石垣島便り

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2015年 03月 29日

オオコウモリの酒盛り

石垣島はセンダンの花が咲いて初夏らしくなった。
私にとっては、この季節の晴天は 「オオヒゲブトハナムグリ日和」 と言える。
しかし、この虫との付き合いも終えて久しい。

先日、犬のジンを連れて散歩に行ったら、下の県道の並木の前で ・・・ ???。
出会ったのはヤシ科植物の落ちた花穂。
「散った」 のではなく、落とされたようだ。
よく見ると花穂には噛み跡がある。
その周辺にはペリットらしきものもある。
「は、はーん、オオコウモリの仕業だな」

2月にスリランカでヤシの蒸留酒を飲んだ。
このヤシ酒はココヤシに限らず、多くのヤシ科植物で作ることができる。
ブログの前のページのヤシの木に竹を結び付けて階段とした写真もココヤシではなく別のヤシだ。
花穂の花が受粉をしはじめると糖分の多い樹液を送るらしい。
それを人が切って容器に溜めて集め、醗酵させたり、さらに蒸留したものがヤシ酒であるから、
オオコウモリにとっても魅力的な食べ物なのだろう。

これまでに庭のタビビトノキ(オオギバショウ、これもヤシの仲間) で同じ様子を見た。
その時の観察でも、オオコウモリは美味しいからといってむやみに食べてしまうのではなく、
ほどほどに食べるので、最終的にはヤシ類は結実することができる。

どうやらお酒は、ほどほどに飲むのがいいらしい。
ほどほどが、自身にも周囲にも良いらしい。
肝に命じよう。
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by modama | 2015-03-29 13:28 | Comments(5)
2015年 03月 07日

モダマを追って旅するアジア・7-6, 旅の途中で

その1,
スリランカ・キャンディーの山の中の村で見たヤシノキ。
枝が少し残された竹が、ヤシの幹に結わえられていた。
どうやらこの村ではヤシ酒を作っているらしいと思っていた。


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夕方、ディナーの前に燭台にココナッツ油の火がともされた。
同じ棟に宿泊していた日本人客が同席していて、ウエイターにココナッツリキュールを注文した。
しかし、ウエイターははじめ意味が分からなかったが、「サケ、サケ」 と言ったら理解したらしくグラスに褐色の飲み物を持ってきた。
私も同じものを注文して乾杯した。
甘みとコクのある度数の高い酒だ。
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キャンディーの街に戻ってから、もう一度飲んでみようと酒屋を探した。
スリランカには、酒屋がほとんど無い。
やっと一軒のワインショップを見つけたところ、カウンターの前には鉄格子があって、商品は奥の棚に並んでいる。
「ココナッツリキュール」 と言ったら、ここでも意味がつうじず、いろいろ説明したら一本の小瓶を持ってきた。
お金を払うと新聞紙でくるんでくれた。
店の扉の陰では、何やら立ち飲みしている男がいる。
どうやらスリランカでは、おおびらに酒が飲める雰囲気ではないようだ。
宿に帰って小瓶を見ると「ARRACK」 と書かれていた。
飲んでみたが、山の村で飲んだ方がずっと美味かった。
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その2,


ジャワ・パガンダランの村で、歩きつかれて海岸近くのベンチに腰をおろした。
インド洋からの海風が汗をぬぐう。
一服していると、目に映る風景に一頭の馬が横切った。
水面を白い波がけだるく立ち上がっては砕ける。
しばらくすると、また、馬が風景を横切った。
白い波がまた砕ける。
時が刻む。

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その3,

気にいった一枚の布。
ジョグジャカルタにて。

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その3,

「僕は昔、白馬だった」

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その4,

無題。

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その5,

何かおかしい。

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その6,

窓の中のつどい。

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その7,

そお言えば似ているかも。
<昨年の大会の(漂着物鑑定会)に出された櫂に>

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トランシットの際、台湾桃園国際空港にて。

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ジャワ・パガンダカンにて。
地域によって形も変わる。

その8,

ジョクジャカルタのポップな象。

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その9,

空港搭乗待合室での私の避難場所。

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by modama | 2015-03-07 12:31 | Comments(2)
2015年 03月 06日

