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2013年 04月 22日

モダマを追って旅するアジア、4-10

ネパール、モダマ巡礼の旅、しめくくり。
これまでカトマンズから南へ下り、チトワンの海抜200m辺りの亜熱帯植生から、1350m辺りまでを見てきた。モダマの自生地は、そのくらいが限度だがもう少し上の温帯、カシ類や石楠花の樹林帯まで見たいと思っていた。また、街ではパタンへも行きたいし、はじめに叶えられなかった自然史博物館へも行ってみたい。
ビザもそろそろ切れるので、この三ケ所を廻った。
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パタンのダルバール広場周辺の建物には、何といっても美しい装飾が今も残っている。寺院や民家の窓枠ひとつとっても、他の地域に比べ群を抜いて素晴らしい。それらをいつまでも残すのは、当然のこととして、今後の開発の仕方を考えなければならないだろう。車の乗り入れ規制も必要だと思うし、観光客相手の宿泊、土産物販売など、タメルの二の舞を踏んではならない。
地方の経済的格差是正という理念はもっともだが、観光都市(国)としては、目玉の都市部の計画的な開発は欠かせない。貧しい地方の経済的自立を支援するため、多くのNPOなどが援助しているが、農産物にしろ、工芸品にしろ、最終的には売ってはじめて、生産者たちは自立できるのである。その売る場所は、都市部のウエイトが高い。指導する人たちは、技術の面を優先し、売ることまでは、責任をとらず任期を過ぎると帰国してしまう。一番だいじなのは、作ったものを売って、生計を成り立たせることであって、援助、援助の繰り返しではない。
街を歩いていて、農産物のりんご(まだ、小ぶりだか)やイチゴが道端で売られている。これらの農産物がネパールで作られるようになったのは、農業技術指導のたまものだと思うが、観光客は埃まみれの道端で売られているイチゴを、あまり買おうとはしない。
工芸品も、確かに伝統的な良いものはあるが、それだけでは商品として魅力と実用性がない。現在のニーズに合った商品開発と売り方を工夫しなけば、せっかくの多額な補助も報われない。
援助して作ったものを、それらに関心のある人たちに買ってもらうのではなく、一般の人たちを含めて観光客にも買ってもらえなくては、生産者の経済的自立は程遠いだろう。

同じような土産物がずらり並んでいるような、都市観光地タメルのような街ではなく、パタンには、今後、ネパールの開発の芽が残されているような気がする。これ以上穢されて欲しくない街だ。
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パタンは、日本で言うと京都のような街だ。ネワール文化の美を継承している。街並み保存と共に、ここを基点に新しいネパールのあり方を模索して欲しい。
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日向ぼっこする老人たち。
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考える(?)少女。
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未来を担う少女達。
今回の旅では、中学生程の年頃の少年が、マイクロバスの車掌として就労しているのに多く出会った。彼らは、おそらく学校には行っていないのだろうが、お金の計算もできたし、中には英語の達者な子もいた。私は小学生ほどの英語力しかないので、親しみを込めて会話してくる仮らにたじたじの場面もあった。教育を受けられることは、幸せなチャンスであって、そのチャンスの無い子らも、生き生きと暮らしていた。べつに学校など行かなくても良い。たくましく生きて欲しい。

さて、ハッピーホーリーの翌日、海抜2500mぐらいまでの植生(石楠花と樫類)を見るため、シヴァプリナガルジュン国立公園へ行った。前日行ったデブニールガンダから少し登ったところに公園のゲートはある。自然公園だから山自体が指定地だが、鉄製のゲートには銃を持った兵隊が守衛している。それだけではなく、山中にも所々、チェックポイントがあって、兵隊がいる。それはチトワンもそうであったが、日本人の感覚からすると、国立公園に銃を持った兵隊は似つかわしくない。チトワンの場合、アジアサイやトラの密猟防止という受け取り方もできるが。ここシヴァプリ山では、別な意味があるのだろう。とにかく、ネパールには兵隊と警察官が多い。
チケットをチェックした衛兵は「日本から一人で来たのか」とびっくりしていた。こんな所でも、地元以外の観光客は、ガイド同伴で来ているらしい。旅行社のメニューにもバードウォッチングとか、数日かけたトレッキングとしてある。
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写真は前日撮ったもの、お寺の近くが国立公園のゲート。この山の植生を見るために登ってみた。
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谷間など注意してみて廻ったが、この高度ではやはりモダマはなかった。
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海抜2000m以下から石楠花は見られるが、はじめの頃は、高層樹の低木として、樹間に自生している。山を登って高度が上がるにしたがって、植生の樹高が低くなり、石楠花と同程度になる。よく陽が当たる場所に自生するようになる。
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そして、ドングリ類も見られるようになる。殻斗に棘のある小さなドングリが落ちていた。
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さらに登って行くと、木々にコケが多く着いているところを見ると、季節によっては雲霧帯になるらしい。そんな森の中でごそごそと動き廻る生き物の気配が・・・
あれ、こんな山中でも薪を採りに着ているご婦人がいる。
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やがて稜線が近いはずだが、この辺りにも集落があるのだろうか。行ってみようかとも考えたが、
すごくお腹がすいていることに気づく。時間は3:00になる。そうだ、お昼ご飯を食べていない。
これからさらに登って、集落に着いたとしても帰る時間があるだろうか。もう降りよう。
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山を下りしな海抜1700m辺りで茜科の植物が自生していた。試しに一本抜いて根を指でしごいたところ、オレンジ色の色素がついた。
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ネパール到着当初何度も訪れたが閉まっていた自然史博物館が、帰国間際に行って見ると開館していた。館内を廻って見たが、展示物だけで、資料保管室の有る気配がなかった。係員に聞いてみると自分は分からないのでとトリプヴァン大の学生を呼んできた。「植物標本を見せて欲しい」と頼んだが、標本室はないらしい。「館長の先生が離れの事務所にいるので会うか」と聞かれ、職員が案内してくれた。ネパール滞在の目的とこれまで廻ってきた場所、観察した植物などを話し、植物標本をできるだけ多く見たいと言ったところ「標本は、東京大学や京都大学にある」とのこと。それは知っていて、地元ならではの情報を仕入れたくて、何度も足を運んだのに、結局、真新しい情報はなかった。逆に「情報があったら教えてください」と言われてしまった。
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標本ラベルにネパール語では「PANGRA」と書かれていた。生薬屋さんで聞いたとおりだ。
先生とは、ネパールにおける学名の扱いが「Entada phaseoloides」になっているが、一部、
「Flowers of the Himalaya」などではそうであるが、一方、「Flora Malesiana」では、
Entada rheedii の分布域に含まれている事、最近、行われたDNAによる解析をもとに作成された系統樹では、Entada rheedii のクラスターに含まれることなどを話した。
これまで見てきたネパール産モダマの種子、莢、葉、花序等から後者が正しいと思われることも伝え、翌日、持参していたコピー資料などを届けてあげた。
合計5回、自然史博物館に通ったが、何も得られるものは無かった。結局、自分の足でモダマを追い続け、この目で確認していくのがよいのだろう。
(後で気づいたこと、トリブパン大学のCENTRAL DEPARTMENT OF BOTaNY の方へ行ってみれば、もっと情報はあったのではないかと反省。でも、はじめにストライキでごたごたして見切り発車したのと、ここのある情報で疑問を持っている種があって、それについて考えを整理しないと、話がまとまらないと思ったことなどもある。今、そのことを調べているので、いずれ連絡はする予定)

by modama | 2013-04-22 22:36 | Comments(0)
2013年 04月 19日

モダマを追って旅するアジア、4-9

ネパール、モダマ巡礼の旅、カトマンズでハッピーホーリー
ポカラでも目的のモダマに出会えた。はじめのムクナの間違えはむしろ儲けもんと言ったところで、あのようなハプニングは、この手の旅には着き物だ。
日本でも、モダマやムクナの名前を知らない人は、いくらでもいる。いや、知らない人の方が多い。
ただ、情報機器が発達している現在、調べることは容易い。調べて知ったつもりでいる人も多い。

そろそろカトマンズへ戻り帰国の用意をしなければならない。ストライキなどのことも考えると、飛行場のあるカトマンズに居て、新たな出会いを楽しもう。

この路線は、いわばネパールの幹線道路、バス便の数も多くある。どこに泊まるかなと考えて、行きがジョッチャンだったので、今度はタメルにした。まさに首都の観光地で人も多い。その分、情報も集まる場所である。宿を決めてから、本屋めぐりをした。
東南アジアの各地を廻ってきたが、カンボジア、ラオスでは、本屋が非常に少ない。あったとしても
欧米人が観光で来て読み終えて置いて行ったような本を集めて売っているような店がほとんどだ。
カトマンズの本屋を回ってみたところ、多くは地図を主体に置いてあるが、中にいっ店、品数のそろった店があった。チベット、ネパール、インドの本が揃っている。いかにも両国の交易国ネパールらしい。何冊かの本と地図を新たに買う。
そうそう、工房のスタッフのお土産も買っておこう。そんなして、街中をうろうろしていると荷物が増えすぎてしまう。
そこで、街中をはずれて、郊外の山へ行ってみる。ブダニールカンダとシヴァプリ山がいいだろう。
朝、ニューバスパルクへ行って、パルク外れの道路でブダニールカンダ行きのマイクロバスを拾う。
これが一苦労だが、アジアの旅では必須といってもよい。通りすがりのマイクロバスがスピードを緩めて、車掌が行き先を連呼しながら通る。自分の行き先に合った車に乗るのだが、車掌の言葉が理解出来ないので、こちらが行き先を連呼して、拾ってもらう。
車掌は、たいがい少年で、こちらの発音が正しくないから、二三度言ってみて「OK」を確かめる。
ブダニールカンダまで約1時間程で、料金20R、ローカルバスにしろマイクロバスにしろめちゃ
安い。
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ここのお寺には、池の中に横たわるヴィシャヌ神が奉られており、古い時代の立派な像だった。寺から先はシヴァプリ山の斜面で、小さな集落が点在する。坂道を登っていると、子供達がたむろしていて、いたずらっぽく微笑みかける。何かあるなと思っていたら、いきなり、水の入ったビニール袋を投げつけられた。ズボンがびっしょり。まもなくして別の子供グループが、かれらを追っかけて水をかけている。どうやら何かのお祭りらしい。
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行く先々で、村人たちが水をかけたり、色の粉をぬりたくったりしている。やば、これは巻き込まずには済まないな。また、背後からバチャと水がかかる。振り返ると女の子が逃げて行く。子供たちは
ビニール袋に入れた水や水鉄砲、バケツの水が多い。青年たちは色の粉を塗りたくる。c0023181_15195449.jpg
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やがて、お兄さんたちのグループものし歩いてくる。「ハッピーホーリー」と言ったかと思うと私の
顔に色の粉が塗られる。
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お姉さんたちのグループも通りすがる人を狙っている。もちろん、お兄さんたちも、もっと強烈なホースを持って待ち構えている。今日はとんだ戦争に巻き込まれてしまった。
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それでもどうにか村をぬけて山へ登る。さすがに、ここまで追手は来ない。カトマンズの街が静かに
?見下ろせる。本等に静かなのだろうか。もしかして、あの中でも戦火が繰りひろげられているのではないだろうか。このまま山を越えて、チベットにでも亡命するしかないのか。
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午後になって山を下り、バスでタメルへ戻る。ところが、街中は全てシャッターが降りていて、ここでも激しい市街戦が繰り広げられているようだ。はじめに会った外人が、その戦闘の凄まじさを物語っていた。
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私に向かって、女はホールドアップ、男は降参のポーズを見せた。はたして、この先、無事に宿まで帰れるだろうか。シャッターの閉じられた市街地にもゲリラは潜んでいるはずだ。と、心配している矢先、ビルの上からバケツで撒いた水が降ってきた。姿無き敵。
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通りですれ違った異星人の一段は、捕虜だろうか。とにかく、敵か見方か分からない。
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まだ、続々とやって来る。
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宿の近くまで来ると、勝利の雄たけびを上げているグループがいた。どうやら、この辺りは解放地区らしい。「ハッピーホーリー」と挨拶して通り過ぎる。
宿に戻ってシワーを浴びる。外では、まだ、単発的に戦闘が続いているようだ。今日は、もう、部屋の中に篭ろう。
そして、いつまでもこんことができる社会であって欲しいと思った。

