石垣島便り

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2013年 07月 30日

モダマを追って旅するアジア 5-4

ミャンマー編・バガンへも行く。
事前にグーグルアースの空中写真で調べた結果、バガンにはモダマの自生地はありそうになかった。足を延ばして、少し離れたホッパ山まで行けば、緑も残っていて可能性はあるが、聖地ということもあってガイドをお願いしても自由に歩けるか心配がある。でも、ミャンマーに行って、バガンに行かないとあっては、日本に帰ってから、何を言われるかわからない。カンボジアに行ってアンコールワットに行かないのと同じようなものだ。
それで、バスでの長旅は、以下省略で(最近、歳のせいか一日ものバス旅は疲れる)飛行機で行くことにした。飛行機も出発がAM6:10分で、宿からタクシーで空港まで一時間はかかるので、いずれにしろ旅先での移動は疲れる。4:30分にチェックアウトしてタクシーに乗ってから、腕時計を忘れて来たことに気づく。でも、今から、引き返すわけにもいかず、帰りに寄ってあれば良し、無くても安物だし、しかたないとあきらめる。
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ヤンゴン国内線空港で荷物検査を終え、登場待合室でぶらぶらしていたら、後から検査機を通過する人の手荷物が、ピーという音で、検査官に調べられた。何気なく見ていたら、検査官が鞄の中から取り出した物に思わず息をのんだ。コトンと音をたててテーブルに置かれたものは拳銃なのだ。普段テレビや映画などで見てはいるが、実際、目の前で実物を見ると重厚感があって一味違う。そんな緊迫した(目撃した私だけが)なか、客と検査官は、いたって事務的に、冷静に、二言三言、言葉を交わしたかと思うと、客が拳銃を鷲掴みにして別の検査ゲートから出て行った。もちろん、ゲートの警報機もピーと音をたて、赤いランプが点いた。いったん登場待合室に入って、警報機が鳴って、危険物が発見されて、当たり前のように出て行く、あいつは一体何者なのだ。当然、検査官はIDを見ているので客の素性は知っているのだろう。それにしても、想像するに「あっ、車に置いてくるの忘れたから、置いて来るわ」と言った気軽さは何なのだ。国が変われば事情も変わる。三月にネパールへ行った時には、やたらと軍人の姿を目にした。国立公園の山やチトワンのジャングルの中でも制服を着た軍人に会った。言葉も交わした。「何でこんなに軍人が多いいのだろう」と疑問にも思った。しかし、ミャンマーでは、それまで短い日程ではあったが、制服の軍人を見たことがない。いや、最終日まで目にしなかった。その理由の一つとしては、一般旅行者が立ち入ってはいけない場所がはっきり線引きされているからなのだろう。今、私は、あくまでも一旅行者なのだ。
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午前中、バガンのニャウンウーの街に入り、宿にチェックインしてから馬車でオールドバガンに向かった。やはり、このロケーションを巡るには馬車がいい。しかし、ここでも観光地化が進みつつある。このまま野放しにしておくと、寺院群のテーマパーク化してしまうのではないかと、心配している。何処でも同じような品揃えの土産物店、ベトナムで見たことのあるような絵まで売っていた。ある寺院では、少女が声を掛けてきて英語で「私、学校へ行きたい。そのために絵葉書を売っている。買ってください。」と言う。何はともあれ、その懸命な姿は理解できる。でも、すべての人に同情を寄せることは、旅人としてできない。断わることも、心の中に苦痛として残る。
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馬車の運転手は、各寺院の木陰で待機してくれている。これと言って強引に誘ったりもしない。いつも客席で横になりながら待っていてくれた。その点ホットした。