モダマを追って旅するアジア・7-5, ジョグシャカルタへ

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パガンダランからミニバスに乗ってバンジャール駅へ行き、そこから二等列車でジョグジャへ、
ジョグジャ・トゥク駅近くに宿をとる。
ジョグジャは王宮文化の伝統が残る古都で、高層ビルなどは無い。
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駅前風景、今でも馬車は頻繁に活用されており、目抜き通りのJL,Malioboro では一車線の半分が、
オート三輪車と馬車の専用道路になっていた。また、歩道は屋台で賑わう。
今回、泊まった宿の中庭には小さなプールとレストランがあった。
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さっそく街中を歩き、それからオート三輪に乗って王宮近くのバティック工房へ行く。
案内人が作業風景を見せてくれ、展示室へと導く。
バティックは、はじめから何点か買うつもりだったので、作品を見て廻る。
気に入った作品があったので、値段交渉に入る。
「200弗」だと言うので、少ししぶっていると「150弗」に下げた。
「100弗」と値切ると、さらに奥の展示室へ連れて行き 「それなら80弗にまけるから、私に20弗ください」
と言う。
早く、早くと催促する。
工房の作家の陰で、販売員が上前をはねようとしているのだ。
頭にきたので、その場を去った。
そとでは、オート三輪の運転手が待っていて、他に行くかと聞くので、「歩く」 と言って分かれた。
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何件かの工房とギャラリーを廻ったが、作品の多くは観光用で、幾つか作品もあるが、伝統的な衣装は
ほとんど作られていないようだ。
店で見るバティック柄はみんなプリントで、街中を行く人々も好んで新しいデザインのプリントを身に着けている。
手作りの作品なんて値段が高く、普段着には使えないだろうが、衰退ぶりは世界中どこも同じなのだろう。
ただ、王宮周辺のこの街には、庶民の生活と手作りの伝統が感じられる。
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小さな店前のオブジェにしても心引かれるし、民家の植え込みにも生活感がある。
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気分を一新して、近くのタマン・サリという離宮へ観光に行くことにした。
ここは王宮と違ってそれほど観光客も多くないだろう。
案内書によると、1765年に建てられ、池の周囲には小窓の部屋があって、スルタンがその夜床を共にする
美女たちが生活していたとか、あの、あの、大奥とも言える場所らしい。(がぜん張り切る)
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この離宮の傍らに変わった建築物があった。
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そこで、ジャカルタから来たという女子大生三人組に出会った。うふふ・・・。
とてもきさくに声を掛けてくる。写真を撮ったり、地下道を一緒に散策した。
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黒いヒジャブを身に着けた女子大生たちに
「みんなが今晩ここの部屋にステイするのだったら、訪ねてくるよ」 って言ったら 「あら、うれしい」 だって、
みんなで大笑いした。
(文化財だから泊まれるわけがない)
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若者たちの地下道ライブ、あまり上手ではなかったが (失礼) いくばくかのお布施、いやお布施とは言わないナ。

女子大生たちと別れて、一人下町の路地をさ迷う。
おぉ、素晴らしい改造車。乗ってみたかったが運転手がいない。
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そんなわき見をして街中を歩いているうちに迷子になる。
それが迷路ではなくずっと続く一本道なのだ。
私は王宮南広場前から東に進んでJl,Brigiend Katamso 大通りに出るつもりでいた。
ところが一度突き当たって左に曲がった小道は、行けども行けども右に曲がって大通りへ繋がる道がない。
そこには、平屋の長屋がずっと連なっている。
庶民生活の匂いのする道で、車の行き来も少ない。
北の空の雲行きがおかしくなってきたので、とにかく早く大通りにでて車を拾おうと思う。
雷が鳴って、雨が降り始めたころやっと突き当たりの大通りにでる。
メータータクシーを拾って走りだすころには大雨になっていた。

宿に着くと停電だった。部屋から地図を持ち出し明るい中庭で見ると確かにJl,Brigiend Katamso に
沿って平行に北上する小道がある。
何でこんな道ができたのだろう。

