石垣島便り

modama.exblog.jp
ブログトップ

<   2015年 06月 ( 12 )   > この月の画像一覧


2015年 06月 29日

Entada parvifolia 羽状複葉の光受容

マメ科ネムノキ亜科の木々が夜になると葉を閉じたり、接触に反応して葉を閉じることは知られている。
同じくネムノキ亜科に属するモダマ類も葉の開閉や角度で受光を調整している。

今日は、午前中、屋根に登ってE,reticulata の花と葉の写真を撮った。

花序は下から開花し、三日かけて全開となった。写真右の花序は下三分の一がすでに散り、昨日開花した部分と今日開花したものが見られる。
左側の花序は、今日から咲きはじめたものである。

c0023181_10154571.jpg
葉は午前中の陽光を受ける東向きのものは、やや閉じている。南向きで他の枝で陰になった部位の葉は全開している。


c0023181_10184766.jpg
c0023181_10192903.jpg
これらの受光調整は、葉の構成、小葉の数などと生育環境と密接な関係を持つ。
本来、サバンナ気候地帯で潅木であったモダマ属は、小葉の数が多い。アジアにおける小型ツル性のモダマ類もその形質を受け継いでいる。
一方、森林に自生する大型モダマ類は、小葉の数を減らして一枚一枚が大型化している。
巨大なツルは、樹冠に到達するまでと、樹冠に到達してマント状に広がり陽部と陰部を支配する過程で、
あのような形質を獲得したのではないかと思われる。

強い陽光に一日中照らされるサバンナ気候帯では、一枚一枚の小葉を小さくして数を増やすことで受光の微調整をしていると考えられる。

屋根の上からの我が家の庭の風景。左側の大きな葉はゴバンノアシ、右側のイヌマキの上を覆うのはEntada tonkinensis ,
奥にはヤエヤマヤシが花穂を着けている。

c0023181_10442442.jpg
追伸、夜になって梯子を登り屋根の上にあがり、こっそり、モダマの葉の様子を眺めた。「Closed」という札が掛かっていて
「今日の光合成はお仕舞いです」と追記されていた。葉をピシャッと閉じ寝ているようだった。


c0023181_23134747.jpg
c0023181_23143765.jpg
屋根の上からは旧14日の月が見れた。海ではオカカニが産卵する季節だろう。



by modama | 2015-06-29 10:45 | Comments(4)
2015年 06月 27日

Entada parvifolia 漂着種子発芽から

以前、漂着物学会の会員や奄美大島で海マメをやっておられた方たちと、チビモダマで随分意見の交換をした。
発芽はするものの、その後の生育が悪く枯れてしまう。なかなか種の決定ができなかった。
今となっては、多くの知見が集まりフィリピンに分布するEntada parvifolia であることに間違えない。
当時、発芽して間もない苗の葉先に白い突起があることに気づきはしたものの、モダマ属の実生葉は2年ほどしないと形が安定しないため
特徴を示す形態かどうか決めかねていた。
現在では、アジアに分布する三種の小型モダマ属すべての全容が分かったので、「やはり、あの時の判断でよかったのだ」と言える。
それまでに随分長い年月がかかった。

c0023181_08345044.jpg

c0023181_08355314.jpg
植物を調べる方法としてハーバリュームなどで標本を見るのもひとつの方法だが、乾燥した植物では判断できない部分がある。
また、マメ科植物は、乾燥すると葉が落ちやすい欠点がある。なかなか良い標本が残っていない。
最近は、写真がデジタル化して容易に撮影、再生ができるようになった。それに、コピーやスキャンも比較的普及したので、
旅先でも利用できるようになった。
かつて博物館の暗い収蔵庫で、威厳と神秘に包まれていた幻の植物も、WEBで画像が公開されるようになったことは喜ばしいが、
一抹の寂しさもある。
(などと感じつつ、画像を載せているバカがいる)


