはとても美味しかったです。
白と少し紫がかった粒の混じった品種です。小さめですが一本一元(13円ぐらい)。
他の街でも大き目の一本二元や三元のを食べましたが、味が違います。
小さくても噛んでいてもちみがあります。大きいのは水っぽい感じがします。
品種のせいかも知れませんが、ひとつには山の上の方で作ったトウモロコシのせいではないかと思います。寒暖の差で味が変わるのかな・・・c0023181_11375321.jpg
新街鎮をすぎると棚田、棚田の風景です。でもこの時期、午前中は霧がたちこめ視界が開けません。
棚田も苗代の時期で、緑がわずか、石垣島の田圃の方が植え付けが早いようです。
棚田は緑春辺りまでずっと続きます。そして、西へ行くほど自然林も多くなります。
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江城の街で見かけたご婦人、白のキチィーちゃんバックがお似合いです。
民族衣装は着ていても今風の小物でアピール?
いろいろ工夫して刺繍だけ縫い付けたものとか、帽子だけ民族風だとか、なかには刺繍ではなく
プリントものもあります。これはちょっといただけません。
やはり江城で出会った結婚式、花嫁さんはウエイディングドレス(気持ち分かります)ですが、
お母さんは民族衣装でした。お父さんは背広姿。そお言えば普段から男の人はあまり民族衣装を
着ていないようです。やっぱり、女性の方が着るものにこだわるのですね。
おめでとう。
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江城からモンラーへ乗り合いバスで向かう途中、小さな村で渋滞にあいました。
何だろうと車窓から外を見ると、市が開かれていました。
山の村の人たちも、この日はいろいろな商品を持って集まってきます。
もちろん、集まってくる人たち目当てに安い大量生産の服などを売る人たちもいます。
トラックの荷台に子豚を沢山積んで商いしている人もいました。
山の人たちにとっては、売って、買って帰る、物々交換と同じようなものです。
バスを降りてじっくり見たかったのですが、日程上そうもいきません。
懐かしい「ねんねこ」で子供を背負っているご婦人を見かけました。
最近では、赤ちゃんを背負う習慣は、日本では薄れてしまったようです。
「懐かしい」が、ここにはまだありました。
アジアは人も植物も繋がっているのですね。

雲南とベトナムとの国境から西へローカルバスを乗り継いで森を探しモダマ自生地を巡りましたが、
近年、雲南省都昆明からベトナム国境の街河口へは高速道路もでき、
一帯は開発が進みつつあります。
ゴム林の山、パイン・バナナ畑の山、比較的高い山はコーヒー畑と変わり、今では自然林が壊滅
状態です。ハーバリュームに残る標本は、化石になってしまいました。
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高速道路の建設現場、道路の掘削残土は谷側に落とされ、谷を高架橋が渡る。工業都市から肥料等
が輸送され、農産物が帰りの便で積み込まれる。経済的発展は自然を破壊し、歪な循環を強いる。
もう一方で、ラオスなどへの大量生産物売り込み戦略と工業団地建設、
経済的支配が影でうごめいている。
ラオスでは輸出できない特殊南方材の根が掘り起こされ大型トラックが隊列を組んで輸送するのを
たびたび目撃した。裸地の山々に残る根までもが持ち去られようとしている。

by modama | 2012-04-30 16:32 | Comments(17)