翌朝、ジョグジャからジャカルタへ、そしてバンコクへ向かう予定だった。
朝、4時に起きて空港へ向かった。
チェックインしようとしたらジョグジャ発6:25(QZ7559)、ジャカルタ行はキャンセルだという。
12時発(QZ7553)に乗ってくれと言う。他の航空会社は、次々とフライトしているのに何故だろう。
とにかく待つことにする。
5時間以上待たされて、やっとチェックイン、機内荷物を預けて登場待合室へ、しかし、登場口の記載もない。
そこで、係員に聞いてみると 「1から4のどれかだ」 と言う。搭乗口は4つしかないのであたりまえだ。
ボーディングボードには、ゲートナンバー00になっている。
待っている間に他の航空会社のジャカルタ行きは次々とフライトを完了して消えていく。
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しばらくして12:00近くになったので、ボードを見るとゲートナンバーは相変わらず00で、出発時刻が12:50
に変更されている。
すると、待合室にいた欧米人の女性二人が係員に抗議しだした。しかし、他のインドネシア人達は冷静にしている。
やがて12:50がすぎると、今度は15:30へ変更された。
今度は私の前の席で待っていた中国系(身なりのセンスからして中国人ではなく、マレーシア辺りの中国系)
の若い女性がやはり激しく係員にくってかかった。
そんな光景を見ながら私もふっと気にかかった。
「当初ジャカルタで12:55発バンコク行きに乗る予定だった」 それが遅れから16:45へと変更になった。
「ジョグジャ15:30で1時間のフライトとして間に合うだろうか」
係員にEチケットを見せて聞いてみた。係員「今日はバンコクへ行けませんね」 だって。
「おい、おい、いいかげんにしろよ」 さすがの私も切れてしまった。
「朝、4:00に宿をでてずっと待っているんだぞ」 「ジャカルタまでは、今日中に本当に飛ぶんだな」
「明日のフライトはどうなっているんだ」 係員 「私にはちょっと・・・。事務所の方へ行きましょう」
搭乗待合室を出て、荷物預かり所横の事務所へ行く。
もう、こうなると英語だけでは間に合わないので、日本語がまぜまぜになって口から出てくる。
やがて、係員が呼んだのか日本語が少し話せる青年が来た。
「今日中にジャカルタへ飛べるんだな。明日、必ずバンコクに着けるな」 青年が通訳する。
「明日のフライトのチケットを作れ」 と命じる。
係員は、ひたすらPCに向かって関わらないようにしている。
その間、日本語の話せる青年に質問する。彼はいたって低姿勢だ。
「何で6:25の便はキャンセルになったの」 「お客が少なかったからです。ごめんなさい」
率直な青年の態度に怒りが冷めていく。
「今晩、私はジャカルタで一泊しなければならないんだよ。バンコクの宿もキャンセルになるし」
「すみません」
「ジャカルタでの宿泊は会社が負担するの」 「いや、それはできません。会社、今、大変ね」
「ジャカルタでも、タクシー代、ホテル代かかるよ」 「すみません」 「君に言ってもしかたないけど」
「あなた、お金大丈夫?」 思わず吹き出してしまった。
「君は客の集まらない会社のことや、自分の将来の事を心配しなさい」 と言いたかった。
明日のフライトのチケットができると、こんどは青年が着いてきて待合室に入った。
搭乗口の上には次のような電光掲示がなされていた。
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青年が「お腹すいたでしょう。これ食べてね」 と弁当が手渡された。
飛行機は、15:30を大分すぎてから飛んだ。
ジャカルタへ向かう機窓から富士山に似た山が見えた。





 

by modama | 2015-03-06 12:00 | Comments(2)
2015年 03月 04日

モダマを追って旅するアジア7-4, ジャワ島 1,

スリランカから第二の目的地ジャワ島へ飛んだ。
ジャワでは、モダマもだがバティック生産の近況を知りたかった。
それで、モダマ探しでジャワ島中部インド洋側のパガンダランと、バティックを見にジョグジャカルタを目指した。
ジャカルタに到着して、コタに宿をとってから夕方、ぶらぶらと街を歩いた。
一軒の食べ物屋台に吊り下げられたマメを見つけた。
「は、は~ん。これが良く話の中でモダマと間違われるマメだな」
何より体験が第一と思い、店の人に「これ、料理するのか」と聞いてみた。
と、その女性が何処かで見覚えのある顔をしていた。
「誰だったかな~」 なかなか思いだせない。
とりあえず、ゴレンとマメ、、鳥などを料理してくれるように頼んだ。
女性は、外にいた男性に声を掛け、自分は子供に食事をさせた。
「このマメ、何て呼ぶの」 と聞いたら、メニューに書かれた一部を指差した。
「PETAI」(パッタイ)と書かれている。
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莢ごと油で揚げて中のマメを食べる。
すこし青臭いが歯ごたえがあって、まずくはない(この言い回しが微妙)
「写真撮らせて」 って、彼女にいったら、「とうちゃん、写真撮りたいのだって」
本当は、誰似なのか思い出すために彼女を撮りたかったのに・・・