by modama | 2015-06-27 08:36 | Comments(2)
2015年 06月 26日

Entada parvifolia 開花、昨年に続いて

c0023181_18084166.jpg

今から5年ほど前、西表島の鹿川でキャンプしながらビーチコーミングをしていて、この種の漂着種子を拾った。
その時、蒔いた種子が発芽して順調に育ち、昨年の10月、はじめての花を咲かせた。
しかし、はじめの年でもあり、開花季節が秋なので結実は無理だろうと予想していた。
案の定、花が散った後、実は着かなかった。残念なことに拍車を掛けるように、工房の工事の時、電話線を這っていたツルを切られてしまった。
今年、5月になってツルに葉が展開しはじめても勢いが無く、心配していたら、プレハブの裏の方に廻って伸びていた別のツルが元気に育ち、
ショウベンノキ(この名前は、正式な和名です)の上を覆っているのが屋根の上に見えた。
そして、蕾を着けたので期待していたら、今日、花が咲いたのが見られた。
梯子を掛けて屋根に登ってみたら、蕾の着いた花序は50ぐらいあり、すでに物陰で二つが咲き終わった後だった。
朝から、早速、写真を撮り、花序と葉のスキャンをした。


c0023181_18094385.jpg
c0023181_18103271.jpg

今年は、莢を着けて欲しい。ブスアンガ島で莢の写真は撮ったが、高い所で足場が悪く良い写真ではない。
是非、莢の写真を撮って、標本として残したい。
大きな台風が石垣島を直撃しないように祈るばかりだ。毎年、同じような事を書いている。


by modama | 2015-06-26 18:11 | Comments(2)
2015年 06月 24日

日本産 Entada phaseoloides の花色について 

はじめに
Entada モダマ属の種における花色の違いを示した報文としては、「Entada reticulata Gagnep.(Leguminosae-Mimosoideae),
Newly Recorded for Thailand」Wongsatit Chuakul &Ivan C,Nielsen, THAIFOR BULL(BOl) 26:18-24.1998 があり、
緑色の花を咲かす個体と赤い花を咲かす個体とが写真入りで紹介されている。
日本においては、沖縄島、八重山諸島に分布するEntada phaseoloides の花色についての詳しい報告がないので、ここに紹介したい。

E,phaseoloides ヒメモダマは、日本において沖縄島、石垣島、西表島、小浜島、与那国島 に分布する。これまで学名、和名の混乱によって
花色の説明においても曖昧さがあった。一般的には緑色とされていたが、「沖縄植物野外活用図鑑」多和田真淳著 1979 には、1976年
6月、国頭村撮影の赤い花の写真が掲載されている。これらの資料や八重山における野外での観察で、緑の花と赤い花があることは知られて
いた。その後、筆者の観察によるとがくと花弁が緑のタイプ、がくが赤で花弁が緑のタイプ、がくと花弁が赤のタイプが確認できたので報告する。

c0023181_17304866.gif
写真A,は、筆者が2005年に石垣島仲筋の自生種から種子を採集し発芽させ育生させた個体である。自宅庭で現在、ツル廻り48cm,長さ約
30m(敷地外に延びたツルは剪定している)まで成長して、3年程前より莢も実らせている。その一株のツルにA-1とA-2の花が咲いていた。
写真B,は、石垣島大嵩に自生している個体で、20年程前から野外観察しているものである。2015年6月22日に採集した花穂では、B-1と
B-2とが咲いていた。
これらの結果から、日本産E,phaseoloides においては、同じ個体においても異なる色の花を咲かせることが分かった。

今後、Entada属の花色については、詳細に検討する必要を感じた。



c0023181_21504222.jpg
c0023181_21520800.jpg


c0023181_21533115.jpg
c0023181_21541777.jpg
上四枚の写真は、緑から赤までの花を示した。がくの赤い花は花弁にも多少赤が現れたりしている。