寺を見終えて帰ってくると「じゃ、次行こうか」といった有様が、好感を持てた。

幾つか目の寺院を巡った時、こんなことがあった。薄暗い回廊を歩いていると、一人の男性が近寄ってきて「ルビーを買わないか」と薄い紙包を広げて見せた。赤いルビーのような石以外にも瑪瑙、サファイア色をした石もある。私は若い頃、貴金属加工の製作をしていたことがあるので、一目見て偽物と分かった。まったく興味がないので「いらない」とだけ言って無視した。すると男は、包みを鞄の中にしまい、次に新聞紙に包まれた拳より少し小さめのものを取り出して、広げようとしている。重量感、大きさから化石だな、と判断した。開くのを阻止するように断った。男は立ち止ってついてこなくなった。それにしても古びた寺院の薄暗がりで、秘かにそんなものを見せられると「もしかして、発掘品か盗品で、すごく安く手に入るのではないか」と思ったりする人もいるだろう。それが狙いなのだ。
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以前、カンボジアのラタナギリへいったことがある。そこはジルコンの産地で、個人でも井戸のように竪穴を掘って原石を採集していた。現地で交渉して買えるが、原石の良し悪しを見極めるには経験がいる。わざわざ奥地まで行かなくともバンルンの街では、マーケット周辺の雑貨屋の奥で、研磨加工している所が多くある。交渉すれば安く買える。大量に買う場合は、宝石商の店(と言っても豪華な民家で高い塀に囲まれた建物)で手に入る。ここでは領収書も書いてくれるので、海外持ち出しの正式な手続きが通る。原石に熱処理をしたブルーのジルコンは美しい。
ミャンマーでは、宝石の採集地は軍が管理していると聞く。昔、「ビルマの竪琴」という映画があって、日本軍兵士が戦場を離れ、さ迷っている途中、戦死した無残な亡骸を現地に留まって葬ることに専念するというストーリーだった。幾度見ても涙なしでは見られない。しかし、遺体を埋めるために河原で穴を掘っていると赤い石を拾う場面は、「尊い多くの命の象徴」であって、現実には、それを遺骨壺に入れて持ち歩けば、たとえ僧侶になっても誤解の元になる。
話がだいぶ逸れたが、バガンの風景を見ていると「もしかすると」と思いがちになるのも事実だ。
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お寺の歴史的背景を参考書を見ながら書き写してもしかたないので、以下省略。次にオールドバガンが接するエーヤワディー河の港に行ってみた。チャウンターへ行った時、デルタ地帯のこの河の橋を渡った。ここでは背景に小高い山並があって、ロケーションが異なる。しかし、どちらかと言うと観光の港という感じがして面白くない。河岸の木にリスがいたので、ずっと眺めていた。
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そう、そう、一番初めのお寺で屋上に昇ったら、平原の遥かかなたにホッパ山の姿が見えた。左側には連山の影が見えたが、それでも独立峯としての異様さはうかがえた。それにしてもずっと、ずっと平地が続き、とてつもなく遠いように思えた。バスで日帰りも出来ると聞くが、ただ行ってくるだけでは、私にとって意味がないのであきらめた。そろそろお寺観光を引き上げて、街の港にでも行くとしよう。馬車の運転手に「帰ろう」と伝えるとニンマリしていた。「今日、もう一人客を乗せられるね」と言うと、笑顔で馬の尻に鞭をあてた。
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いったん宿に戻って、シャワーを浴びてから、宿のスタッフで日本語の上手なチョウチョウさん(名前)にゴンニンドーやダンニェディーの話を聞いた。両種ともバガン付近にはなく、ダンニェディーは山の方にある木だと言う。実はブドウのように幾つかが房に着いているらしい。食べるには、塩水にしばらく浸しておいて、アクを抜いてから料理すると言う。ヤンゴンでも沢山食べると体に悪いとか言っていたので、ある成分を除去して食べることに間違いない。発芽させるのもそのひとつの方法で、豆科の植物の種子には中毒する成分があったり、分解吸収がしずらいので、昔から、いろいろ加工する工夫をしてきた。モヤシもそうだし、納豆、豆腐もそうである。ソラマメやエンドウマメも品種改良される以前はよく中毒をおこしたという。
話を聞いてから自転車を借りて、オールドバガンとは反対の方向へ出かけた。マーケットでは、一軒の生薬屋があり、モダマがあったので10個ほど買った。ここは地域の老舗と見え、店には天秤秤が吊下げられ、商品も各枡の中に収められ、棚にもいろいろ容器が並んでいた。ヤンゴンでは20個1000Rであったのに、ここでは10個で3000Rもした。薬九層倍という言葉もあり、値段はまちまちであることはいたしかたない。他の店で発芽処理していないダンニェディーもこのマーケットで見つけた。
港の方へ行くと、米問屋があった。ここバガンでは内陸部で乾燥ぎみな気候のため稲作には向かないのだろう。すると、ヤンゴンからチャウンターへ行く途中のエーヤワディー管区(デルタ地帯)から船で運ばれてくるのかも知れない。いずれにしろ下流域の稲作地帯とは河でつながっている。
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港では、小型貨物船がついていて荷降ろしをしていた。その様子をしばらく眺めていたが、下ろされる資材から一軒家の引っ越しであることがわかった。「すげーえ!!,家を解体して船で引っ越し」材木、トタン、寝台、水瓶、いろいろな物が船から降ろされ、トラックに積まれている。
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その横では、砂利を積んだ船が接岸され、女性の人夫たちが笊を頭に乗せて降ろしはじめた。そんなことはお構えなしに洗濯にいそしんでいるご婦人もいる。私はこんな光景を眺めているのが好きだ。
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眺めている側は私だと思っていたら、実は、私も眺められていた。遠くの方から男の怒鳴り声がする。まさか村の若い娘さんたちをじっと見ていたのでもないのに、なんだろうと振り向くと、棒を持った男が近づいてくる。
しかもがらが悪そうだ。「▽○□△×※=!!」こっちもまけずに日本語で応戦する。「なんだ、なんだ、なにが言いたいんだ。一体お前は何者だ」しばらく会話?を交わしていたら、「俺も写真に撮れ」と言っているらしい。カメラを構えるとポーズをとった。「兄ちゃん、きまってるじゃんか」と映像を見せると、満足げに帰っていった。
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by modama | 2013-07-30 18:22
2013年 07月 28日