このマメは、その後、パガンダランへバスで向かう途中、樹になっているのを幾度か見た。
今がシーズンらしい。
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翌朝、ジャカルタ郊外のバスターミナルからパガンダランへ向かった。
東南アジアでは、バスターミナルが郊外にあるため早朝に宿をタクシーなどで出なければならない。
飛行機も同じことが言える。
天候の安定している早朝発が多い。移動するたびに3時とか5時とか早起きをしなければならない。
そして、バスなどでは、9時間乗るバス代よりターミナルへ向かうタクシー代の方がはるかに値段が高い。

例えば、スリランカで乗った列車コロンボ~キャンディー間の二等代は190rs(160円ぐらい)時間にして3時間半の旅だ。
いかに公共交通手段の値が安いかが分かる。

今回のパガンダランへのバス9時間の旅は少し不安があった。
しかし、インドネシアの道路事情は比較的整備されていて、思ったほどの疲労はなかった。
かつて移動したラオスでのボーテンからルアンパパーン、ルアンパパーンからビエンチャン、ビエンチャンから
パクセまでのバス旅から比べるとずっと楽だ。
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それでも途中道路冠水があって渋滞が続き、9時間の予定が10時間かかった。
おまけに最後、パガンダランのバスターミナルが最終点だと思って乗っていたら、少し離れた車庫で降りるはめになった。
降りてからオートバイの兄ちゃんに宿を聞くと隣村だという。
そのまま、オートバイに乗せてもらって宿についた。
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この安宿には、三泊した。
村は岬の途中にあるため、左右が砂浜の海岸線になっている。
岬先端は、砂洲に島が着いたように緑豊かな高台があり、ここが国立公園に指定されている。
隆起珊瑚礁から成る台地で、砂洲の村部分を含めて漂着由来の植物が多く自生しているだろうと
予想して選んだ。
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夕方までにまだ少し時間があるので村の中を歩いてみた。
ジャカルタ辺りからの観光客も多い。
通りすがりの女性で、以前、工房のスタッフだった牧ちゃんにそっくりな娘がいた。
「牧ちゃんがスカーフかぶったらそっくりだな~」 などと思っていたら、昨夜の屋台の女性がアキちゃんの
若い頃の顔にそっくりなことを思い出した。
「な~んだ。PETAIマメの屋台の女性はアキちゃん似なんだ」 歩きながら一人でクスクスと笑った。

宿に帰ってビールを飲んでいると、オートバイでツアーに出ていた欧米人の客らが帰って来た。
そのガイドをしていた青年が話しかけてきたので、早速仕事にとりかかった。
「あそこのナショナルパークにこんなマメある」 いつも持ち歩いているネパールのモダマを見せた。
「う~ん、あそこでは見たことないな」 
「じゃあ、こんな植物知っている」 スリランカのモダマ標本の写真を見せた。
マメが莢に入っている絵をメモ帳に書いた。
そのうち宿のオーナーや他のガイドも加わって、話の輪がひろまった。
ああだこうだやっているうちにはじめのガイドが「JENGKOLだ」 と言い出す。
みんなも「JENGKOLだ」 と言い出す。
「この辺に有るとこ知っているか」 と聞くと、この辺には無く、山の方にあると言う。
そこで、チェックインの時、宿にあった鏡に貼り付けられた漂着物の中にあるモダマも示した。
漂着種子のモダマはEntada rheedii だったので 「インドネシアのモダマはこれより大きい」 と説明した。
「そうだ」 とみんな頷く。
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ガイドがしきりに電話して、仲間から情報を得ているようだ。
それで、明日、案内してくれるかと尋ねたところ、1時から自分のオートバイで山へ行こうと言う事になった。
しかし、今ひとつすっきりしない。
「JENGKOL」 何だか以前聞いたことのある響きだ。しかし、今、ここで調べる手段が私にはない。

翌日、PM1時に約束の時間どおり、ガイドのイピン君は来た。
これだけでも誠意は感じられる。
イピン君は「行く前に話があります」 と言って、端末の写真を見せた。
そこにはJENGKOLの写真が載っていた。
ところが、タイやミャンマーやインドネシアで食べる臭いマメの写真だ。
このブログでも以前載せた。
それで聞き覚えがあったのだ。
「これじゃない」 と言って、ENTADA のスペルを教えた。
端末で検索するとモダマの写真がでてきた。
最近は便利になったものだ。(携帯すら持たない私には、そお思える)
あの臭いマメのジンコーマメとは、明らかに違う。
イピン君、首をかしげ再び携帯で電話しはじめる。
他のガイドや山の村に住む友達に電話で確認しているのだ。
「有るか??」 と聞いても話ではうまく相手に伝わらないようだ。