by modama | 2013-04-19 13:02 | Comments(2)
2013年 04月 18日

モダマを追って旅するアジア、4-8

ネパール、モダマ巡礼の旅、ポカラのモダマ
朝、宿の車で出発間際、オーナーが「うちのかみさんと友達も一緒するが、いいか」と訊ねてきた。
「もちろん、かまいませんよ」と答え、私が助手席に座り、二人の女性が後部座席に乗り込んだ。振り返って見ると、二人とも街へ買い物にでも出かけるような身なりをしている。「???」
車を運転しているオーナーから「かみさんの友達の故郷だから、一緒に行く」と聞かされ納得した。
行き先は、ポカラから南西へ流れるSeTI NADI 川の右岸を20km程行ったバラッポカリ村だと言う。地図を見ても地名は載っていない。この川の左岸をカトマンズへ行く道が通っていて、途中、ベグナス湖やルパ湖などの観光地がある。その反対岸の小道を進んで行く。
まもなくして、村の入り口に到着するが、それから先は、徒歩で行く。一軒の農家に着いた。
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裏庭の方に回りこんで行くと、ヒゲのはえた男性が歓迎してくれた。今まで、ニワトリをさばいていたようで、庭の片隅にむしられた羽が散乱し、洗面器に首の無いニワトリが横たわっていた。
オーナーが「ここのニワトリは、とても美味しいよ」と言った。
空は雲が重くたちこめ、今にも雨の降りそうな天気だ。昼前に森へ行こうということになり、男が先になって歩き出した。その足取りが速い。
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女性二人を含めた私たちは、後からだらだらついて行く。一人の女性が、小屋を指差して「ここが、昔の私の家」と話しているとオーナーが説明してくれた。現在は、家族全員ポカラに住んでいるそうだ。オーナーの奥さんもこの近在の出身らしい。それで、ここから「パングラ」の情報を得たらしい。

まもなくすると、先を行っていた男性が小さな谷のところで木に登っている。追いついて見るとモダマらしいツルはない。彼が指差したのはムクナの莢だった。どうやらモダマとムクナを勘違いしているらしい。ひとつムクナの莢を割って種子を皆に見せたところ「パングラではない」と言った。それでは彼の立場が無いので「ムクナの資料も集めているので、助かります」と慰めた。
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家に戻って昼食の準備をはじめたら、雷を伴った雨がふりはじめた。裏庭の竈から急遽、鉄製の携帯用竈に火を移し変えてフロアで炊事することにした。この携帯用竈は浅い鍋状の鉄板に五択を取り付けただけの簡単な作りだが、島の浜などで焚き火をする時、炭が浜の砂を汚すので便利だなと思った。これがあれば、何処でも火が焚けて、後始末も楽だ。
雨は、さらに激しくなって強くトタン屋根を打つと思ったら、地面で雹が飛び跳ねていた、一円玉程の大きさで、片方が平らで、反対側が半球形をした形をしている。まるで製氷皿から取り出した氷のようだ。
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写真右が、今回ガイドをしてくれた宿のオーナードゥモさん。左がここの家主。真ん中は隣の人。
さすがに、普段から薪を使って生活しているとあって、外の竈から、すぐに火を移し、上手に火加減を整えた。まるで生木の様に見える枝でも上手に先の方から燃やしている。

フロアに置かれた簡易ベットには、一人の老人が座っていて静かに調理の様子を見守っていた。家の主人が鳥の内臓の部分を直火で焼いて、私と老人に差し出した。私は、この老人はこの家の家長かと思っていたが、後でドゥモさんから聞いた話によると身寄りの無い村の年寄りだそうだ。
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長い人生を歩んできた足、きっと、一度も履き替えたことがないのだろう・・・???

冗談は、さておき、料理が出来上がると奥の座敷で男達はネパール製ウイスキーの栓を開けた。もちろん、これが楽しみで、隣のオジサンや青年も集まってきている。家の主人が、部屋の隅から何やら植物の実を乾燥させたようなものを取り出してきて「これは元気になる薬だ」とか何とか言って手渡してくれた。ある男は、モダマの有る所を知っているとも言う。なにしろ、お酒がまわりはじめると
いろいろな話がとびだしてくる。
そこでガイドのドゥモさんは「これから行くところがあるので、失礼します」と切り上げる。みんなは、家の外まで送ってくれ、家主は両手を振って「また、来いよ」とか何とか叫んでいる。
車の中でドゥモさんが言うには「この村の人は、普段、お酒を飲まないから、これぐらいにしましょう」とのこと。ガイドとしては、冷静な判断だ。それと、彼の責任感があって、どうしてもモダマを
探さなければすまない、という気持ちがあるようだ。
帰り道に奥さんや一緒に来た友達の知り合いを見かけると「この辺でパングラ見かけない」と声を掛けている。ある人が「川のそばの畑の脇にある」と言うので行ってみることにした。
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間違えない、車の中から一目見て分かった。近づいて見ると、まだ、蕾ではあるが花序が着いている。これは素晴らしい。ナラヤンガードで莢と種子と葉を入手しているので、これで完璧に近い。
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ある図鑑でネパール産モダマをEntada phaseoloides として扱っているが、このように実物を見るかぎり、Entada rheedii に近い。そして、その種の中でもネパール、シッキム、北部ミャンマー、中国雲南、ラオスに分布するグループは、亜種として扱われてよいと思う。それらは植物分類を専門とする人に委ねるとしよう。

ここのモダマ自生地から少し上流側へ行くと、川が突然谷間の地中から流れ出ている。おそらく、河川堆積物の凝固した岩質の地下を流れていたものと思われるが、まるで、付近はカルスト地形のようにも見える。
バタレ・チャンゴとグブテシュワールマハーデブ洞窟と同種の地形かと思う。
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こんな風にして村を訪ねるのも楽しい。時間があればゆっくり飲んでもいいが、なにしろ、言葉が分からないのがネックだ。やはり、森で出会うのが良いのかもしれない。
今回は、ドゥモさんと奥さん、その友達にお世話になりました。ありがとう。

by modama | 2013-04-18 13:06 | Comments(0)
2013年 04月 17日

モダマを追って旅するアジア、4-7

ネパール、モダマ巡礼の旅。ちょっと休んでマチャプチャレ日和
タライ平原から北に登りポカラに着いた。と言っても実際は前日まで居たタンセンの方が南にありながら標高は高い。どちらかと言うとヒマラヤに近づいたという方がただしいのだろう。
せっかく、ネパールに来たのだから街と森ばかり歩いていないで、ゆっくりとヒマラヤの峰峰を見たい。

タンセンから乗ったローカルバスには、私ともう一人欧米人の外国人がいて、ポカラの町外れのバスパルクに着いた時、宿まで二人で相乗りすることにした。はじめにタクシー運転手と私が宿まで交渉したら200Rで決まったので、それに彼が同乗するかたちになった。
私の宿に着いて、降りる時、150Rを彼に渡した。彼の宿もレイクサイドだから、ここからそお遠くはないはずだ。
これまで、アジアをいろいろ旅して来て、欧米人パッカーのタクシー値段交渉をいろいろ見てきた。
ラオス・ビエンチャンでは、女性のパッカーがフランス語で、まくしたてるものだから、交渉していたトラックタクシーの運転手が引いた。私が街中の宿に着いてから、しばらくして彼女たちも到着したが、結局、値段はほとんど変わらず、他の客を降ろすため遠回りして来たにすぎない。長い時間乗っても得したことにはならず、時間の無駄になる。
なにしろ、はっきりした目安がないものだから、旅案内書の価格にこだわる。
私の体験では、ベトナム以外の国では、それほどボッたりしないと思う。(それでも空港から街に入る時は、要注意)

着いた宿は、4Fの部屋で東と南に窓があって、トイレ、温水シャワー付きで10弗だった。
まず、部屋を見せてもらい、相手の言い値で納得すれば決める。
ポカラでは、これぐらいが相場だろう。むやみに値切り交渉はしない。
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部屋の右手前に入り口があり、もうひとつのベットが左手にある。私の座っている椅子の前に小さな机があり、左手がトイレとシャワー室。これだけの広さがあれば充分だし、室内は清潔でもある。
静かな宿だった。4日滞在。

到着の夕方、宿のオーナーからトレッキングを誘われた。行きたいのはやまやまなのだが、目的が
あることを告げた。オーナーは「パングラ」を知らなかったが、種子を見せて、誰か自生地を知っている人がいないか探して欲しいと頼んだ。もし、情報が入ったら車でガイドしてくれるようにもお願いした。彼にとっては、トレッキングで利ざやを稼ぐよりもモダマガイドで、自分が車を使って案内
した方がよいはずだ。「詳しい人に聞いておく」と言ってくれた。

兎に角、明日は日本山妙法寺のストゥーパがある山に登って、ヒマラヤを眺めてみたい。

翌日、はりきって朝6:00に出かけた。日の出の頃ストゥーパに着いたが、ポカラ盆地は靄につつまれていた。昨日までは天気がよかったのにな~。しばらくまった。
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やがて、この寺を管理しているらしい白装束の男性が、朝のお勤めをはじめた。うちは太鼓を敲きながらストゥーパを時計回りに周り、正面に来ては祈りを奉げ、それを繰り返していた。
もう一人、チベット僧の着るあずき色の衣をまとった女性もいたが、彼女はお題目をあげず、静かな眼差しでようすを見ていた。眼鏡をかけた知的な初老の女性だった。