モダマを追って旅するアジア 5-3

ミャンマー編、海辺のジプシーに会う。
チャウナ村からの帰り、街の入り口にある茶屋で、オートバイ運転手のソーチャ君とお茶を飲んだ。両親はすでに亡くなっていて、妹がヤンゴンで働いていることなど身の上話をしてくれた。とても素直で良い青年だった。茶屋の前の道を指さして「こっちに行くと綺麗な砂浜がある」と教えてくれた。そこは、事前にグーグルアースで上空からの写真を見て、行きたいと思っていた場所だ。一度、宿に戻って、どろどろになった靴をサンダルに履き替えて、行ってみることにした。昼すぎで、あまり人通りのない時間帯だ。道行くバイタクの運転手は「また、こんなクソ暑い時間にあの外人が歩いている」と思っているに違いない。海岸に向かう道は、先の方でリゾート施設の工事現場があり、そこまではコンクリートで舗装された道だった。小さな流れがあって、ココヤシとマングロープ、ニッパヤシなどが生えた景色を写真に撮ろうとしたら、前方から少女が歩いてくるので、景色の一部に入れようと少し待った。5メートルぐらいまで近づいて来たので、カメラを見せて「写真撮ってもいいか」と尋ねるとニッコリ笑ってくれた。シャッターを切って「ありがとう」とお礼を言うと何所からか男性の怒鳴り声が聞こえた。見ると前方50m程先にオートバイが止まっていて、後部座席の男が振り返って怒鳴っていた。何だろうと近づいて行くと、まだ、怒った表情で大声を出している。「あぁ、少女に近づいたから、何か勘違いをしているのだな」と思い、カメラを差し出して「写真を撮らせてもらっただけたよ」と言い訳をした。すると、背後からさっきの少女の声がして、男の表情が変わった。まだ、目は怒っていたが、口元がむりやりに笑う、変な表情だ。たぶん、後ろで少女が「写真を撮らせてって言うから、いいよって言ったのよ」とでも言ったのだろう。近づく私に男は、いきなり手を差し伸べてきた。通りすがりの男と握手する筋合いはないが、この場の気まずさを解消できるのなら、と私も手を差し出した。節くれだった大きな手が、私の手を包んだ。オートバイが立ち去ってから「うん、これでいいのだ」と思った。男は遠目に見知らぬ男から村の少女が言い寄られたと勘違いし、思わず大声をだしたのだろう。その気持ちわかります。
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少女の身につけていたロンジーは、これまで見たことのない絣柄だった。きっとこの地方独特のものかも知れない。その先で川で泳いでいる少年たちをパチリ、誰からも怒鳴られずに済んだ。いや、きゃっきゃと笑って水をかけられそうになったので退散した。
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ソーチャ君が言っていたように奇麗な砂浜があった。この辺りには岩場がある。道から海辺に降りて歩いた。はじめにジオクレアの種子を拾ったが、その後、これといった漂着物は見当たらない。しばらく歩いていると岩場で何かを探している人や砂浜で拾いものをしている人々がたくさん見えた。何を拾っているのだろうと近づいて笊の中を覗き込むと、中には小石が入っていた。海辺の小石を拾い集めているのだ。
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笊に小石が溜まると、カマス袋に集め、それらを道路に運んでいる。これはビーチコーミングなどと言う生易しい遊びではなく、仕事だなと思った。それにしても集めれば溜まるものだな、と感心した。帰りしな耕運機に荷台を着けた車両が、その袋を運んでいたので、リゾート建設現場で使うのだろう。「う~うん」思わず唸ってしまった。ヤンゴンからチャウンタへ来る途中、バスの車窓から岩の無いデルタ地帯を延々と見てきたが、海岸の小石を拾い集めて使うとは、思いもよらなかった。それにしても一人で一日どれだけ拾えるのだろう。一袋分いくらするのだろうか。
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岩場の端には寺院が建てられていた。普段何気なく在る土も石も海も人には恵みとなるのだ。
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わずかな岩場をぬけるとまた美しい砂浜がつづいた。人工的な漂着物は、ほとんど打ち上げられていない。昔の石垣島もこんなだったのにな~。(ココヤシの木は生えていないけど)いつから現在のようにゴミ溜まりの海岸になってしまったのだろう。でも、ここでも自然の景観がそのままあるのではなく、ココヤシは人が植えたものだし、海岸近くには鉄条網の柵がめぐらされている。リゾート施設用地として確保されている土地だ。よく見るとニッパヤシの葉で吹かれた小屋が、海辺との境界に作られている。土地を持たない人が一時の住まいとして建てた小屋だ。私は「海辺のジプシー」と呼んでいる。地権者から立ち退きをせまられれば、いつでも移動する覚悟はできていて、点々と各地をさ迷う。行先で仕事があれば、食いぶちを稼ぎ、命を繋いでいる。ここの住人は、リゾート施設の工事で人夫をしたり、小石を拾ったり、バラスを作って糧を得ているのだろう。
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漂着種子を拾うのは、もう、期待できない浜なので陸側にあがって歩いた。浜の満潮線より十数メートル上の場所にシロツブの苗が自生していた。これも漂流の末に高波で打ち上げられ、芽吹いたものだろう。また、いつ何時、さらに高い波が打ち寄せられれば、立ち枯れする可能性もある。幸い、それまでに潮にも耐ええるような株に育っていれば、次世代を散布することもできるだろう。
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道を探して歩いていると、海辺のジプシーの作業小屋に出会った。男が海からの石を担いでいる。女子供も笊で少量づつ石を運んで来る。陽ざしをさえぎる小屋では、幼い子供たちが、運ばれて来た石を小さなハンマーで打ち砕いて、バラスにしていた。この方が海辺で拾い集めた玉砂利よりも建築資材としては、高値なのだろう。小学生と思われる女の子の傍らで幼児が真似をしてハンマーをいじっていた。
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彼らの生活の様子を見てから帰りしな、建設途中のリゾート施設の一つも見た。広い敷地に幾つかのコテージ風の建物が建っている。それでも完成したわけではなく、コンクリートが打ちっ放しの構造物もある。一部のコテージは、屋根のトタンがすでに錆びて廃墟のようになっていた。資金不足で頓挫したのだろうか。敷地内の池では、地元の人と思われる男性が二人投げ網を打って小魚を捕っていた。きっと、その池は、完成後、蓮の花が咲く集いの場所として設計されていたものだろう。今では廃墟同然の施設は、完成するのだろうか。
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帰る途中、行きしなに見た工事現場では、海辺のジプシーたちが海辺から集めた玉砂利やバラスが、工事現場に有り、多くの人夫たちが働いていた。
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チャウンタでは、モダマ自生地と植物自体も見れたので、翌日、ヤンゴンにバスで戻った。この時のバスは、少し大型でシートのクッションも良かった。ヤンゴンの街中では、何もすることがないので、市場ウオッチングをしたり、露天で果物を買ったり、バガン行きの飛行機チケットを入手した。
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ヤンゴンの街は、スーレーパヤーのあるローターリーを挟んで、東側が市庁舎、最高裁判所、などの官公施設があり、西側はダウンタウンで商店や露天街がある。また、中国寺院、回教寺院、ヒンズー寺院、ユダヤ寺院、も有り、道行く人種も雑多だ。ヤンゴンは、古くから港街として発展したので、物資の集積地でもある。あらゆる商品が豊富に見られる。日常生活の食べ物でも、海の魚介類、河のエビ、カニ類、農作物、山の産物などすべてが有る。それらを眺めながらぶらぶら歩くのもたのしい。
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ゲッチョさんの好きなナスも、白、紫、さらに形の様々なものが見られた。おまけに八百屋にしても、同じ商品を扱っていても、特殊な用途にあわせて大きさをそろえたりもしている。ゴウヤにしても上の写真とその下の写真では、随分とサイズが違う。笊の中の野菜類はすべて小さい。中央のタマリンドにしても果肉を調味料として使うには未熟すぎる。もしかするとお供え物用か特殊な料理に使うのだろう。
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じべた売りなのに、回教徒の女性が買っている魚には氷が被せられていた。
衛生管理も他の東南アジア諸国と比べると良い。物も豊富で物価も安い。ひとつ問題なのは、賃金の安さなのだろう。だが、それに注目しているのが各国のビジネスマンなのかも知れない。物価と賃金が上昇しはじめた中国から退き、ミャンマーに進出を計画している企業は多い。もちろん中国自体も東南アジアに目を向け始めている。
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これまで、東南アジアを一人旅していて、市場で果物などを買うと、つい多く買いすぎ食べきれずに無駄にすることが多かった。少しずつ、その国のお金の価値や、買い方を学習し、一回で食べ切れる量を買えるようになった。ミャンマーでは、ドリアンにしろ1000R(100円)買えばちょうどいい。小さめのドリアンの1/4が、だいたいその値段だ。二つの果室(ひとつの果室に二つの果肉と種がある)だから5CM程の種入り果肉を4個食べることになる。マンゴスチンでも10個500Rで買える。チャウンターからバスに乗って帰る途中、トウモロコシの蒸したものを三本買ったら500R.マンゴー1個、200Rだった。だから、トウモロコシやマンゴーでは1000R(100円)買ったら食べきれないし、逆に旅の途中荷物になる。