そこにもう一人のガイドがやって来て、話はめぐるめぐる。
切が無いので、「兎に角山の友人の所へ行ってみよう」 とGO!! の指令をだす。
山の村に行ってみるだけでも楽しい。
私はイピン君のオートバイの後ろに乗って、もう一人のガイドが先頭を走る。
そして、山の村へ・・・・・
一軒の家に訪ねるとガイド達と同年代の青年が迎えてくれる。
そして、ガイドから端末の写真を見せられると「見たことあるけどな~」 というような事を言っている雰囲気。
私には彼らの会話が分からない。
やがて青年が山刀を腰に巻いて出発。
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山といってもこの辺りは、昔、一度伐採して果樹や樹木を植えた場所である。
途中、川の横に作られた小屋に立ち寄る。
中では別の若者が、ココヤシ砂糖を煮ていた。
同じような小屋が青年の家の前にもあったので、この辺りはココヤシ糖作りがさかんなようだ。
村の家の前に小屋を作ると火の管理は楽だが、マキや収穫したココヤシの花穂の樹液を運んでこなければならない。
山の中に小屋を作れば、マキや原料が近くにある。
その分、小屋に居て火の管理をしなくてはならないのだろう。
昔、社会科の時間に製鉄所が港の近くにある理由を習った。
まあ、そんなことはどうでもよい。
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それからまた山の中を巡ったら、ガイドの二人が 「きつい!!」 とねをあげはじめた。
先頭の青年はどんどん先へ行く。ガイドの二人は私の後ろで遅れにおくれている。
青年に 「待とう」 と声を掛けて一服する。
後からやって来たガイドが 「あなたは強い」 と言う。
おい、おい、自分の息子より若いガイドにそんなこと言われたくないよ。

山を巡った感じでは、自生地はなさそうなので、引き上げることにする。
家の前でオートバイに乗る前に、幾らかの謝礼を渡すと青年は家から一塊のココヤシ糖を持ってきてくれようとした。
気持ちは嬉しいが、ことわって分かれた。

追伸、この山歩きの際、パガンダラン廃線のトンネルに出会った。
かつてバンジャールからパガンダランへ引かれた鉄道があって、このトンネルは1kmにもおよぶ。
現在は線路も枕木も撤去されていて、森の中でポッカリと口を開けていた。不思議な光景だ。

宿に帰ってからガイドのイピン君が 「明日、ナショナルパークを案内しますか」 と聞くので
「明日は一人で行く」 と断わった。
彼にしろもう一人のガイドにしろ、ただ英語が話せるというだれで、自身の体験や知識が不足している。
それでも、精一杯対応してくれたことには誠意を感じた。

翌日は、ぶらぶらと森の中を歩き、海岸ではビーチコーミングをした。
ここには公認のガイドたちもいて、国内外の観光客たちを案内している。
だぶん外国人の入域料にはガイド料も含まれているようだが、一人で巡った。
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海岸近くの樹木、海を背景としている人影と比べるといかに樹高が高いかが分かる。
隆起珊瑚礁から成る台地なので、規模の小さな鍾乳洞もある。
ジャングルの中には鹿やサルなどがいて人馴れしている。
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学生たちの団体が来るとボスサルが、女子を狙って食べ物を奪い取る。
悪知恵のつきかたは万国共通だ゛。
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ジャングルをぬけてところどころにある小さな砂浜へ出てビーチコーミングをする。
しかし、漂着しているものはローカルなものがほとんどだった。
むしろ、石垣島を含めた南西諸島の方が変化に富む、これは黒潮の恩恵が大きいのだろう。
海外の海岸で、逆にそれを知る。
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漂着発芽しているニッパヤシ。
少し興味があったのは、テリハボクの種子が何者かに食べられていること、これは石垣島ではあまり見ない事例だ。
生息動物によって流出する頻度や漂着後の定着に圧が加わるだろう。
そして、樹形や樹皮の違いも見られた。石垣島のテリハボクとは大分違う。
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ハスノハギリの種子もひとまわりおおきかった。

by modama | 2015-03-04 15:31 | Comments(2)
2015年 03月 02日

モダマを追って旅するアジア、7-3, バンコク

都会の水にあたる

タイにはこれまで何度か行った。
と言っても空港から街へ出たことはなく、トランシットで夜を明かした。
または、メコンの対岸から国境線を隔てて眺めただけだった。
今回、スリランカに行くにあたって、どうせトランシットするのであるから降りて用を足そうと思いついた。