それにしてもいっこうに靄が晴れる気配が無い。待ちくたびれてベンチに腰をおろすと、その女性も
隣のベンチに腰をおろした。しばらくして、彼女が「向こうに行ってお茶でも飲もう」と言ってくれた。いや、そお言ってくれているように思った。(どんな言葉だったか、まったく記憶にない)
私は「晴れたらヒマラヤの写真を撮りたいから、まだ、待っていたい」と言うような意味のことを言ったはずである。(これも、何語で話したか記憶が無い)それから30分程すると、白装束の男性も姿を消し、下のほうから観光客が来だした。「もう、だめかな」と心の中で思っていると、ふっと、隣の女性が目にとまり「今日はあきらめなさい」といっている気がした。「そうだな、だめなときはだめなんだ」と思うと、女性がニコッと笑った気がした。それで「そうだ、お茶に誘われていたんだ」と思い出し、行きましょうと合図をした。はじめ声を掛けられた時から一時間はたっていたと思う。
その間、彼女は何を考えていたのだろうか。私の返事を待っていたのか、いや、そうではなく、私と同じように靄が晴れ、ヒマラヤが姿を現すのを待っていたように思われた。
たぶん、彼女は毎日の様に、ここからヒマラヤの姿を見て暮らしているのだろう。だから、自分が見たいというのではなく、私が見たいと思っていることに共感して「靄が晴れないだろうか」と彼女も時を過ごしていたように感じた。だから、私があきらめた時、彼女も同じことを感じ、我に帰ったのだろう。お茶の返事を待っていたのではない、と思った。

彼女が先にたって歩き、私が後をついて行った。ストゥーパへ至る階段の右手には、集会所みたいな建物があって、その横がトイレで、そこから少し離れて宿舎風の建物がある。手前が炊事場みたいで、奥に同じようなドアが幾つか並んで、その前が広いスペースのフロアになっている。
入り口にはロープが張ってあり、ノーエントリーと書かれた看板が吊るされている。
そのロープをまたいで、炊事場の方へ「お茶をお願いね」と声を掛けた。
隅に片付けてあった椅子を二つ持って来て、かけろと言う。
それからお茶が出てきて、20分ぐらい話して分かれた。

だか、後で気づくと何語で話していたのか、まつたく思い出せない。
内容は次のようなことだ。私は日本から来て、カトマンズからチトワン、ナラヤンガード、ブトワル、タンセンと廻って、昨日、ポカラについた。今日は、ヒマラヤを見にここへ来たが、あいにくの天気で見ることができなかった。ネパールに来た目的はパングラと言う植物を調べるためだ。(リックからモダマの種子をひとつ出して彼女に手渡した)この種子を握り締めていると、とても心が落ちつく。(彼女がうなづいているのを記憶している)・・・。別れしな彼女にそのモダマをあげた。

彼女がはじめ、お茶をさそったのも、炊事場にお茶を頼んだのも何語だったのだろう。
多分、彼女は英語を話さなかったと思う。ネパール語かチベット語に違いない。私もほとんど日本語で話していたと思う。でも、何だかすべて通じていたような気がする。

来た時の道とは異なり、宿舎の裏木戸からフェワ湖側の北斜面を降りて帰ることにした。こちら側は
南斜面と違って森が残っている。Castanopsis indica と思われる小さなクリが道に落ちていた。
モダマは探せなかった。
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樹相は二次林の様で、大分人手が入っていると思われた。ときどき陽がさすと、林の中を蝶が舞った。
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麓近くなると人里が見られた。林の中をがさがさ動く気配がするので何かと思うと、篭を背負ったご
婦人だった。水牛の餌を採っていると言う。先ほど山の上でお会いした方と比べると下界の人に見えた。(失礼)
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石垣島でもよく見るようなセセリチョウがいました。

その翌日のことです。ついに、マチャプチャレ日和。
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朝、夜明けに部屋で目覚めた。カーテンをひらくと東の空がすこし明るくなっていた。朝日の登るころに宿の屋上へあがった。正面にマチヤプャレの姿が見えた。
その日は、ポカラの街中を歩いて、いろいろな角度からヒマラヤを眺めた。
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そう、そう、この日もただヒマラヤを眺めて歩いたのではなく、モダマ屋さんのありそうなオールドバザールも見て廻った。しかし、貴金属加工の店は多かったが、生薬屋はなかった。
写真は、ポカラの北にあるヒンドゥバシニ寺院より。
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ヒマラヤの写真を撮っている時、寺院のベンチにいた娘「お茶しましょう」と声が掛かれば、すぐにでも返事するのに、声は掛からなかった。きっと、そお言われても言葉が通じないだろう。
世の中、摩訶不思議だ。

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オールドバザールの家並み。
チベット交易も廃れ、街に活気はないが、まだ、古い時代の建物が残っている。
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夕方、宿に戻ってビールを飲んでいるとオーナーがやって来て「パングラの情報、ありました。明日、行きましょう」と言う。自分で歩き廻らなくても、椅子に座ってビールを飲んでいるだけで、
こんないいこともあるのだな。明日が楽しみだ。

by modama | 2013-04-17 11:05 | Comments(0)
2013年 04月 15日

モダマを追って旅するアジア・4-6

ネパール・モダマ巡礼の旅、宿にて地図を広げる
いつも旅に出かける前は、情報を集めたり、地図を見たり、グーグルアースで上空視察をしたりして、時を費やす。現地に来てからも、なお、情報を集めたり、新しく地図を探したりする。
今回、カトマンズの自然史博物館が休刊だったため、情報は入手できなかったが、地図を買ったりした。
ナラヤンガードに来て、これまでの道のりや滞在したチトワン、それにデブガード、ラムナガール、やそのその周辺を、宿で休息をとっている間、地図で再確認する。現地に入ってから見る地図の情報は、これまでの机上の想像とは違って、より現実味を増す。
また、森で採集したモダマ種子や葉などを整理する。種子は浮力を調べ、葉は仮押し葉にして、コピー機のある場所では、スキャンしておく、もちろん写真でも撮影しておく。
旅の途中、何かの不都合があっても、旅で得た情報は失わないよう心がけている。

宿の部屋で、もぞもぞとそんなことをしていると、何やら外が騒がしくなってきた。はじめは人声が
増え、だんだん高まり、拡声器で増幅された声までに発展した。やがて、シャッターの閉まる音がして、ただからぬ様相に気づいた。
私が居るのは2F(実質3階)の部屋で表の道路には接していない。そこで、廊下の突き当たりから
道路に面したベランダに出てみた。
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ベランダではすでに従業員が一部始終を見ていて「マオイストが隣のホテルを襲撃して左の方へ逃げていった」と話してくれた。上から見ていると口論する人だかりは、減る様子もなく、一時、右手の
本通りの方へ移動したり、迷彩服の警察官が駆けつけたりしていた。ホテルの位置は本通りから50mほど路地を入ったところにある。すると、本通りの方からやって来たことになり、そちらの様子が
気に掛かったが、外にでるのは控えた。写真でも分かるように商店のシャッターはみな閉まっている。いつ、再発するか分からない、人々の熱気に備えている。
20分程見ていて、これ以上の混乱はないと判断して、部屋に戻った。
モダマの押し葉を写真に収めた。
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写真を撮り終えてから、ベットの上で地図を広げ、ナラヤンガード東の広大な保護地域の森を見つめた。地形や位置的にシッサーヒマラヤの扇状地であることが分かる。その下(南)にチトワン国立公園、PARSA WIldLIFE RESEVE があり、さらに南に小高いsomeswar rangeがあり、ガンジス平原が広がる。
これらの地形を数百メートル隆起させると、チトワンからナラヤンガードにかけての原野、扇状地は
盆地になる。また、ナラヤニ川をインド国境付近で塞き止めると、広大な湿原ができ、やがて湖になる。それらは、カトマンズやポカラが果って歩んできた道ではないのか。などと、想像しなから、今日ひと時の昼寝を楽しんだ。

「大地は、いつしか山になった」と言うのが、今回の旅のテーマである。植物はその大地に根を張り、種子は移動する。数千万年もの間に、その地で変異をとげたもの、移動し新しい生育地を得て、
変異したもの、大地が山に成ることによって多様性は拡大された。高山植物の様に、その気候に適応していったものたちもあろう。高度の上昇と気候の変化に適応できず、その地では滅んだものたちもあろう。一方、種子が移動することで、遭遇した新天地で適応していったものたちもあろう。
ヒマラヤは、その壮大な地球史におけるドラマを解く鍵を秘めているのではないだろうか。

チトワン、ナラヤンガードでの調査を終えて、明日はシワリク丘陵に沿ってタライ平野を西にブトワルまで向かう。できればこの地でこそ滞在をして、いろいろ歩きたかったのであるが、この間の情報が少なく、宿泊先の有無、足の便、などなどの関係上、ローカルバスで移動のみすることになった。
ここで是非見たかったのは、モダマの化石種であるEntada palaeoscandens を含む第三紀中新世の地層のある環境である。
ネパールで、これらの地を巡るにはジープかトラックが必要だろう。もちろん個人で行くには免許証もいる。これまで、旅をしながら感じたことは、ネパールには警察と軍隊がいたるところに配置されていて、取り締まりがきびしい。自動車にも全てナンバーが付いている(あたりまえなことか)
東南アジアの国々では、ナンバープレートの無い車をよく見かけた。実際、レンタルしたオートバイ
にもナンバーが無かったし、せっかく、出国前にインターナショナル免許を取得して行っても、一度
も提示させられたことがない。

今回、ナラヤンガード~ブトワル間は、ローカルバスの車窓から景色を見るだけに決めた。
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ビナイコーラ(ビナイ川)の橋より。
ネパールにおけるモダマ化石種の発掘は、主にインドの学者によっておこなわれている。
モダマだけではなく、他の植物化石、動物化石などから第三紀から更新世にかけての古環境変化が
予測される。隆起するヒマラヤがもたらした気候変化は、これらのデータとベンガル湾の海底堆積物によって、研究さている。