この日、市場街の近くにあるミャンマーP.L.G,トラベルで、翌日のバガン行き飛行機のチケットを購入した。終業まじかの時間帯だったので、みな暇を持て余していた。ここには日本語が上手に話せる職員がいる。彼女にチケットを申し込むと「発券に時間がかかるので、後で取りにきてもらうか、ホテルへお届けしましょうか」と言うので「どれくらい時間がかかりますか」と聞いて「待ってもいいですか」とたたみかける。「もちろんいいですよ」と言うので、しめたものだと思い「ゴンニンドウ」って知っていますか、と質問した。はじめ「・・・?」としていたが、ポケットからモダマ種子を取り出すと「あぁ、知っていますよ」と返事が返ってきた。「これ、薬にするでしょう。何の薬」と聞くと、ちょっとためらってから「女性の生理不順の時に一部の人は使っている」とのことである。これで、裏が取れた。つづいて、ダンニェディーの話に移ると、暇だった女子職員は、耳を傾けるようになり、日本語の分かる彼女の通訳で、いろいろな人の話が聞けた。チケットが発券できるまでの間、楽しいひと時だった。
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その日の夕食は、中華街の近くにある串焼き店で食べた。まず、上の写真の奥にある食品ケースから、自分の好みの串を選ぶ、それが焼きあがるまで生ビールの小ジョッキを一杯、その次にウイスキーのポケットサイズを一本ちょびちょび、ぐぐいとやっていると、小皿のたれが二種類と焼き上がりの料理が出てくる。白身魚のすり身団子二本(これが美味しい)、小ぶりのイカ一匹、大きな川エビ、厚揚げトーフ、ブロッコリー、これだけ食べるとご飯はいらない。値段はすべてで7400R(日本ではラーメン一杯分だ)。とにかく安い。客は中国系ミャンマー人が多く、店員はすべてミャンマー系、そして、やたらと店員が多い。紫色のシャツを着た青年たちがウエイターで5名、カウンターの前にいる伝票書きが3名、カウンターの中でお金と釣銭のやりとりをする1名、
計9名が働いている(その他に調理場にも数名いるはず)。日本では店の規模からすると半分でも十分と思う。(何で伝票書きが三名も必要なんだ)
ふっと、チャウンターで出会った海辺のジブシーたちの暮らしぶりを思ってしまう。海から石を拾ってきて、それをハンマーで割りバラスを作り、一日どれだけの稼ぎがあるのだろうか。今頃、一日の仕事を終えて渚で夕餉の魚釣りでもしているのだろうか・・・。