c0023181_22042450.jpg
上写真は、石垣島仲筋の株、蕾の段階で緑と赤が見られる。したがって、開花から散るまでの時間経過での花色の変化ではない。


by modama | 2015-06-24 17:52 | Comments(0)
2015年 06月 23日

石垣島のEntada phaseoloides 、今年は・・・

石垣島バンナ公園のモダマは、多くの莢を着けていると聞く。我が家の裏山のモダマはどうだろうかとジンの散歩がてら、今日、見に行った。
その前に、自家簡易水道の補修のため同じ水系を歩いて見たかぎりでは結実は少なかった。ところが、今日見に行った株は沢山の莢をつけていた。
良く見るとみんな結実していない。ようするに莢は育っているが種子が実っていない。
例えば、殻つき南京豆を割ったら、実(種子)が無かった、あるいは枝豆を食べたらショッパイ水だけだった、と同じ状態だ。
こんな年(結実の話)が時々ある。
花は咲いても莢にならない年、莢が育っても種子が実らない年がある。
これらの現象は、島全体での出来事では無く、狭い地域、あるいは個体による。だから、その年、あるいは前年の気候によるものではない。

枝豆や南京豆では、これらのリスクが無くなるように品種改良が人の手によって行われてきた。しかし、自然の状態では極当たり前の出来事である。
タイのコンビニで中国産の殻着きピーナッツを買って宿で食べたら、ひどい状態だった。話が逸れ過ぎた。

ようするに、自然の状態では実(種子)の着き具合、形態などに「多様性」がある。
人にとって何の役にも立たないモダマ(自然のマメ)を観察していると、この多様性に翻弄される。
しかし、自然界で生き続けるためには、この多様性が大事なのであろう。

(酔っぱらいのたわごとになってしまった)


c0023181_18043836.jpg
みんなペラペラな莢に見えるでしょう。





by modama | 2015-06-23 18:05 | Comments(2)
2015年 06月 21日

モダマを追って旅するアジア 8-7, メコンの小島で再会

今回の旅はタイの空港に基点を置いて、タイ北部、ラオス、カンボジアと廻った。沖縄~バンコクの往復航空券を買って、その期間内では自由にコースや日程を変更できるようにした。その旅も終わりに近づきプノンペンに居る。Kompong Speu でE,glandulosa の開花期にも立ち会えたし、後半の目的はほぼ達成できた。
カンボジアに入国したのは今回が四度目で、はじめは2010年だった。北はラオス国境から南はベトナムに近いTakeo 、西はアンコールの北の村、東はRattanakiri などに行った。5年間ではあるがカンボジアの変化も少しは感じた。といってもめまぐるしく変わるのは都市部のプノンペンだけで、北部は森林伐採などマイナスな変化しかない。それもラオス~ストゥントゥレン間の国道7号線は、当初綺麗だったが今では最悪の道になってしまった。いわゆる手抜き工事なのだろう。森林資源を運び出せば後はどおでも良いのか知らないが、修復がされていない。その間の人々の生活ぶりを見ても、森林から畑に変えて家を建てた人は僅かで、樹木を切って製材し、自分の家を建てるつもりが生活のために売り払ってしまい、今だ開拓小屋に住んでいる人も多い。中には原野になって売られた土地もある。
一方、国道4号線沿いの広大な土地の畑が、中華系資本の工場用地として売られている。アジアの工場地帯は中国から東南アジアへ移行している。まあ、これは通りすがりの旅人の感想にすぎない。

さて、残りの一日を何処へ行こうか。プノンペンで一番近い所にあるかも知れないモダマ探しと、以前、布を買ったおばちゃんと娘がどうしているか会いにダック島へでも行こう。そお思い立ってバイクタクシーを一日チャーターした。