第三紀中新世のモダマ化石は、日本からも報告されている。しかし、その内の幾つかは再検討が必要かと思う。いずれにしろ、日本においては、その後の更新世時代起きた行く度かの気候変動によって
モダマは生育できない環境下におかれたであろう。現在の分布を見ても南西諸島にしか分布していないことが、その事実を裏付けている。
しかし、ネパールにおいては、周年温暖湿潤な気候から乾季、雨季のはっきりした環境に変化したが、モダマ等の熱帯、亜熱帯系植物が生育できない環境には会っていない。しいて言えば、一部隆起によって高度がたかくなりすぎ、気象の変化に適応できない環境下の個体群が喪失されたかも知れない。
一方、種子に浮力を有していた時代には、雨水や河川、氾濫原による水散布が働き、分布拡散がおこなわれたであろう。残り続けるものもあれば、新しく分布地を獲得したものもあるであろう。
ネパールに関わらず、中国雲南、ラオスなどの山岳地帯のモダマ分布地を旅していると、水散布の
有効性が時代によって変化してきたことが、地形の変化を読み取ることで理解できる。
また、モダマ種子の浮力喪失という変化も、長い時間の中で選択された結果も一因としてあるのかも知れない。
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ブトワルの街並み。ローカルバスの中で車掌に「何処へ行くのか」と聞かれた。「ブトワル」と答えると「何で、そんなところで降りるか」と言い「ルンビニに行きなさい。ルンビニは素晴らしい所ですよ」と説教された。「タンセンからポカラへ行く」と言い訳をしたが、目的まで説明する語学力も
気力も無かった。
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ブトワル市街地の空き地で見つけたCaesalpinia sp 、ジャケツイバラとは、あきらかに違う。莢の形は、日本の南西諸島に分布するハスノミカズラにも似るが、種子の形はシロツブに近く浮力も備えている。ネパールで、この属は5種が記録さているらしい。詳しい同定は今後の課題としよう。
翌日、タンセンへ向かう。
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十五世紀ごろ、中部ネパールからインドの一部を支配したパルパ王国の首都だった地、海抜1350m
程の山の尾根に位置する。したがって街は、いたるところが急斜面、かつては、車の往来も少なく静かな街だったらしいが、現在では、高性能の車とオートバイの普及で、街中の隅々まで車が進入している。古くからの街並みは小規模ながら残っている。
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街の背後にあるスリナガールの丘に登ってみた。南斜面は松林で、北斜面は自然な植生が残されているようだった。と言っても、古くからの都であるから完全な自然林ではない。
ネパールもこの高度になると亜熱帯と温帯の要素が混じりはじめる。南西諸島で良く見られるデイゴの仲間やセンダンの花が咲いていた。時期的にも開花期が一致する。
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丘の頂上付近で、出会った日本のタンポポに近い種。
何故か親しみを覚える。
一方、街中で出会ったこの光景、日本では考えられない「瞑想(迷走)する足場」。
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「そうか、過程はどうであれ、建物は立派にできつつある」
別に問題ないよね。

by modama | 2013-04-15 12:36 | Comments(0)
2013年 04月 13日

モダマを追って旅するアジア・4-5

ネパール・モダマ巡礼の旅・ナラヤンガード・ラムナガル編
デブガードのカンダキ川側でモダマ自生地の情報を得たので、そこはひとまず予備地として、
今回は、狙いを定めていたラムナガールからティムロ村にかけて出かけることにした。
朝、6:00宿を出て通りでリクシャを拾いボカラバスパルクへ向かう。
アジアのバス乗り場は、大概街に幾つかあって、東西方面行きのターミナルであったり、南北方面
行きのターミナルであったりする。ナラヤンガードでは、橋の手前が東西方面、北に行ったところが
ポカラ(カトマンズも)方面になる。そして、各ターミナルにも、比較的近距離の場所へ行く乗り場
は、ターミナル近辺の路上であったりするので、はじめのうちは戸惑う。
おまけに、行き先は全てネパール語で、英語表記は無い。
頼りになるのは、車掌の呼び込みだけだが、それも早口で、目的地を連呼しているので、地理に
詳しくない外国人が、バスの行き先手前の場所へ移動しようとしても、分からない。
そこで、自分で行きたい場所をこちらから大声で連呼する。
今回もポカラバスパルクで、「ラムナガル」を連呼していたら、他のバスの車掌(少年)が、
バスパルク外れの道路を指差して「あっちだ」と教えてくた。
でも、それで乗れるわけではなく、その乗り場からも各行き先のバスが出るので、
「ラムナガル」へ行くかと確認して乗る。幸いラムナガルは近いのでいろいろな路線が通過する。
7:00頃、ラムナガル村で下車して、車道からティムロ村に向かう小道を見つけ森に入った。
グーグルアースの空中写真では、緑一色の森としか理解できないが、実際行ってみると
樹高3~40mのシャール林で、まっすぐ伸びた大木の樹間には、中間層の樹木が無く、
実に清清しい、見通しの良い森だった。
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乾季の終わりに近い現在、樹冠から落ち葉がひらひらと舞い落ちていた。
この先、葉が落ちてから、新緑と共に花が咲くのだそうだ。
中高木や下草が少ないのは、ヤギの餌にされたり、薪として利用さているからだ。
しばらく、森の中を歩いていると遠くで木を斧で切る音が聞こえた。
「今時、斧で樹を切る人がいるんだ」
それにしても森に響く斧の音は気持ちがいい。二人の切り手が交互に発する音には高低があって
リズムカルで、森の雰囲気にマッチしている。
森を抜けるとチウタラの石組みがあって、そこからティムロ村が朝の光に輝いていた。
十数戸程の小さな集落だ。
学校へ行く子供達が畑の小道を通って、こちらへ向かって来る。
チョウタラは休息場所でもあるが、待ち合わせの場所であったり、目安にもなる。
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村を一回りして、農作業をしている人に「上の森にパングラはありませんか」と聞いたが
「ない」との答えだったる
帰りしな森を通った時、まだ、樹を切る音がしていたので踏み分け道をさがして近づいて行った。
小さな渓流があり、それを遡るとやや上の方で人影が見えた。
「ナマステ」と声をかけて、近づくと、立ち樹を切っているのではなく、
倒木を1m位に切断していた。
日本ならノコギリで切る作業だが、財が硬いため斧を使っているのだろうか。
切断した丸太をさらに縦割りして薪にするのだが、
そのひと束が大きく4~50kgはあるだろうか、女性の背負う量としては重い。
森の現場には三人の男と二人の女がいて、男が丸太を切って、割り、女が運び出している。
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作業の手を休めた男達に、タバコを勧めてみた。
一人の男は、手を振って断り、他の一人に勧めた。
「この森にパングラは有るか」と訊ねると「ここには無い」と答えた。
タバコを断った男が、英語を話すので「何処かにパングラの自生している森を知らないか」と
訊ねると「東の森にある」と言う。「明日、また来るので是非案内してくれ」と頼み込んだ。
彼の名は、ガガニシン・マガラ、ティムロ村のチウタラから坂を下って一番はじめの家だと言う。
朝8:00に家に行くと約束して別れた。
しかし、森の中を戻りながら「ナラヤンガードからポカラパルクまでリクシャに乗って、バスでラムナガルへ、それから森を歩いてティムロ村までその時間に着けるかしら」と心配になった。

翌朝、6:00時に宿を出て、バスパルクに行くとちょうどラムナガルへ行くバスが止まっていた。
今度はラムナガルで降りず、ティムロ村へ行く森の入り口で降ろしてもらった。
そんなことで村入り口のチウタラに7:30には着いてしまい、時間を潰さなければならなかった。
それでも、河川段丘に開けた村の景色を眺めるのも楽しい。
マガラの家や畑の様子もじっくり見ることができた。
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写真中央は深い谷になってトリスリ川が流れている。手前段丘は二段になっており、耕作準備をしている畑の向こうには、一段低くなってバナナの畑が広がる。
河川の向こう側も同じように段丘があって、それからシワリーク丘陵、マハバーラト山脈、ハイヒマラヤとつづくが、ヒマラヤの峰峰は霞んで見えない。
マガラの家から見た裏の畑、左手に牛小屋、ヤギ小屋があり、奥に納屋などが見える。
畑には堆肥が配置され、いつでも鍬起こせる準備が出来ていた。
現在は、乾季の農閑期なので、森から薪などを運び出し、農繁期に備えているらしい。
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マガラの家に行くと、奥さんが出てきて「マガラは畑に行っているので待っていてくれ」とのことだった。昨日、森で会ったもう一人の男も顔をだしたが、しばらくして家に帰った。
9:00頃、自転車に乗ってマガラが戻ってきて「準備をするから少し待て」と言う。
下のバナナ畑で朝の農作業をしていたらしい。
しばらくして「準備ができたから家に上がってくれ」と言う。「・・・?(何のこっちゃ)」
家の二階ベランダに通されると食事の用意が出来ていた。
「な~んだ。準備って食事のことか。悠長なもんだな~」
食事が終わって「さぁ、行こか」というときも、畑から帰ってきたときと同じ姿、毛糸の帽子と
ゴムゾウリ。彼が先頭に立ってチヨウタラへ向かう坂道を登って行く。
森の中の道まで来ると、向こうから昨日、薪を背負っていた婦人が二人着て、合流する。
少し若い方の婦人を「俺の妹だ」と紹介された。すると、彼女はティムロ村からラムナガル村へ嫁い
で行ったのだろうか。その辺のことはよく分からないが、そから先は彼女たちが森案内わしてくれた。車道を越え、保護区側へ入る。
そこの森は広く、入り口付近は送電線の塔の下が牧のようになっており、森に入るにつけ、下草も
多くなり人手のあまり入っていないことが分かる。
彼女たちもゴムゾウリでペタペタと足早に藪を潜り抜け、森深く入っていく。時々、サラの樹の
大きな葉で足を滑らせると「アギァ」と一声発するものの、また、体制を立て直すとズンズン進んで行く。
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時々、立ち止まって森の中を見回し、方角を確かめてから歩き出す。
水の無い小さな谷に降りたところで、樹冠を見上げ、根元の藪を透かし見て、モダマのツルを
探し出した。
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モダマを確認すると、責任を果たしてほっとしたとでもいうように、腰に巻いた布の間から
タバコを取り出し一服した。そうそう、まずは一服。
乾季のせいか、ラオスで会ったようなヒルの一斉攻撃はない。
タバコを吸い終えると林床に落ちている種子を拾ったり、ツル上の莢を採取したりした。
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ネパールのモダマをEntada phaseoloides扱いにする学者とEntada rheedii 亜種扱いする
学者がいるが、莢、種子、花序の着き方(残念ながら花はまだ見ていない)などから
私はEntada rheediiが正しいと考えている。













そのことは、帰国前に自然史博物館に寄った際にも、館長の先生に話して来た。
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写真、左がラムナガル村の森で採集した種子、右がナリヤンガードで購入した種子。
カトマンズで購入した種子も赤茶系で、こちらが多いようだ。
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ガガニシン・マガラとたくましいご婦人たち、ありがとう。

by modama | 2013-04-13 13:05 | Comments(0)
2013年 04月 11日

モダマを追って旅するアジア、4-4

ネパール、モダマ巡礼の旅、ナラヤンガード周辺・4
旅の計画を立てる段階で、グーグルアースを使って空からネパールを随分視察した。
現在は、科学技術の進歩で地図とは別に空中写真からの情報で、
地形や植生も別の角度で腑眼できる時代になった。
しかし、それらの写真も必ずしも現在ではなく、また、識別できるわけでもなく、
これまで、いろいろな失敗も味わって来た。
例えば、雲南では、写真と現実との違いに驚かされた。
人々の開発のスピードが速く、空中写真の制作された情報とは異なる場合もある。
それはいたしかたのないことでもある。