by modama | 2013-07-28 17:25
2013年 07月 27日

モダマを追って旅するアジア 5-2

ミャンマー編・チャウンターは曇り、時々晴れ、そして雨、熱中症で倒れる。
ヤンゴンの西、約200kmにあるチャウンターへ向かう。朝5時前にホテルをタクシーで出て6時前にダゴン・エヤー・バスセンターに着く。そこで乗ったバスは、マイクロバスですでに地元客で一杯だった。車掌にチケットを見せると「チャウンターに行くのか」と確かめ、事務所へ確認を取りに行った。きっと「外国人が一人乗るけどいいのか」と会社に電話したのだろう。チャウンターは、ミャンマーの海辺リゾート地だが、この時期はオフシーズンで遊びに出掛ける人は少ない。少ないながらもリゾート施設で宿泊する人はいるが、ほとんどがヤンゴンから直接行き来する専用バスで移動する。乗合バスで出かけるのは地元の人が用事や買い物に使うぐらいだ。それにしても海辺リゾート地が乾季である冬にシーズンで、7,8月はオフというのも熱帯らしい。
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チケットにはシートナンバーが書かれているが、シートにはナンバーが無く、車掌がすでに座っている客を移動させて、一人用の席を確保してくれた。出発すると、間もなく道が狭くなり激しく揺れた。道路は舗装されているが、補修の跡が至る所にあり、凸凹になっているのだ。左右の風景は一面の田圃、行けども行けども田圃、遥か地平線の彼方まで・・・。まっ平らな土地に、所々木があるのとクーリー(水路)があるだけだ。カンボジアのプノンペンからベトナム南部へ向かう道と似ている。所謂、デルタ地帯だ。それにしてもバテインまでの間、ひたすら平らな道を走り、その間、何処にも岩というものが無かった。
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ミャンマーには東からタンルウイン河、シッタウン河、エーヤワディー河と三本の大河川が南北に流れている。今、横切っているのはアラカン山脈に沿って、インドカシミール地方の反対の分水嶺から水を集めたエヤワーディー河が作り出した下流のデルタである。ミャンマーの三大河川は、西にヒマラヤ、東に横断山脈を控え水をモッタマ湾へ注ぎ込んでいる。
昼近くになってバテインの街を抜け、小高い丘陵を越えたた。アラカン山脈の南の端だ。九十九折りの道を猛スピードで走るバスの車窓からは、時折、3,40mもの高木のそそり立つ姿が見える。と言うことは、つい近年まで、ここは熱帯雨林の森だったのだ。丘の斜面にはカシューナッツの木や名前の分らない木が植林されていた。そして、この丘にも岩が無かった。200kmもの間、堆積した泥の大地なのだ。山岳地帯から流され運ばれてきた比較的新しい土地は、人に豊かな恵みをもたらしてくれる。この辺りエーヤワディー管区はミャンマーの穀倉地帯でもある。
昼過ぎ、丘陵を降りるとマングロープ林のある河口の橋を渡る。(ミャンマーでは、橋などの公共建造物をむやみに写真に収められないので、撮っていない)そろそろ目的地のチャウンターだ。ついにベンガル湾側に出た。
宿にチェックインしてから、すぐに海岸へ出て、ビーチコーミングをした。はたしてベンガル湾には、どんな漂着種子が流れ着いているのだろうか。はじめの内はモモタマナやココヤシの実の殻ばかりで、うんざりしたが、ついにモダマ種子をゲット。それから日本の海岸にも時々漂着する大き目のジオクレアを幾つか拾った。
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この辺りの砂は、河口に近いこともあって意外と黒い。石垣島の砂を見慣れているせいだろうか。それにしても、海岸線はずっとリゾートホテルが立ち並んでいる。と言っても広々とした敷地にコテージ風の建物なので、見苦しさはない。ココヤシが熱帯の風情を醸し出している。オフシーズンではあるが、ミャンマー人の家族ずれがちらほらと見られる。土曜日なのでヤンゴン辺りから遊びに来たのだろう。外国人は少ない。
ひととおり海岸線を見て回り、南の河口付近にある漁師の村へ向かった。竹とニッパヤシの葉で壁と屋根が吹かれた小屋で、満潮線あたりで高床式になっている。風通しを考えての構造なのだろう。そお言えば、これだけふんだんにニッパヤシの葉が使われているのに、海岸線で種子を見ない。フィリピンのブスアンガ島に行った時も、マンク゜ロープ林背後地のニッパヤシは、奇麗に管理されていて株は低く、若い葉が林立していた。葉の利用頻度が高く、あまり実を着けないのだろうか。
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漁師の村に来たころには、すでに3時間あまりも海辺を歩いている。早朝6時から6時間もエアコンの無いマイクロバスに揺られ、前日の二日間寝不足とあって頭がぼっとしてきた。「ちょっとやばいかな」と感じ、村をぬけて宿に帰ることにした。しかし、そのころから意識が朦朧としだし、足首が痛みだした。まだ、旅の前半だというのにやばいと感じながら、ひたすら宿に向かった。チャウンターの街は主道が一本なので、村をでれば迷うことはない。ところが、行けども行けども宿が見当たらない。完全に意識が飛んでいて、ただ、ひたすら歩いている。そのうち、腕時計をはめた左手に麻痺感を感じた。手の甲がむくんでいる。やばっ、熱中症で血液が淀んでいるようだ。やがて、街のはずれまで来てしまい、宿を通りすぎたことに気づく。宿は道に面しているので、普通なら見過ごすことはない。と言っても、これから先、家もまばらで宿があるはずもなく、引き返すことにした。しばらくすると歩くのも限界を感じ、歩道の木陰に倒れこんだ。皮膚は湿っているが、流れるような汗をかいているわけでもない。もしかすると汗をかかなくなっているのかも知れない。ペットボトルの水で顔を洗い、腕にもかけた。かたわらを通るオートバイが止まって「宿に送ろうか」と声をかけているようだった。その時、頭の中で宿の名前を思い出そうとしたが、どうしても出てこない。口から出た言葉は「歩いて行くから大丈夫だ」であった。その時の自分は、はた眼に見ても疲労困憊していたのであろう。ミャンマーでは、バイクタクシーは外国人を乗せてはいけないことになっている。それを犯してまで、乗れといっているのだから・・・
しばらく休んでから、また、歩き出すと今度は宿のありかが分かった。部屋に戻り、すぐにシャワーを浴び、横になった。
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その日のビーチコーミングの成果。一握りの漂着種子とはじめての熱中症体験。