その用というのは、タイ発刊の植物関係の本を探すことである。
随分前のことだが元石垣に在住していてアジアン雑貨の店を営んでいた知人が、タイに住むようになったので、
彼に本を探して送ってくれとメールで頼んだことがある。
本が店に届いたと電話があり、取りに行ったところ10冊あまりの本があり、手持ちの金では支払う代金が
足らず、店の人に後で取りにくると告げた。
後日、本を取りにいったら別の店番がいて、本は売れてしまったと言う。
もともと商品として、タイから送られて来たのではなく、私がタイ在住のオーナーに頼んで探してもらったものだ。
店番には、その事情が伝わっていなかったようだ。
とても残念な思いをした。
こんど、自分でタイに行ったら探してみようと思い続けていた。

東南アジアでの出版事情は非常に乏しく、特に植物関係のような専門書は、むしろ、現地では無く、
かつての植民地支配国から出版されている。
それらの本は、どうにか入手したり、研究機関や図書館などの物を利用することができる。
発展途上国の中でも最近目覚しい発展をとげているタイでは、自国で出版するようになり、それらの本には写真が掲載されている。
植民地時代の出版物には僅かなイラストしか載っていない。

そんなことで、行きと帰りに二泊づつ予定を組んだ。
台北からバンコクに昼頃着き、宿に落ち着いた。
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少し街を歩き、それから書店のあるプロムボンへむかった。
スクムウィット通りに近いその辺りは、高層ビルが立ち並んでいる。
随分探したが所在地が分からず、通りすがりの女子高生に聞いてみた。
青い目の澄んだ外人がハーフの娘だった。
流暢な英語で対応してくれ、地図を見て「確かにこの辺だけど知らない」と言った。
道を走るオートバイを指差し、彼らが詳しいはずよとアドバイスしてくれた。
確かにそうだ、路地のことはソイを走り回る彼らが詳しい。
礼を言うと、ニコッと笑った口元に歯の矯正用金具が光った。

バイクの運転手を捕まえて、聞いてみるが首をかしげるばかしなので、兎に角地図の辺りを走ってくれと頼んだ。
途中、路地の角でたむろしている仲間の運転手とも相談したが、分からないと言う。
ああだこうだとしているうちに、エンボリアムという高級ショッピングモールの中にあるらしいことが分かった。
オートバイを横づけして、客の乗るタクシーを誘導している係りに「書店はあるか」と尋ねると「有る」と言う。
「そうなんだ。路地を走るオートバイの運転手には、縁もゆかりもない場所なのである」
建物の中に入ってから、エスカレーターで、兎に角最上階まで行ってから、降りながら探そう。
と、すぐに「紀伊国屋書店」があった。品ぞろいは良いが洋書ばかりで地元の本や植物関係の本がない。
階を降りていくと、エーシア・ブックスともう一軒の書店があった。
そこは雑誌類とビジネス書が多く、目的の本は少なかった。
目的は達せられず、夕方になったのでタクシーを拾うことにした。
ところが、ショッピングモールの係員がタクシーと交渉しても、皆行きたがらない。
結局、金額提示で行かせることにした。
そのわけは、ひどい渋滞にあったことが後で分かる。

また、もう少し都会感覚があれば、BTSで数駅移動してからタクシーを拾えばよかった。
東京生まれとはいえ、もう、数十年も石垣島で暮らしているとその辺の機転がきかない。
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渋滞するタクシーの中で、お腹の異変に気づいた。
早く宿に着いてくれ、と焦れども、いっこうにタクシーは前に進まない。
腹痛は刻々、激しさをます。しかし、タクシーは動かない。
一時間以上してから、宿の近くのカオサン通り近くまで来た。
だが、夕方時、何処の道も歩行者で溢れかえり、車の進入は禁止されている。
しかたないので、車を降り、歩くことにした。
道に面した飲食店で食事やビールを飲む人、屋台にたむろする人、物売りと通行人でごったがえす通りを
ひたすら脇目もふらず、宿を目指した。
部屋に戻って、ベットに横たわった瞬間、便意を催しトイレになだれ込んだ。
便座に座ると同時に、水のような便が噴出した。
間一髪である。
しばらく、うずくまっていたが、収まったかのように思えたので、ベットに戻るとすぐさま第二波が襲ってきた。
また、トイレに駆け込む。
同じようなことが繰り替えされ、移動する気力も失せたので、トイレで横たわることにした。
シャワー兼用のトイレで2×2m程の広さがある。
そこにバスタオルを敷いて裸のまま横になった。
床タイルの冷たさが気持ちよかった。
腹痛はなおも続いた。
一度、部屋の荷物から常備薬を取り出し飲んだ。
〇〇丸という薬で、これまで何処に行くにも携帯している。
そして、少しお腹に異変があるとき必ずこの薬を飲むことで難を逃れてきた。
頭と体の単純な私には、この薬はよく効いた。
ラオスやカンボジアの僻地でも、都市のスラム街でも、こんな症状を経験したことはこれまでなかった。
それが、バンコクの都市で体験するとは・・・