今回のモダマを追ってネパールを旅する前に、調べた情報では自生地の有力候補として、
チトワンの北側、ナラヤンガード周辺をモダマ自生地の探し易い場所と考えた。
ナラヤンガードはカトマンズにつぎ、ネパールの第二の商業都市として発展している。
しかし、一方、チトワン国立公園は、その都市の東まで続き、保護地域が指定されている。
シワリーク丘陵の麓に続く、この場所こそ、観光開発もされず、自然の森が残る場所と考えていた。
自由に行動できそうなナラヤンガード周辺の森をモダマ自生地観察の場所として選んでいた。

チトワンから帰る人々は、ほとんどがソウハラからカトマンズかポカラに向かう。
私はナラヤンガードで降り、宿を取った。
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まずは何時もの様に滞在する街のウォッチングからはじめる。
経済活動の盛んな街とあって、ネパールで供給の少ないガソリンを求める光景が見られた。
オートバイが給油のため行列をつくっていた。
ガソリンは主にインドから輸入しているらしい。
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例によって街中を歩き廻り、モダマ屋を探す。
ネパールでは、めずらしく地べた売りの生薬屋兼数珠屋があった。
しばらく、傍らに座り込んで商いの様子を見ていた。
通りすがりのオジさんが、何やら注文すると、ビニール袋に入った粉末を調合した。
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客も常連らしく「何々をもっと」とか注文をつけ、調合させていた。
試しに飲んでみたり、納得のいくまで作らせ買っていた。
ネパールでは、地べた売りは基本的に禁止らしい。
この生薬屋も私がモダマを買ってから、間も無くして再び通りかかると姿がなかった。

ナラヤンガードに留まった理由は、モダマ自生地を訪れるのと、もうひとつ、ヒマラヤから
流れくだる川がタライ平原に至る有様を見たかったからだ。
ハイヒマラヤの峰峰から水を集め、マハバーラト山脈の谷を深く侵食して、シワリーク堆積層の
丘陵から大平原に流れ下る。その地形形成と、そこに生きつづける植生を見たかった。
旅程でカトマンズからチトワン、そしてシワリーク丘陵とタライ平原の境界に沿って西に移動し、
ブトワルから再びポカラに遡るというコースは、そのためだ。
ヒマラヤ形成、別の言い方わすれば、インド亜大陸とユーラシア大陸のプレートテクトニクス運動
から生じた地球の皺が、地形を変え気候を変えていった結果、その上で生育し続けてきた植物に
何をもたらしたのか。
種子が水に浮き、散布される植物にとって、それらの変化はどのように影響しているのか。
水散布は、どのような地形でどのような結果を生むのか。
大陸内陸部のモダマ種子の浮力喪失は、どのようにして生じたのか。
などなどを考える手がかりを得ようと思っている。

そのことは、ここではさておいて、ナラヤンガードを流れるナラヤニ川は、
少し上流のデブガードでトリスリ川とカンダギ川が合流して中部ネパールの雨水をガンジスへ
もたらしている。街の西側の河川敷へ行ってみる。
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川砂と小礫の河川は、市民の集いの場であり、物乞いたちの住処であり、洗濯屋の仕事場でも
あった。河川敷は不安定な土地(雨季と乾季で水の流れが変わり)、侵食作用によって変化を
もたらさる。それは植物の植生にとっても同じであろう。条件としては海浜と似ている。
決定的に違うことは、作用する対象が海水と真水の違いだ。
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デブガードの河川敷では、一部で砂岩や礫交じりの砂岩が露頭していた。
南の島で見られるビーチロックにも似ている。
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都会に近い河川敷を象徴するかのような光景。洗濯屋の営みとゴミ捨て場。

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友人がインドへ旅行へ行った時、職業を聞かれ「クリーニング業」と答えたら白い目で見られた
という。インド、ネパールではカーストの低い職業なのだそうだ。
不安定な「ニッチ」には、土地を持たない人たちが集まる。植物でも移入種が最初に根付く場所
でもある。しかし、雨季に流されてしまったりもする。
職業としての洗濯屋は、川さえあれば、はじめ身体ひとつからはじめられる仕事であり、
やがて、雨季でも対処できるように小屋を作り、専業として営むこともできる。
りっぱな職業であるが、都市が巨大化する中で身分制度が確立され、そのような考えが固定化され
たのであろう。店を構えれば「商業」としてのカーストにならないのだろうか。
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ナラヤンガードに着いた翌日からは、周辺の森をめざした。
はじめに行ったのが、デブガードのカンダキ川側、次がトリスリ川側のティムラ村、
ここでは、素晴らしい出会いがあった。
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吊橋を渡ってデブガードへ、下をトリスリ川が流れる。
(今の暮らしのために重い煉瓦を背負って渡る者、林住の庵に向かう者、それぞれが吊橋を渡る)
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刺し網を引き上げて漁をする少年たち。

二つの川が合流するこの地は、古くから聖地として崇められてきた。ヒンドゥー教徒の中には、
老後を林住期と称し家督を長男に託し、一切の財産を譲り、妻と共にこの地に庵を建て暮らす
人々がいるとのことだ。
カンダギ川に下りてみると川原に薪が積まれていた。やがては灰となってガンジスに流れ下ること
を良しとしているのだろう。
いつまでも生にしがみつく人々、死を不安に想い恐れる者たち、
そに対し、死を当然のこととして、受け入る精神的な覚悟を素晴らしく思った。
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吊橋を渡って集落内に入ると寺院や全寮制のサンスクリット学校などがあり、さらにカンダギ川
に沿って奥に進むとデブハット、デブプルの村になる。
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この辺りまで来ると観光客もめったに来ないらしく、村中を歩いていると視線を感じる。
T字路にあった売店でご婦人方が数人世間話しているのに出くわし
「何処に行くのか」と声をかけられる。
説明の仕様がないので、ポケットからモダマ種子を出して「パングラーを探している」
と日本語で話す。「パングラー・・・?」「うん、パングラーだ」などとご婦人方が話している
ような感じがし、一人が私の行こうとしていた道を指差して「あっちに有るはずよ」と
言った気がする。目的無しに見知らぬ村中を歩いていると不審に思われるが、目的があることを
知ってもらえると暗黙の了承を得られる。村の犬にも吠えられない。

しばらくして、ヤギを追う親子と思われる人に追いついた。村はずれの谷へ降りる手前のチョウタラ
(休息所)でしばらく休んでいたのでご一緒した。若い男性の方に声を掛け、この辺にパングラー
が無いか聞いてみた。男は、ヤギを追っていた小枝で谷の向こうの、さらに向こうを示して、
「あの森に有る」と教えてくれた。手前の谷を降り、向いの斜面を登って、尾根を越え、さらに
谷を越えると別の村があり、その村を越えた谷の森だと言う。
蛇行するカンダキ川沿いの斜面がかすれた辺りに確かに森が見える。これから行くには遠すぎる。
私たちが話している途中、老人はヤギを引き連れて谷を降りていった。
間も無く、向いの斜面を登って行くのが見える。
男性は、老人とヤギを小枝で示し、その右側に小道があるのを登って行けと教えてくれた。
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時刻も昼近くなっていたので、時計を示し「今からは行けない」と合図をして、御礼の挨拶を
交わし別れた。チョウタラの木陰で話をしていると何となく心が通じる。
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道を少し戻ってか、先ほどの谷に下りる道を見つけ、
その道の切りとおしに興味を引かれ降りて行った。
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法面の露頭は、まさしくシワリーク堆積層の組成を現している。
ハイヒマラヤやマハバーラト山脈が高度を増す課程で、崩落、堆積した土砂が麓に溜まり、
その場所が沈下して堆積がさらに進み、やがて隆起したのがシワリーク堆積層丘陵と考えられている。この地こそが、インド経由で広まったモダマ分布の集散地だと私は考えている。
その後、長い時間を経て隆起が進むと同時に東と下方へ、一方では河川を流れ下り、
東南アジア、セイロン、インドネシア、オセアニア、太平洋諸島、フィリピン、台湾、南西諸島
と広まったのであろう。もちろん、各地で分化を伴いながら。
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谷を遡っていくと、所々で水浴び兼洗濯をする子供たちと出会った。さらに遡ると谷が開け、
耕地が広がってきた。その一角から太鼓の音に会わせ女性の歓声が聞こえる。
「こんな山中の耕地で何をしているのだろう」
石を積み上げたチウタラの上を舞台にするように女性たちが踊っている。
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どうやら女性たちだけの行事のようだ。炊事をしたり、ビールを飲んだりして楽しんでいる。
「ナマステ」とだけ声をかけて、それ以上近寄らないことにした。
一瞬、太鼓の音が止み、踊り手も静止したが、非難の視線は感じなかった。
たまたま出くわしてしまったのだからしかたがない。
脇道に逸れ、斜面を登って行くと、下のほうからまた太鼓の音が聞こえはじめた。
山中で、女性たちだけの行事に出くわすとは夢にも思わなかった。
現在、乾季の終わりなので、これから迎える雨季はじめの農作業を前に、
一時の休暇を楽しんでいるのだろうか。
ネパールの旅は、思いがけない出会いにあふれている。

by modama | 2013-04-11 19:11 | Comments(0)
2013年 04月 11日

モダマを追って旅するアジア・4-3

ネパール、モダマ巡礼の旅・3、チトワン
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朝靄の立ち込めるチトワン原野、早朝、象に敷き藁を積んで村へ帰る象使い。
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広大な原野と森をゆったりとラプティー川支流が流れる。森の樹冠から朝日が昇る。