翌朝、ベットの中で目覚め、昨夜のことを思い出した。海から帰ってきて、シャワーで体を冷やし、ベットに倒れこんでから2時間ほどして目覚めた。部屋はすでに薄暗くなっており「何をしておくべきか」考えた。水を買っておくこと、がまず頭の中を過った。いずれにしろ、いったん外にでて、用事をたさなくてはならない。懐中電灯と財布をもって、300m程離れた、バスターミナルまで歩いた。そこには広場をコの字に囲むように建物があって、チケット売り場、売店、食道などが有る。空腹感はなかったが、夜中に腹が減ると困るので何か食べておこうと食道に入った。まず、冷えたペットボトルの水を頼み、それで火照る頭を冷やした。川エビの料理を頼んだが、ご飯をスプーンで三口ほど食べ、エビを少し摘んだところで気分が悪くなった。代金を払って、懐中電灯の明かりを頼りに宿へ向かった。ターミナルの角の所にいつもバイタクが客待ちをしている。そのうちの一人が「送っていこうか」と声をかけてくれた。「○○○だろ」と宿の名前まで知っていた。日中、ふらふらと歩く私の姿を仕事で行き来しながら見ていて、仲間同士「危なそうに歩いている外人がいる」などと噂していたのだろう。
狭い街のことだから「あぁ、彼は○○○に泊っている客だよ」とかなんとか、すべての運転手に筒抜けなのだろう。その時も「すぐそこだから大丈夫、ありがとう」と言って断った。彼らの声掛けは、親切心からであることが分かった。部屋に戻ってすぐに気分が悪くなり、トイレでもどした。とにかく寝るしかない。
しばらく寝付かれず、闇の中で目を開けていると、窓のカーテンに人影が写り、二、三度行き来する姿が見えた。「誰か、外で様子を窺っているのだろうか」と心配になり、起き上がって窓の外を見たが、外はテラスになっており、テーブルや椅子もあるので人が歩ける状態ではない。念のために開け放して、網戸だけ閉めていた窓のガラス戸も閉めて施錠をした。そして眠薬を飲んで寝た。
朝の目覚めは快適だった。二日分の睡眠不足を一気に取り戻したようだ。「さて、今日から目的を果たすため動かなくては」。「グットモーニング、モーニング、モーニング」入口前の広いテラスで遊んでいたオーナーの子供たちに声をかけた。やがてオーナーも出てきたので、ここへ来た目的を話し、ポケットから昨日海辺で拾ったモダマを出して見せ「ゴンニンドウを知っているか」と尋ねた。「あぁ、知っているとも、子供たちが遊びに使うやつだろ」。じつは、この植物自体を見たいのだけど街の近くにある場所を知っているか、と尋ねた。「街の近くには無いが、隣村の山にならあるはずだ」と言う返事だった。「是非、ガイドを手配してください」と頼み込んだ。彼は携帯で何度か電話して、「しばらく待っていろ、連絡して可能かどうか調べる」と言ってくれた。すこしほっとしたのか、急に空腹感を覚えたので「返事を待っている間、朝飯を食べてくる」と言って外出した。ターミナルの角には、相変わらずバイタクの運転手たちがたむろしていたので「今日は、元気だよ」と声を掛けて通り過ぎた。
10時頃、宿に戻るとオーナーが「ガイドと連絡がとれた」「あれに乗って行ってこい」とオートバイを指さした。従業員の青年が送ってくれるそうだ。(これはバイタクではないので、いいらしい)
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行く道、何度かぬかるみでオートバイを降りて歩き、村の一軒の家に着いた。暗い室内から一人の青年が出てきて運転手と親しげに話している。「うんじゃ、行ってみるか」てな調子で気軽に出発した。途中、青年は田圃の向こうにある田小屋へ鉈を取りに行き、再び合流した。はじめは、いたるところ水浸しだった道も丘にさしかかると山道になった。辺りはカシューナッツの畑である。
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しばらく丘を登っていくと大き目の木から垂れ下がるモダマの葉が目にとまった。花は咲いていないようだ。3月下旬にネパールでは、咲き始めていたので、花か小さな莢がついていてよさそうなものだが無い。
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青年が鉈で藪を払い、ツルの根元を探し当てた。「花か莢があったら、採って欲しいけれど」と頼んだら、青年、ロンジーをたくしあげ、近くの木をするすると登り始めた。その身軽なこと。
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結局、花も莢もなかったので、枝だけを少し採ってもらい標本用にした。青年はここの部分は食べられるよ、とツル先の新葉を口に含んだ。普段は、さっとお湯を通し、ハーブ類と一緒に食べるとのことだ。「ところで、ミャンマーでは、モダマの花は何時に咲くの」と聞いてみた。「夏」という返事が返ってきた。7月の今こそ夏ではないか、と内心思った。「夏って、何時」と聞くと「10月頃」と意外な答えが返ってきた。
「そっか、リゾート地のシーズンが乾季入りしてからだから、10月頃から夏なんだ」でも、ネパールでは3月下旬に蕾がつきはじめていたし、ラオス・ムアンゴイのブンニャン先生は「花は5月頃から咲く」と言っていた。実際、9月には、まだ、青い莢だった。石垣島では、花は5月頃から11月頃まで咲いていて、秋に咲いた花が結実して、7月頃熟す。同じモダマでも地域によって、開花期、結実期がずいぶんと異なる。種分化を考える時、この生態的条件は大事だ。
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ためしに、別な場所のモダマにも案内してもらった。やはり、花は咲いてなかった。
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チャウナ村のイーレイ君、それに運転手のソーチャ君、大変お世話になりました。ありがとう。カシューナッツの畑にて。