トイレで横たわりながら、自分の惨めな姿を思い浮かべた。

頭の中をこれまでの旅の思い出が駆け巡った。
膝が痛いにも関わらずベトナム、中国雲南、ラオスを巡った時、食堂の裏の部屋に泊めてもらい、
野外にある穴の上に二枚の板を渡したトイレで、膝まづくことができず、相撲のシキリのような格好で用をたしたこと。
カンボジアのレイクサイトの水上宿に泊まった事、(ここは不法占拠と麻薬販売で翌年には撤去させられたと聞く)
いずれにしろ、今回のような惨めな思いはなかった。

それが、今回、自分の姿が惨めに思えるのは、歳のせいだろうか。
このような体験は、海外旅行を多数している人には、必ずあることだろう。
気も体も弱っているに違いない。
それでも、自分には〇〇丸があれば、この場はしのげると強く信じた。

二時間程してから、シャワーを浴び、ベットに戻った。
横たわりながらいろいろな夢を見た。
やがて、痛みも和らぎ、空腹を感じた。
もう大丈夫だと思い、今日一日を振り返ってみた。
朝、台北から飛行機に乗り、機内食を食べた。
タイに着いて、宿に荷を置いてからチャオプラヤー河畔を歩き、コンビニで野菜サラダを買って食べた。
キュウリとナスとゆで卵に唐辛子の調味料のパックだ。
それ以外は口にしていない。
まさか機内食ではないだろうから、サラダの野菜を洗った水なのだろうか。
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タイの都会で水にあたるとは思ってもいなかった。

翌日は、本屋巡りを一時中断して、ワットポーのマッサージを受けることにした。
ここは寺院の敷地内にあり、スクールも併設するタイマッサージ施設だ。
一時間コースをお願いすると、ズボンを履き替え裸になれと言われた。
まわりの人は、服を着たままなのになんで俺だけが裸になるのだろうか。
おばさんの指示に従い横になると、足の方からマッサージがはじまった。
筋肉と骨の間を指で押されるとかなり痛い。
「むっ、むっむ・・・」「痛て~」 こりゃ~虐待だ・・・
痛さを堪えているうちに、痛さが快感にも感じてくる・・・・・俺って変なけがあるのかしら。
おばさんは別に力を入れるわけでもなく、隣のスタッフとお喋りしながらたんたんとこなしている。
そのうち、その話し声が妙に心地よく聞こえてくる。
身も心もバラバラにときほぐされ、かき回され、また、繋ぎ合わされる気持ちがする。
そのうち上半身を起こして、肩と首をいじりフィニッシュ。
あっというまの一時間だった。

外にでると身が軽くなったような気がする。
これで明日からスリランカの旅が順調にできそうだ。
ワットポーの仏様に挨拶して返ろう。
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タイマッサージの診療所。
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帰り道は、チャオプラヤー河を船で遡った。

by modama | 2015-03-02 15:07 | Comments(2)
2015年 03月 01日

モダマを追って旅するアジア 7-2, スリランカ編 2

前もって集めた資料をもとに現地へ行って確認する作業は、以外と難しい。
例えば、標本に「東京 高尾山」 と表記されていても、広い山の森の中を探すわけだから、
さらに絞り込んで自生しそうな地域を重点的に歩き廻るしかない。
最近は、GPS やグーグルアースといった機器表示があるので参考になる。

今回の場所は、Udawattekele Sanctuary 内に自生していたので、確認だけにとどめた。
次の目的地は、ここから20km程離れた山間部の森だ。
おそらく自生しているだろうと目星をつけている。

宿に戻って預けてあった荷物を部屋に運んだ。
まるで屋根裏部屋というか、普段従業員が使っているのではないかと思われるような部屋だ。
げんに部屋の前で、従業員たちが休息時間にたむろしている。
そんなこともあって、部屋では寝るだけにして、二階のベランダでくつろぐことにした。