c0023181_14284706.jpg
ダック島へ渡るフェリー、以前より便数が増えすぐに出航した。

c0023181_14305785.jpg
メコン河は水位が低いため水が綺麗だ。やがて雨季の終わり頃になると土砂を含んだ茶色い流になる。見かけない住居船がこの辺りに増えた。カ日友好橋東岸の河岸にあったスラムが無くなったので、水上生活に変えたのだろうか。島に渡る途中、プノンペン方向をみると高層ビルが見える。首都とは僅かな距離しか離れていない。
島にフェリーが着岸するとオートバイは一斉に上陸してめいめいの方向へ散っていく。私たちは島の北側へ向かった。未舗装の道両側には高床式の民家があって機織りをしている女性たちの姿が見られる。四年前にこの島に来た時、私たちの乗ったオートバイを追いかけてきたおばさんに出会った。オートバイの座席前に大きなビニール袋を置き、股で挟んでハンドルを握っていた。後部座席には少女が乗っていて
おばさんと共に声を掛けてきた。運転手が「布屋だよ」と教えてくれたので、止めさせると、おばさんは私たちを近くの民家に誘導した。そこでビニール袋の中に入った布を広げて見せた。中から一枚を買って「他のも見たい」と言うと別の家に案内した。そこでも布を買ったが彼女らは織手では無く、売り子だった。ただ専門の売り子でもないようだった。今どうしているのだろうか。
今回は村なかを走っていても物売りは追ってこない。そこで、島の中央にあるお寺のそばの林を歩くことにした。運転手は木陰で休ませておいて歩いた。
c0023181_15122764.jpg
c0023181_15132719.jpg
道脇の藪でトウアズキを見つけた。種子が赤と黒のツートンカラーで美しいマメだ。

c0023181_15154995.jpg
また、このマメはいろいろな場所で見る雑草なのだが、莢が熟して節果が落ちる時期だったので写真を撮った。モダマと同じような構造をしている。枠だけが残り、節果が落ちる。


c0023181_15262327.jpg

c0023181_15272005.jpg
林の中ではアリを採るオジサンと出会った。竹竿の先に着けた笊で樹上のアリの巣を採るのだが、アリは竹竿を伝わってどんどん下りてくる。オジサンの体にも沢山のアリがたかっていた。後で人に聞いたらアリをスープにするらしい。


c0023181_01041824.jpg

c0023181_15323369.jpg
林をぬけたところにあった学校にて。

休憩していた運転手と合流して、さらに島の北の方へいってみた。途中、分かれ道があって小さな店の前に五人程の女性が居たので、モダマの情報を聞こうとオートバイを止めた。女性たちに声を掛けようとしたら、うちの一人と目が合った。「あっ~、おばちゃん」・・・
「でしょう」と付け加えた。その女性も私のことを覚えている様子だった。満面に笑みを浮かべている(もともと、丸顔でほがらかなおばさんなのだが)。私はリックの中にあるモダマ資料の中から一枚の写真を取り出して見比べた。やはり間違いない。女性たちにその写真を見せると、みんな大笑いしておばちゃんを指差した。

(ここから先は、日本語も英語も話せなくて、英語の数字とドルだけを知っているおばちゃんとの会話・・・私も何語で話したか記憶がない)
「おばちゃんから4年前布を買ったの覚えている。小さな子も一緒だったよね。元気にしている。家はこの近くなの」おばちゃん「家はこのすぐ奥さ。家に寄っていくか。子供も元気にしているよ。さぁさ、おいで・・・」路地を歩きながら「おばさん、まだ、布持っているの。あったらお土産に買って帰るよ」おばさん「まだ、残っているよ」一軒の小屋に着く、おばちゃん、何やら奥へ大声を発する。そして自分は別の部屋からビニール袋を持ってくる。大きさは三分の一ぐらいになっているが、袋は前のとまったく同じ・・・ような気がする。
奥から娘さんが出てくる。いや、あの時の少女を大きくした、おばさんそっくりの女性。娘も布を広げて勧める。「これは色が悪いな。もっと落ち着いた色のやつ無いかな」「像の柄のも一枚欲しいな」、結局、三枚選び出して、一番大きな布に「これ幾ら」と質問した、おばさん「20ドル」(四年前とまったく同じ値段だ)「うぅぅん・・・」ちょっと渋って見せる。「それじゃ、これら三枚で40ドル」今度は、
おばちゃんが渋る。「45ドル」と決めにきた。「いや、いや、40ドル」と譲らない。「これが20ドル、これが15ドル、これが5ドル」と
具体的に落としにかかる。おばちゃん、うぅぅん、としばらく考えて「40でいいよ」と手を打つ。40ドルを払うと紙幣をポケットにしまって、私が買ったものをビニール袋に入れる。「ほれ、これも良いだろう」と絹のショールを見せる。「それより、こっちの方がいいな」と言うとそれをビニール袋に入れてくれる。「ショールは買わないよ」と言うと「いいよ」だって、それから「これは奥さんへ」ともう一枚入れてくれる。脇で一部始終を見ていた運転手に「これ、どうか」と綿のクロマーを渡す。運転手「ほんとにくれるの・・・」嬉しそうに
首に巻く。〆て6枚の布がおばちゃんのビニール袋から減った。