by modama | 2013-07-27 15:34
2013年 07月 25日

モダマを追って旅するアジア 5-1

ミャンマー編・ヤンゴンは寒かった。
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7月4日、14:45分石垣島空港を発つ。那覇で乗り換え、関西空港で国際線へ乗り換え、そして、
タイ・バンコックで再び乗り換え、翌日、7月5日、8:50分にヤンゴン空港へ着。ほとんど眠られぬまま着いた空港ロビーには、今回はじめて迎えてくれる人が待っていた。
これまでホテルの予約や通訳を事前に手配することはなかったが、最近、ヤンゴンでの宿が取りずらいこと、早めに「モダマ」の現地名を知り、地方へ出たかったことなどから、ヤンゴン在住の方に前もって手配を頼んでおいた。
ロビーで待っていてくれたのは、24歳の若き女性。時差ボケと寝不足も吹っ飛び、早々タクシーに乗ってホテルをチェックイン、と言ってもまだ時間が早いので荷物だけを預かってもらい、その足で
生薬屋さん探しに出かける。店はダウンタウンのインド人街と中国人街の中間辺りにあった。
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例によって一軒目の店で「これはミャンマー語で何と言いますか」と名前を聞いてから少量買う。
20個で1000R(100円)念のために領収書を書いてもらう。そして、「何の薬に使いますか」と質問する。思いもよらぬ答えが返って来た。「女性の月経不順」だという。種子を煎じて、液を飲むそうだ。まぁ、ひとつめの答えとしてそのまま受け止める。さすがにミャンマー人の通訳がいると事の進み具合が早い。二軒目の店では、前の店で聞いたモダマ名「ゴンニンドゥ」があるかと聞いてみる。店員が、商品の中からごそごそと取り出したものは、まさしくモダマ。ここでも20個を買い「何の薬か」と聞いてみる。すると店員は「知らない」と答えた。まぁ、いい、事を焦ることはない。すでにゴンニンドゥが分かったのだから、道々確認していけば良いことだ。
通訳を連れだって市場の雑踏を歩いていると、あった、あった、例の物が、一部の先生方が「タイではモダマを発芽させて、モヤシ状にして食べている」と言っているものだ。私はモダマの新芽を食べるという話は、東南アジアの各地で聞いて知っている。しかし、種子に関しては、アポリジ人以外情報を得ていない。そこで、早速、通訳を通してモダマかどうか確かめてもらった。
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名前は「ダンニェディー」だと言う。通訳の彼女も知っていて「煮たり、漬物にして食べる」と教えてくれた。「モダマとは違うよ。大きな木になる植物」とも言っていた。その後も各地の市場で見かけ多くの情報を得たが、モダマとはまったく異なる植物であることが分かった。買ってみたものを分解してみたが、モダマが発芽時、根が先に延びるのに対し、このダンニェディーは、芽が伸びていて、根はまだ双葉の中にあった。
後に漬物も見つけ買って食べてみたが、とても癖のある匂いがしてまずかった。たくさん食べると血圧が上がるらしい。バガンの市場で見つけた発芽前の実を写真に収めたので載せておこう。
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ヤンゴン・ダウンタウンの路上で売られていた生薬とガラクタ。モダマもあったが、ここでは買わず、シロツブと二本の大きな鉤爪のある種子、ドングリ、それに黒いササゲでヘソの周囲が白く飛び出た種子を買った。値段を聞いたら、かなりボッているようだが、夕食代ぐらいなので値切らずに払った。兄ちゃんニンマリして「写真撮ってもいいか」と聞くと「あぁ、いいよ」。