夕暮れ時の佛歯寺前は、献花売りの屋台周辺に明かりが灯り美しい。
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そこでは、日本人の学生Y君に出会った。
彼は卒業後高校教師になる内定が決まっていて、旅をしていると話していた。
スリランカからインドに渡るらしい。

翌日、早々に宿を引き払って次の目的地に向かった。
今度の宿は Hula ganga river に面した森に幾つかのロッジを有している。
私が使わせてもらったのは、まさに川の流れを一望できる部屋だった。
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部屋の前のテラスからは足下に渓流が望め、対岸の森が美しい。
部屋の外にバスと昼寝用のベットがあり、寝室には家具とベット二つがある。
家族で泊まれるような部屋だ。
このロッジからフロントのあるレストハウスまでの距離は200mぐらいある。
各ロッジも森の中に点在していて、食事の時間にだけ顔を合わせる。

チェックインしたとき、目的を告げモダマの自生地があるか確認した。
宿から少し登った滝へ至る山道に在るという情報を得た。
地元の呼び名では 「Pus gedi」 だそうだ。
キャンディーのサンクチュアリーの名札には「Pus Wela」 と書かれていたので間違いないだろう。
午後から案内していただけるよう交渉した。
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案内していただいたのは、この宿泊施設で働く地元出身のカピラさん、
「私の来た村の名前が川平だよ」 と冗談を言ったら・・・・・???・・・・・きょとんとしていた。
やはり地元の人は辺りの自然に詳しい。
このような人にガイドを勤めてもらうと言葉は通じなくとも頼もしい。
滝に行くまでの間に三株を見つけ、林床で種子を拾った。
私がモダマ小葉の落ち葉を拾って見つめていると、カピラさんがツルの途中から生えた彦生を棒で叩き落としてくれた。
こちらが何を求めているのか、いち早く気づく気質だ。
おかげで葉と種子のサンプルを入手することができた。
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今回、私は完全装備で森に出かけたが、やはりヒルに喰われた。
裸足で森を案内してくれたカピラさんには一匹もヒルが着かなかった。
不思議だな~。
ただ、彼は足の指の間を怪我していて、手にもっていた小布に包んだもので時々、足を拭いていた。
もしかして、虫除けの薬になる草か何かが入っていたのだろうか。

宿に帰ってから、通訳してもらって 「モダマを薬として使うか」 と尋ねてもらった。
答えは 「湿疹の薬として使っていた」 とのことである。
これはタイなどと同じである。

翌朝、宿泊施設の森を散策していたら、掃除をしているカピラさんに出会った。
彼は、私について来いという仕種をして先頭にたって歩き始めた。
留まったところで指差す場所にはモダマがあった。
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ここのにも彦生がついていた。
彼は、自分は仕事があるからという仕種をして、来た道を戻っていった。

カピラさん、ありがとう。

この日は、昨日集めたサンプルを写真に撮った。
部屋の前のテラスが広くて使い勝手が良い。
それが終わってから、昼寝用ベットに横たわり、谷間を飛び交う蝶を見つめたり、対岸の森にいる鳥を双眼鏡で眺めて過ごした。
「青い鳥」 って、結構いるもんだな~と関心した。
熱帯の鳥は色鮮やかだ。
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スリランカのモダマ種子は、小型であるが、基本的にはEntada rheedii の形をしている。
葉の形もそうだ。
私なりにはEntada rheedii でよいと思った。
ただ、花を見ていないので確定はできないが、それらは分類をする先生方にまかせよう。

今回の自生地で、動物に齧られた種皮を二つ見つけた。
齧り方からして、大型のリスの仲間のような気がする。
今朝の散策でも猫ほどの大きさのリスを見かけた。
これらは、餌を拾い集めて貯蔵する性質を持たないだろうし、齧ってしまえば動物散布の働きをしない。
やはり、モダマ種子は重力散布と水散布が基本なのだろう。
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今回は二箇所のモダマ自生地を確認したが、もう一箇所 Sinharaja Forest Reserve にも自生している。
J.&J.de Vlas のSource climatic Zones:Survey department,Colombo を参考にすると
スリランカのモダマはWet lowland 地域(スリランカの中央から南西にかけた地域の海抜1000m以下)
に分布するのではないかと思われる。

翌日、宿を出てキャンディー駅からコロンボに向かった。
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楽しい列車の旅であった。

by modama | 2015-03-01 08:24 | Comments(2)