親子に別れを告げてオートバイで桟橋の所まで来た時、「あっ、おばちゃんたちの写真を撮ってない」ことに気づいた。





by modama | 2015-06-21 12:00 | Comments(2)
2015年 06月 20日

モダマを追って旅するアジア 8-6, E,glandulosa の花期

夜、カンボジア・プノンペンに着いて宿を決めるとすぐに飯を食いに外へでた。なにしろ腹が減っていた。プノンペンには日本食を出す店が多い。店に入ると店員に「いらっしゃいませ」と声を掛けられる。日本では当たり前のことだが、長く旅をしていると忘れてしまう。まず、レモンチューハイ、焼き鳥、カツどん、味噌汁、・・・いっぺんに食い意地が顔をだす。
翌日、朝から情報収集をはじめる。まず、宿の人に「Kompong Speu にMt,Reang Kol という地名があるか」と聞く。宿の人がPCで調べてくれたが、カンボジアでもヒットしない。これは日本でもさんざん繰り返したが同じことだった。私が参考にしている資料はI.NIELSEN が書いたものでフランス表記なのかも知れない。地名はもともとその土地の呼び名であるから書き表す時、フランス表記であったり英語表記であったりして微妙にスペルが異なる。宿のソファーに座っていた中年のご婦人が、「Kompong Speu なら教え子が沢山いるから聞いてあげる」と携帯を掛けてくれた。しかし、地元の人も知らないと言う。
そこはE,glandulosa のカンボジアにおける一産地なのであるが、植物の分布は一箇所に限らず、同じような環境を探せばよいはずだ。そこで
Kirirom へ明日行ってみることにした。バスで行くには日帰りが難しいので、ドライバー付きで車を借りることにした。
翌早朝、宿に車が迎えに来てくれ乗り込んだ。運転手に名前を聞いたら「ジュイ」と言った。意味はバナナだそうだ。無口だけど気の廻る男性だった。チャンバーサックの島でタイ薬草図鑑の写真入りコピーは持っていかれてしまったので、I.NIELSENのイラストと実物の種子を使って
聞き込みをした。国道4号線を西に走ってkIRIROM が近づくと、道脇に木の根やサルノコシカケのようなキノコを売っている店が目立つ。その一軒で聞いてみると、「この辺には無いが、あっちにはあるかも・・・」とkIRIROM 方向を指差す。ふむ、ふむ、いい感触だ。国道から脇道に入り公園の入り口に来た時、バナナさんがゲートの係官にイラストを見せ聞いてくれた。係官は分からないらしく、別の係官に聞いた。この方は少し歳をめした男性で、一目見るなり山を指差し「沢山あるよ」と教えてくれた。海抜300~500m位の低木林に自生していた。それも花の最盛期で莢は散り始めていた。

c0023181_10132810.jpg

c0023181_10141900.jpg
アジアにおける小型モダマ類は開花期もそろっている。これは基本的にフィリピンのE,parvifolia も同じで、こちらは海洋性気候のためバラつきがあるだろう、と予想される。これで三種の情報がすべて集まった。(自宅のプレハブの屋根に登ってみたらE,parvifolia の蕾が着いていた。間違えない)

c0023181_10261756.jpg
写真は、E,glandulosa の根元で、ツルが多数出ている。これはこの種の特徴と言える。


c0023181_10292126.jpg
自生地の環境、大型モダマ類が樹高の高い森に自生するのに対し、陽のよく当たる疎林を好む。サバンナ気候に適応したモダマといえる。