初日のヤンゴンでの市場では、情報収集をそれぐらいにして、次は、本屋に案内してもらった。東南アジアでは、タイを除いてどの国でも出版物が少なく、情報集めに苦労するがミャンマーも同様だった。図鑑類はまったく無く、やっと探した本は、ヤンゴン大学の先生が書いた「Medicinal Plant List of Myanmar」の一冊だった。写真も多く掲載されており、期待して購入した。通訳の娘は、値段を見て、こんなに高い本を買うのですかとびっくりしていた。定価30,000R(日本円で3,000)だ。
彼女にはとてつもない高価な本なのだろう。
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(今のところ東南アジアの植物を調べるには、各国が植民地であった大戦前にヨーロッパ諸国で発刊された古い資料にたよるしかない。)
(後で、涼しいホテルのロビーで、じっくり目を通したところ、完全なリストであって、写真と学名、ミャンマー名しか載っておらず、薬効に関してはまったく記述がなかった。それでも、写真はふんだんに使われているので、良しとするか)(でも、豪華な装丁の割には内容が薄い)
できれば、著者であるヤンゴン大学の先生にお会いして、詳しいお話を伺いたいとおもって通訳の娘に相談したが、アポがとれそうにない事、以前、日本人の人と教授にアポ無しで大学構内にはいったところ、ガードマンに追い出されたことなどから断られた。軍事政権下の大学では、大学に外国人が無断で立ち入ることにかなり神経を尖らせているようだ。
もともと通訳の彼女は、日本企業のミャンマー進出を手伝う仕事をしている人で、一般のガイド通訳とは違う。したがって、私のように市場で植物を探したり、本屋に出かけて本を探すような対応には慣れていないようだ。それでも十分役割ははたしてくれ、最後に翌日のチャウンター行きバスチケットを買うのにつきあってもらい別れた。
宿泊先のホテルに戻ると、部屋の掃除が済み、テレビとクーラーが着きっ放しになっていた。ミャンマー入り初日とあって予約を頼んでおいたホテルは、普段宿泊するゲストハウスとは違い少々お値段の高い、と言ってもリゾートホテルではなく、日本で言うビジネスホテルタイプだった。室内にはダブルベットと電話、テレビがあり、それに机と椅子、冷蔵庫もあった。何故か部屋にはそぐわないパイプ製の洗濯物干し台もある。ゲストハウスですらランドリーサービスがあるのに、これは一体何なのだろう。シャワーを浴び、着替えを済ませてから階下のミニバーでビールと夕食をとることにした。いつもは街に出て食堂へ行くのだが、このホテルは郊外にあって、近所に飲食店が無い。しかし、周囲は緑豊かで環境は良い。6階の部屋から1階へ降りたが、他の客とは一人も逢わなかった。客はみんなビジネスマンで、まだ、接待の時間なのだろうか。バーには地元客が二人いて、カラオケで歌っていた。ミャンマー語の歌謡曲みたいで、お世辞にもうまいとはいえない。ビールを二本飲んで、軽い食事を済ませ、そこそこに部屋へ戻った。ところが、部屋がやたらと寒い。クーラーの設定を見ると、なんと17度になっている。石垣島の冬の温度だ。設定を24度に変えたが、いっこうに寒さは変わらない。しかたなく、クーラーを切った。サイドテーブルに用意されたコーヒーカップと小袋入りインスタントコーヒーがあったので飲もうとしたら、ポットにお湯が無い。水でも飲むかと冷蔵庫を開けると、中はまったく冷えておらず、普段持ち歩いているペットボトルの水と変わらない温度だった。
これでは、冷蔵庫とは言えず、扉を開くと電気の点く箱にすぎない。
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テレビは、薄型の画像で衛星が受信できるが、私は普段からテレビをあまり見ない。ゲストハウスだと、ロビーに各国からの客がたむろしていて、話をしたりして暇をつぶせるが、このホテルでは他の客とは一人も逢っていない。しかたなく、机の上にあった電話帳よりも厚「YANGONDIRECTORY」
のページをめくる。普段、海外出張のビジネスマンはホテルの部屋で、こんなものを見て翌日の仕事の算段をしているのか、と思っていると眠くなってきた。
寝苦しさで目覚め、時計を見ると12時だった。たしか、10時頃寝たので2時間ほど寝たことになる。部屋の空気が生ぬるく淀んでいた。そお言えばクーラーを切っていたのだ。再びクーラーをつける。昨日、飛行機の乗り継ぎで睡眠をとっていないのに、もお少し寝ておかないといけないな、と思っていると、また、部屋が寒くなってきた。今朝は、5時前にホテルを出てタクシーで郊外のバスターミナルへ向かわなければならない。結局、その後、睡眠を取ることなくホテルをチェックアウトした。

by modama | 2013-07-25 12:33