ネパールでのモダマ自生地探しでは、このチトワンが最も有望視さる地域だった。
旅立つ前に多くの情報を集め、幾度となくグーグルアースを使って上空から視察もした。
しかし、なにせ広い。とりつく手がかりはソウハラ村が一般的だが、
ここでの受け入れ体制は、多くがパッケージツアーになっている。
宿泊と自由選択のできるアクティビティが用意されていて、エレファント・サファリ、
カヌー・ライド、バード・ウォッチング、ジャングル・ウォーク、ジープ・ドライブ、
ラフティングなどが楽しめる。しかし、たいがいが数人単位の行動で、コースも決まっている。
個人的に「モダマを見たい」と要望しても、宿泊付きのガイドがはたしてモダマを知っているか、
自生地を巡るコースを用意しているかは分からない。
そのことは分かっていたので、ここでは、リゾート気分を楽しむのと海外の国立公園でのガイドさん
の様子を観察(視察)させてもらうことにした。
もちろん、宿泊先のマネージーには「私は森でモダマ(パングラー)を見たい」と告げた。
「・・・」(何じゃそは?)という顔をしていたので、とにかく森に行くアクティビティを
用意してもらった。結果、立ててくれた日程プランが、行きが刳り舟に乗って川を遡上し、
帰りはジャングル・ウォーキング、とエレファント・サファリ、朝のバード・ウォチングだった。
ロッヂに案内され、荷を解いて、プランの合間に宿泊先を抜け出て、地元の人の集まる食堂兼
売店に行き、カトマンズで買ったモダマ種子を見せて「これは何ですか」と聞いてみた。
店に居た一人の男性客が、「タトゥナ」と言い、他の客もそうだと言った。
「・・・???」ソウハラ村では「タトゥナ・・・と言うのかな?」
客の一人の一見ガイドをしてそうな男性が、メモ用紙に「Tatna」と書いてくれた。
ネパールでもチトワンのある南部、この地域のタルー族の呼び名だろうか?
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欧米人のグループと刳り舟でワニを見ながら川を遡上する。
先頭に立って説明をしてくれるガイドさん。
彼にジャングル・ウォーキングの時、「ネパリネームでパングラーorタトゥナはこの辺に生えて
ないか」と訊ねたら「・・・?」だった。
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象に乗って水遊び。象が川岸に鼻を乗せ、人は鼻から頭、背中へと乗り込む。
象の背中に乗る前から川に落ちる人も、象の背中では、鼻からのシャワーを浴びせられる。
乗る人も見る人も楽しい。

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この日は、象のブリーデングセンターへ行ったりもした。
帰り道、アーミーキャンプの横の道を歩いている時、金網の向こう側に子供のサイがいたので、
ガイドに聞いてみると「トラに襲われて負傷しているので保護している」と言っていた。
確かに左目の付近が傷ついていた。
写真を撮ろうとしたが、銃を持った兵隊がいるし、キャンプ内の撮影は原則禁止なので止めた。


私はアクティビティの合間に、よく宿泊施設を抜け出して個人行動をとる。
もちろん、モダマの情報を得るためだ。
もし、確実な情報があれば、滞在日数を延ばして、個人ガイドと共に森に入るつもりでいる。
そのためにも、宿専属のガイド以外にも、村人などとも多くのコンタクトをとりたい。
でも、そんな私の行動を中には不審視している人もいるらしい。
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と、言うのも事情はこういうことだ。
なんと、この村には、いたるところに大麻が自生している。リゾートの私のロッジの裏にもあった。
そこで、本等に大麻かどうか試してみた。
「えっ・・・?」そう、専門家の立場から試してみた。
ロッジの裏にあった一本を切り倒して、表皮を剥いだ。
表皮には長い繊維が含まれていて、こそぐと不純物が取れ、綺麗な繊維が残る。
本物の大麻だ。間違えない。「ペタン!!」太鼓判を押した音。
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それでも私は、時間があればロッジを抜け出し、地元の人と接触する。
森から薪を集めて来た人。川原で洗濯をする人。魚を捕る子供達。水牛(彼は何も話してくれない)
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水遊びする子供達を見つけたので、近づいて行く。
本等は後姿の写真を撮りたかったのだが、気づかれてしまった。
子供達はくったくなく、不意に訪れた外国人の私に、獲った魚を見せてくれたりした。
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少し離れた場所で、やはり子供達を見守っていた二人の老人がいたので、近づいて行き、
ポケットからモダマ種子を出して見せた。
「これをネパリネームで何と言いますか」と訊ねると「パングラー」と答えてくれた。
どうやら「パングラー」が本命らしい。
「これのある場所をしっていますか」と聞くと、川向こうの森を指差して「向こうにある」
という姿勢を示した。
「明日、ガイドしてくれないか」と尋ねたが、手を振って断わられた。
どうやら、乗り物を持たない老人にとっては、歩いて行くには遠すぎると、私は判断した。
(何しろ、お互い言葉が通じないので、身振り手振りで感じるしかない)
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アクティビティで良く同じグループになったネパール人若夫婦。
この日も一緒だったが、エレファント・サフアリは、四人が一頭の象に乗るので、
彼らは先の象に乗った。私は、次の多人数のグループの内、三人の女性と乗ることになった。
中国人で、坊さんと女性たちという珍しいクループだった。
ところが、この女性たちのお喋りなこと、乗っている間、喋っているか、あくびをしていた。
後ろから来る象に乗った坊さんたちに大声で話しかけたり、
一人がオナラをすると、他の女性が「うわ、象のオナラだ」と笑いこけたり、
とにかく、賑やかで、騒々しい。
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女性たちはみんな二十代後半ぐらいだったが、隣に座っていた子の左手には数字の刺青が施され、
消された痕が見られた。
ルンビニに巡礼へ行く途中、チトワンに寄ったのだろうと勝手に想像した。
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私にとって象乗りは、初めての体験だが、けして快適とは言えなかった。
女性たちのお喋りは別として、揺れ方が不規則でリズムが取れない。
きっと、横向きにすわっているせいだろう。
私は、森の中にモダマが生えていないか目をこらしていたが、
彼女たちは、鹿だ、孔雀だとさわいでいた。
これまで、片言の中国語で相手していた象使いのオジさんも、サイに近づくと口に手をあてて、
「シィー」と沈黙を即した。すると彼女たちは、それぞれが「シィー、シィー」と示しあって、
まるで漫画のようだ。
私とカシマシ娘の乗った象は、他の象たちよりかなり遅れて最後に、乗り場に戻った。
乗り場では、坊さんグループのマイクロバスと私たちのジープしかおらず、
ネパール人の夫婦が待たせていてくれた。
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その日は、夕食を早めに済ませ、ソウハラ村のカルチャーセンターへタルー族の踊りを見に行った。
近隣各宿泊施設がアクティビティとして組んでいるらしく大勢の人が集まった。
おそらくリゾート業者らが地域へ利益還元するための一環としてのイベントだろう。
竹の棒を使った組踊りや一人が孔雀を演じる芸は、
どことなく沖縄の芸能と共通するところを感じた。
孔雀の舞は、石垣の獅子に共通点が見られた。
その席で、偶然、隣合わせたのが日本人で、彼はJICAでブータンへ来ていて、
休暇でチトワンに寄ったと話していた。
最近、日本人に会ったのは、広島大学生のsinonomeさんカップルと彼だけだったので、
久しぶりに日本語で話しをした。
催しが終わってから宿のグループ同士トラックで帰って、
自分のロッジのテラスでタバコを吸っていると、隣のネパール人夫婦も戻ってきて、
彼だけ私の所へ来て「大丈夫か」と聞く。
何のことか意味が分からなかったが「楽しかったよ」と答えた。
「・・・うむっ」と思い当たり、「タバコ吸うか」と、ネパールへ来てから吸っているシクハルの
箱を差し出すと「自分は吸わない」と言って自分のロッジへ戻って行った。
心配してくれてのことだろう。

そんなわけで、リゾート施設でのチトワン体験は、
いたせりつくせりでいろいろ楽しませてもらったが、私の目的は果たせなかった。
はじめから、その可能性を予測していたので問題はない。
ただ、あまりにも個人的な行動が多すぎたのか、はたの人からは不審に思われた節がある。
それだって、道端に大麻が生えているのがいけないのであって、私のせいではない。
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夕暮れ時、一日の仕事を終え川原の土手で涼むガイドたち。
さよなら、チトワン。

by modama | 2013-04-11 13:11 | Comments(0)
2013年 04月 08日

モダマを追って旅するアジア、4-2

ネパール、モダマ巡礼の旅・2
カトマンズ到着以来三ケ日が過ぎ、四日目を迎えた。
二日間のストライキで、自然史博物館は閉館が続いたが、今日はオープンしているだろう。
ちょっと気になるのは、ネパールの暦で4月8日は「女性の日」とある。
日本には無い祝日なので、公共施設の対応が分からない。
とりあえず、朝から散歩がてら歩いて出かける。
いつもコースを変えて、何か新しい出会いはないかと期待しながら・・・

スワヤンブナートの参道前には、物乞いが多い。この日、一人の少年に声を掛けられた。
あいにく小額紙幣が無かったので、ポケットからつり銭でもらった硬貨をあげた。
確か1,2,5,10ルピーの種類があったと思うが、2ルピーではないかと思う。
新品で光っていた。物乞いの子供は、光るコインを自慢そうに母親に見せていた。
くしゃくしゃでも紙幣の方が高額なのに、子供の目には立派に見えるのだろう。

自然史博物館は、この日も休みだった。
教育機関は休みではないと見え、館内には子供達の姿は無く、代わりにサルが10匹ほど
遊んでいた。(一体どうなってるんだ)と叫びたかった。

帰り道、これまでとは別のチョークをまがってタメル方面へ向かった。
昨日まで、多くの店がシャッターを降ろしていたが、さすがに今日は開いている。
ふっと見ると、軒から沢山のビニール袋を提げ、缶に木片などを詰めて並べている店があった。
生薬屋だ!!。やった、ついに見つけた。
品定めすると、ある、ある、まさにモダマが・・・
早速「これをネパリネームで何と言うか」と尋ねた。
答えは「パングラー」。ついにモダマのネパール名が分かった。
これで、都市を離れて森での散策がし易くなった。

とりあえず10個を買った。(喜んだ表情を店主に見られてしまったせいもあってか)値段は
1個20Rだった。これまでの経験から、この類の店は数件軒を並べているので、
一軒でことを済ませないようにしている。
隣の店でも、同じ物を指差して「これをネパリネームで何と言うか」と聞く。
「パングラー」との答え。値段は1個10R,半額だ。
次の店では「パングラーあるか」と聞いてみる。店主が指差す先にはモダマが・・・
これで、どんな場所の森で、人に尋ねても大丈夫だ。
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ネパール語は分からないが、日本語、英語、身振り手振りでモダマ10個を買う。
この店の出会いとモダマのネパール語を聞き出したことで、これから各地の森で行う調査は
一段と進む。
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店の前に自転車を横付けして「いつものやつ」と言ったような、言わないような、
馴染み客が、紙幣と交換に紙袋を受け取るとポケットの中に突っ込んで去っていった。

通りに佇みながら、ふっ、と考えた、ネパールはアジア文化圏の何処に位置するのだろうか。
これまで、アジアで見てきたモダマ屋(生薬屋)さんはみんな同じような店構えをしている。
ただ、地べた売りであったり、台売りであったり、店売りであったりした。
売り方とは別に、薬物としての考え方は、基本的に民間の知識があるのだろうが、
その背景には、漢方とかチベット医学とかインド医学の影響を何らかの形で受けているであろう。
その辺のことも、今後、調べてみよう。
何せインド科学技術省では136,000種もの生薬を記録しているという。

カトマンズに来てからこの三日間の生活パターンは、早朝起きてダルバール広場の馴染みの店で
チャーを飲んで市場ウォッチング、商店が開き始める頃から街を歩いてスワヤンプナート丘の麓に
ある自然史博物館に向かう。閉館を確かめてから丘の上のストゥーパへ行ったり、周辺を取り巻く
寺院を見て周り、また、街中の商店街を生薬屋を探して歩き回る。一日5時間ぐらい歩き、正午
前後に朝食をとる。遅い朝食は、モモかチョーメンで軽く済ませる。モモは広場のはずれにある
店に良く行く、カレースープをかけたモモで美味しい。値段10個40R,(50円弱)
旅にでるとよく歩くが食欲が無くなる。
それでも夕方になると飲みたくなる気持ちは失せない。はじめはウイスキーなど飲んでいたが、
ネパールに来てウイスキーはないだろうと考え、宿のオーナーに「ロクシーは何処かで売って
ないか」と聞いたところ、「市販のロクシーは、絶対飲むな」と釘を刺された。
市販のものは、製造過程でいろいろな不純物が入っているとか・・・
「でも、せっかくネパールへ来たのだから飲んでみたい」と頼んだところ
「じゃあ、待ってろ」といって10分程席を外し、コップ一杯のロクシーを持って来てくれた。
日頃飲んでいる泡盛より濃厚な(少し甘味のある)香りがして美味い。
もともと、王宮広場前のジヨチエンが故郷だというオーナーは、近所の家から自家製のロクシーを
コップ一杯借りて来たと言う。私が飲み干すと「家でも作っているので明日持って来てあげよう」
と言ってくれた。彼の経営する宿は、もともとの実家があったジョッチャンだが、現在は郊外に
住まいを持っていると言う。宿には二人の青年が常駐していて、彼は夕方だけ訪れる。
家では「野菜も酒も作っているよ」と言っていた。
オーナーにチトワン行きのバスチケットの手配を頼むと、
翌日、チケットと1リットル入りペットボトルに入ったロクシーを手渡された。
「チトワンで飲んでね」と言うことだ。

この日の広場ウォッチングは、まず、シヴァ寺院前。
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写真で獅子像の前が一段高いフロアーになっているのが分かると思う。
このシヴァ寺院は、窓からシヴァ夫婦?が覗いているように、男女の出会いに所縁があるらしい。
私が訪れた時、こんな行事が行われていた。
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何かの行事に参加するため、親子が着飾って集まってくる。
フロアーには仮設テントが張られ、最終的には20組ほどの女子と母親が参加していた。
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後で分かったことだが、ネパールの伝統的行事で女子の通過儀礼である「果物との結婚」の儀式
らしい。ネパールの女子は、生涯に三度結婚する。その始めが3~5才頃の果物との結婚だそうだ。
日本で言えば七五三のような祭りと言えよう。
古くからは、各家で、その年頃を向かえた女子に行う行事であったが、個々が司祭を招き、執り行うには費用がかかるため、このように合同で為されるようになったらしい。
その後、女子は成長して初潮の訪れる頃、再び通過儀礼として「太陽との結婚」があるそうだ。
暗い部屋に12日間篭り、13日目に太陽にお祈りするのだそうだ。
私は専門外なので詳しいことは分からない。
それらしき話を、宿のオーナーから取材した。

兎に角、ネパールに来てからいろいろなことに出会う。

この日の「女性の日」の行事はこんなふうだ。

市街地を廻ってやって来たデモ隊は広場に終結する。
ナラヤン寺院とクマリの館の前で集会を開く。
女神として崇められる「クマリ」が、この集会でどのような対象(意味づけ)なのかは、
ネパール語を理解しない旅人にとっては分からない。
出合って写真に収めたことだけを載せておこう。
(誰かネパール語の分かる方が見たら、スローガンなど教えてください)
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この翌日は、タクシー組合のデモ。赤地にスパナ模様の旗を掲げて、数百台のタクシーが
パレードしていた。観光客からは充分にボッテいるのだから
ガソリン不足のネパールでは、むしろ節約を心がけましょう。
それから、この日、街中には急にインド人観光客と修行僧の姿が増えた。
翌日、ネパール最大のヒンズー教寺院パシュパティナートでシヴァ・ラートリー
(シヴァ神の誕生日)が催されるそうな、それでインドからの巡礼者が増えているようだ。


今回、自然史博物館での情報集めは、
後回しにしてモダマ自生地の有力地チトワンに向かうことにした。

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朝7:30分発のバスに乗る。カトマンズ盆地をぬけて山道にさしかかると、道脇に子供達の
たむろする光景が目立つ。日曜日ではあるが、車の往来の激しい道で何をしているのだろう、
と思っていると、道路にロープが張られ、バスが停止。運転手と子供達と何やらあって、
パスは間も無く出発、するとまた、道路にロープが、一体何回繰り返しただろうか。
ときおり車窓の下をサリーを身に着けた女子が金属製のお盆に赤い粉を盛り、
紙幣なども見られることから、何かの祭典の儀式ではあろうと思った。
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「そっか、今日はシヴァ・ラートリー」なんだ。
ヒンズウー教の神シヴァは破壊神でもあるが、ネパールでも信者が多く、
おまけにシヴァの妃パールバティーは、ヒマラヤの娘で良妻賢母だとか。
ヒマラヤの娘をこよなく愛した破壊神という組み合わせの世界観は、良く分かる。

それにしてもバスの前方で、なんだか雲行きがおかしくなってきた。

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道路を通行するバスやトラックにとっては、しょっちゅう止められて小銭を支払うのは、
かなりの負担である。だから、他の車が止まっている間にノンストップで通貨するものもある。
止める側は、より効率よく祝銭を徴収しようと必死である。運転手としては、サリーを纏った
女子に声を掛けられれば、ついふらふらと停車もするが、いかつい兄さんばかしが半ば強制的に
停止させようとすると、強行突破もしたくなる。
そこで、止めようとする側と通行する側でいざこざも起こる。

事の起こりはこうだ。道にロープが張られたので運転手はバスを止めた。
ところが、ご祝儀を要求した青年の手に竹の棒が握られていた。
運転手は「棒を捨てろ」ととがめた。それでも棒を捨てないので、
車窓から棒を奪い取ろうとした。
しばらく、険悪な状態がつづいたが、運転手が降りてにらみ合いとなった。
そこにすかさず、車掌が割って入り、両者の気を治めた。
めでたし、めでたし。
(白いシャツが運転手、黒いシャツが村の青年リーダー、間の茶色いシャツが車掌)

その後も険しい山道を上り下りして、チトワンへ向かった。
ムグリンから南下しはじめると、車窓から見える渓谷の植生も亜熱帯に変わった。
マハバーラト山脈からシワリーク丘陵に降りて来たのだ。

とりあえずチトワンへ向かうが、私の本等の目的地は、途中のRamnagar周辺であるので、
車窓からじっくり観察しておく。じき戻ってくるのだから。

by modama | 2013-04-08 12:10 | Comments(0)
2013年 04月 06日

モダマを追って旅するアジア・その4-1

ネパール。モダマ巡礼の旅

これまで南西諸島から台湾、フィリピン、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、中国雲南と
モダマを追っての旅も、ついにネパールへ来てしまった。

石垣島から沖縄那覇、羽田、バンコック、カトマンズと飛行機を乗り継ぎ、途中、長い長い
待ち合わせの時間を潰し、昼前にカトマンズ・トリブヴァン空港に近づくと機窓から、
白く果てしない雲海の上にそびえるヒマラヤの峰峰が見えた。

その姿は、まさに天上の世界、神々の座にふさわしく思えた。

やがて飛行機は、雲の中を潜り込み、カトマンズ盆地の上空に差し掛かると、そこは人々の空で
あり、地上が待っていた。空港で手続きを済ませ、タクシーに乗る。まもなく助手席にいた一人
の男がしきりに話しかけてくる。何処の国でも玄関口である空港のタクシー乗り場で、その国の
世相が分かる。
「日本人ですか」「ネパールははじめてですか」「泊まる所は決まっていますか」「トレッキング
は素晴らしいですよ」そして、一枚のパンフレットを見せながら「このホテル安いね。トレッキングの手配もできるよ」「一番いいところ、間違いない、ここに泊まるね」とひつつっこく攻めて来る。
こちらは「前もって決めたホテルがあるので、そこえ行く」と頑なに拒否する。
やがて、客引きは諦め、タクシーから降りる。もちろん、運転士と客引きはグルだし、
ホテル、トレッキングをする会社からマージンを貰うシステムになっている。
長閑な都市だつたカトマンズも、今では、アジアのどの都市とも変わりは無い。

モダマを探す旅も、はじめは飛行機の降りる都市からはじまる。
まず宿に荷を解くと、さっそく、市場巡りをする。
その国でモダマが何と呼ばれているかを知るためだ。
学名ではEntadaと呼ばれるが、学名など一部の学者しか知らないだろうし、
たとえ日本で街の人に「モダマ」ご存知ですか、と聞いてみたところで、はたして何名が
知っているだろうか。
そこで例によつて、モダマ種子を扱う店を探す。
生薬店かナチュラルビーズを扱うアクセサリー店、ところが、ネパールではアクセサリー店
といえば輸入品のビカビカ物か数珠屋になってしまう。
とにかく、街を歩き廻る。隅々まで・・・

今回は、その他にトリブヴァン大学付属施設の自然史博物館で、
前もって情報を得ようと考えていた。しかし・・・・・
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夜明けのダルバール広場から旧宮廷を臨む。

到着翌日、早朝に起きだしダルバール広場を散歩する。広場には夜明けとともに、
寺院にお参りする人、その供花を売る人、その他露店を出す人、それらの人たちが一息つき飲む
チャーを飲ます人、通勤途中の人、旧宮廷の関係者、警備の警察官、タクシーの運転手、
リキシャのこぎ手、と様々な人が集まってくる。
そんな人々に混ざってチャーを飲む(チャーとは茶のこと)。
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左側のご婦人が、チャー屋の主人、コンロの鍋に牛乳と茶葉と砂糖を入れ、
手際よく茶漉しでかき混ぜる。
ミルクが沸騰すると、茶漉しで茶葉を濾しながらコップに注ぐ。
一杯10R(日本円で12円ぐらい)。
その時、揚げパンなど食べながら朝食にする人もいるが、多くのネパール人の朝食は遅く、
昼頃に食べ、後は夕食の一日二食が普通。c0023181_1453127.jpg


出来上がるのを待って、コップを受け取るとめいめい好きな場所を探してくつろぐ。
もともとここは、何かの寺院の前、あまりに神様が多いので、私には何の寺院か分からない。
何度か行くうちに、顔見知りも出来てくる。遠くから野菜を売りに来た人が、開店前に一杯。
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この野菜売りのご婦人方は、ネワール人とは少し違う人たちのようだ。
兎に角、ネパールには、いろいろな民族の人たちが居て楽しい。
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チャーを飲んでいるうちに、露店の数も増え、参拝者の数も増えてくる。

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自家製の野菜を並べて売る家族。
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手前は、神様に供えるお花売り、用途に合わせて花輪であったり、花びらであったりする。
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もちろん人だって首から提げる、ショールも美しいが、花はさらに美しい。
インド、ネパールの人たちは、兎に角、お洒落だ。飾り立てる。
それだけではない、塗りたくる、色、色、いろいろ。
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この広場の一角にあるカーラ・バイラヴ像、シバァ神の化身のひとつである恐怖の神だが、
あまりにも塗りたくりられ、滑稽にも見える。
庶民の信仰の対象としては、恐怖の神も親しみ易い方がよいのだろうか。

さて、朝の広場ウオッチングは、これぐらいにして目的のトリブヴァン大学付属自然史博物館へ
向かう。徒歩で片道一時間ほどのところにあるスワヤンプナート丘の麓だ。
この丘頂上には、ネパール最古の寺院があって、多くの参拝客が集まる。チベット人の姿も多く見られた。
もちろんカトマンズの街中を歩く時には、
モダマ売りの生薬屋やナチュラルビーズ売りがないか注意している。
でも、何かおかしい、街中の様子が普通ではない。一体何があったのだろう。
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商店にはシャッターが降りて、路には人通りが少ない、
(はじめてなのでよく分からないが)そんな気がする。
街並みの向こうにスワヤンブナート丘のストゥーパが見え始めた。
まずは、お参りからしよう。
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「うひゃー、急な階段」
普段、歩き慣れていない私にはきつい。途中から足が上がらなくなる。
地元の参拝客は、私たち外国人をひょいひょいと抜いて登って行く。
さすが山国ネパール人。私どもには特に最後の勾配がきつく、へこたれる。
と「・・・」なにやら声が掛かる。下を向いていた視線を上に上げると制服を着た係員。
チョイチョイと手招きをして、参観料を払えと言う。
街中では、時としてネパール人に間違えられる私も、ここでは体が言うことを聞かない。
「恐れいりました」と外国人対象価格の参観料を払ってチケットを買う。
別にはじめか誤魔化す魂胆はないが、この場でやらてはグゥの音も出ない。
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写真上は、ストーパに描かれた「ブッタの目」、カトマンズ盆地を見下ろす丘の上に建って
全てを見下ろしているのだろう。
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ところで、私にとっては入国してから一番気になったゴミの問題をブッタはどのように考えて
いるのだろうか。いつか、是非、聞いてみたいものだ。そのことは、後で触れよう。
丘を降りると、丘を取り巻くようにしてチベット仏教ゆらいの寺院が建っている。
マニ車を回しながら丘の麓を時計周りに巡る巡礼者の姿が目立つ。
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そにしても、チベットからネパールへはるばる巡礼者がやって来る、
別のヒンズー教の寺院には、シバ神の祭典にインド人が大挙してやってくる。
現在は、飛行機に乗り、バスに乗り換え、歩いて丘を登り、時には山を越え来るのだろうが、
かつて昔は、みんな歩いて来たのであろう。
そのエネルギッシュたるや、頭が下がるばかりである。
「人生とは歩くこと」と言っても過言ではなく、「生きることは歩くこと」だったことを、
今回の旅でつくづく知らされた。そして、私自身も随分と歩いた旅であった。
足の関節の悪い私にとって、最大の治療は歩くことであることも知った。
「歩けなければ、這って進め」と思い知らされた。
「自ら動ける時が、生きている時である」とも知った。
決して心臓が動いている間が、生きているのではなく、
呼吸させられているのが生きているのでもない。
自ら動ける、判断できる間に自らの人生を自ら決めよ、と知らされた想いがした。

でも、ある日突然、そんな意思も途絶える事態になったらどうしようという不安もある。
そんな自分を、潔く捨てよと周りの人に言っておきたい。
それが私に対する慈悲だとも・・・。

いつまでも、ただ、呼吸だけしている存在に自分はなりたくない。
と願っている。
なんだか話が変な方に行っちゃったけど、マニ車をくるくると回し、自分が生きているのだと
確かめる旅のような気がした。自分は無宗教で、あまり、偶像に手を合わせたことも無いし、
集まりに参加したことも、お経を唱えたこともない。
でも、そうする人々をすんなり受け入れらたような気がした。
歳のせいだろうか。
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昼前、この丘の麓にある自然史博物館に行くと門には鉄の扉が閉まっており、
中庭で子供達が遊んでいた。中に人が居るということは、何処かから入れるということなのだろう。
裏の通りの方へ廻ってみると、やはり鉄の扉があったが、鍵はかかっていない。
そこから入ってみると館の入り口にもシャッターが閉まっていたので休館なのだろう。
残念。
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後で知ったのだが、この日、カトマンズではストライキがあり、商店や会社、教育機関までもが
多く休んだのだそうだ。
どうりで、来る途中、街の様子がおかしいと思ったのも、そのせいだったのだ。
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ところが、ストライキは、その翌日も続いた。
試しに来てみたがやはり門は閉まっている。
ネパールの政情不安は、話しに聞いていたが、
これでは仕事にならないだろうな、と思ったが、
どうやら市民は当たり前と受け止め、
国会議員もこの数年決めるべきことも決めず、
政治的停滞を続けているらしい。
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それがまざまざと分かるのがこの写真かも知れない。
ダルバール広場にある警察署の前に止まっていたトラックは、
フロントガラスに銃弾の跡が残ったまま使われていた。
おそらく数年も前に、王制に反対して銃撃戦が繰り広げられた時のものだろう。
それが修理もされず、そのまま残っている。
おっと、話しを元にもどそう。
というわけで、モダマの情報探しもままならず、しばらく様子見とすることにした。

人、犬、牛、鳩の話

ネパールでは、犬も牛も鳩も人と同じように市民権をもっている(?)
私が、この広場近くに宿をとると窓の外で囁きのような、どよめきのような声が聞こえた。
「あら、小屋に新しく人が来たようね」「また、夜は明るくて寝不足だわ」
グルグルッポグルグルッポ・・・
「すみません、しばらくご迷惑をおかけします」
この国では、犬も牛も鳩も自由に道を歩き、飛び、寝そべり、食べ、糞をすることができる。
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もちろん人間が犬のような暮らしをすることもできる。
たぶん、憲法に規定はないだろう。それは日本も同じことかも・・・
ただ日本には「最低限度の暮らしを保障する・・・」とか書かれているらしいが、
その法律で保護されている人々より厳しい生活をしている人たちが沢山いるのも事実だ。
この国では、自由に暮らせる犬たちと同じように暮らす人たちも沢山いる。
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なんだか寝てばかしいるように見えるけど、夜はちゃんと活動している。
夜の広場は僕らの縄張りで、人もめったに通らない。
だいたい夜遅くまで、人が動き廻る社会などろくなもんじゃない。
停電だから、人は家でゆっくりお休み。

昼間、広場の番をしたり、人のお付き合いをすることだってある。
でも、えてして退屈なことばかり、人って何であんなにお喋りと博打がすきなんだろう。
犬には、まったく興味ないね。
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こんな姿見られたくないけど、僕、ゴミの中で寝るのが好きなんだ。
なんか落ち着く気がする。
日本でも、最近、沢山ゴミの溜まった部屋に住んでいる人が多いんだってね。
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カトマンズに来てから私が借りて住んでいる小屋の窓外の住人は、日中、ここに来ているらしい。
朝早くからグルッポグルッポ鳴くものだから、いつの間にか私が鳩小屋に住んでいる気がしている。
でも、おかげで早朝からの広場ウオッチングが出来て楽しい。
こだけの鳩がいてもネパールの人は、苦情を言わない。
日本であれば、当然、糞害が社会問題となるはずだが、ここではフンガイする人はいない。
むしろ、せっせと餌をやって養っている。
といって食べるわけでもない。
糞が溜まれば掃除すれば良いとぐらいにしか考えていない。
当然、時折、服の上にも糞は落ちてくるが、指ではじけば落ちる。
汚れたからといって、そんなにヒステリックになる人も見ない。
共に生きているのだから、と言うぐらいの意識なのだろうか。
動物の罪も人の罪も同じぐらいなものだろうと考えているか。
時々、牛が売り物の野菜を食べようとして、怒る人はいる。
ただ、怒って、退散すれば、それで良いと考えているようだ。
鳩には餌をやるなと主張する人も、野良牛を街から追放せよと叫ぶ人もいない。
犬を繋げと言う人もいない。

日本では、やたらと犬を怖がる人がいる。
犬は本来、人を噛む動物だろうか。
犬が人を襲って食べたという話は、これまで聞いたことがない。
(人は犬を食べるが)
犬が人を噛むには、それなりの理由(ストレス)があるのだろう。
そのストレスを与えたのは人ではないだろうか。
人のストレスを癒す犬を飼うという発想も、人の身勝手と思う。
でも、一生、人に尽くすよう犬が居ることも事実で、涙ぐましい話だと思う。
犬は本等に献身的な生き物だ。
それに比べ、猫はまったく違う。嫌になれば、ふと、飼い主の元から去る。
それでいて、人に媚びて餌を貰うのが得意だ。
私は猫があまり好きではない。
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早朝、広場にやって来る牛たち。
鳩も牛もこの広場では自由に暮らせる。
しかし、周辺環境の悪化は、目に余るものがある。

生と死
これだけの生き物が身近にいれば、必ず死にも直面する。
死もまた日常である。
パタンのダルバール広場に行った時、少年たちが瀕死の鳩を祠の前に供えていた。
何かに激突したらしく頭部に傷があり、右脚が骨折していた。
脳震盪で一時的に気を失っている気配はあるが、脚の骨折をともなっていることから
おそらく生存の可能性は無いであろう。
子供達は、花びらをひとつ乗せ供えていた。
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自然史博物館へ通ようには、市街の西側を流れるヴィシュヌマティ川を越えなくてはならない。
そこで、行くたびにコースを変えて、上流から下流へかけての各橋を渡った。
コンクリートの橋もあれば吊橋もある。
川の両岸はバラック建ての家が並び、屠殺や鉄骨溶接、木工、染織などを営む地域になっている。
いわゆる低カーストの人たちの居住区だ。

橋の上から眺めるヴィシュヌマティ川両岸は、ゴミ捨て場と化している。
流れる水も、どうやってもそれ以上汚れない、飽和状態と思えた。
橋の下の浅瀬には牛の死体が横たわっていた。
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カラスの屍骸と老婆、(ネパールのカラスは首から胸にかけて灰色をしている)
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by modama | 2013-04-06 13:19 | Comments(0)