c0023181_10324949.jpg
c0023181_10334660.jpg
この林では地元の人が薬草店へ卸すためすでに拾われた後と思われる。それでも一生懸命探してくれたバナナさん、ありがとう。

c0023181_10455216.jpg

「タイには赤い花の咲くサガリバナが山にある」と聞くが、カンボジアの山にもサガリバナがあった。すでに種子が着いていたので開花期は早いようだ。はたして何色の花を咲かせるのだろうか。


by modama | 2015-06-20 10:38 | Comments(2)
2015年 06月 19日

モダマを追って旅するアジア、8-5, インターナショナルバス

これまでに何度国境を越えただろうか。ゲートをくぐり陸上の国境線を徒歩で越えたこともある。橋を歩いて渡ったこともある。最近はシャトルバスやインターナショナルバスで越えることが多い。今回、ラオスのチャンバーサックでパクセ~プノンペン行きのインターナショナルバスチケットを買った。ポスターやチケットの写真には真新しいバスの写真が載っていた。以前、プノンペンからパクセまでこの手のバスを乗った時は、写真に載っているようなバスで国境での出入国手続きはすべて係りの人が行い、乗客は国境を越えてからまた同じバスに乗るシステムだった。今回の体験はまったく予想に反していた。
出発の日、私と欧米人のカップル二人が車に乗り込んだ。メコン河の船着場で降ろされ、渡し船に乗って向こう岸の道でバスに乗ってくれとの指示だった。バスを待っている間、彼らと話したらシーバンドンへ行くと言う。シーバンドンとはメコン河に多くの島があってその辺りは急流になっている場所だ。観光地として多くの人たちが訪れる。しばらくすると別の渡し舟も着いて何名かのグループがバスを待つようになった。
やがて来たバスは、フロントガラスが小石の当たった痕でヒビだらけの古いバスだった。シーバンドンまでのローカルバスだろうと思ったが念のために運転手にチケットを見せて「プノンペン行きもこのバスにのるのか」と尋ねた。運転手は「途中で乗り換えるが乗ってくれ」と言う。
そのバスで国道13S線を南下する。しばらくするとシーバンドンの分かれ道にさしかかり、バスは停車して「プノンペンは乗り換えて」と言われた。その道筋には4名の女性バックパッカーが待っていて合流した。彼女たちはシーバンドンからの帰りでカンボジアのストゥントレンへ行くと言う。同じ国境越え組だ。
しばらくするとミニバスが来て運転手が「国境へ行くのか」と聞くので乗り込んだ。ここから国境までは近いので、やがてインターナショナルバスに乗り換えるのだろうと思った。ところが国境で出国の手続きをしてゲートをくぐり歩いて入国手続きをしたカンボジア側にもそれらしいバスは待っていない。係りらしい人がいて茶屋でしばらく待っていてくれと言った。そこには先着のグループがいて、まだ、入国手続きをしている人たちを待っているようだ。
やがて来たのはまたミニバスである。私は運転手にチケットを見せプノンペンへ行くんだよと念を押した。運転手はチケットを手にして携帯で何やら話しをしていたが、これに乗ってくれとのことだった。何であれ長く待たされるよりは少しでも先に進むことはいい。
やがてストゥントレンに着くとミニバスはレストランの前に止まり「ランチだ」と言う。この中華系のレストランが旅行社も兼ねているようだ。やがて店の前に別のミニバスが止まって多くの旅行者が乗り込んだ。「何処へ行くのか」と聞いてみると「ラタナギリ」だと言う。
ここから東の方へ向かうベトナムに近い場所だ。結局、今までバスで同行していた客は私一人になってしまった。
これまでの乗り物はインターナショナルバスでは無かったが、乗り継ぐ度にチケットを見せると無料だったので、どこかで通じていることは確かである。
レストランの主人が私に「あのバスに乗ってくれ」と言う。見るとこれまでに乗った中で最低の車だ。「これでプノンペンにまで行くのか」と聞いたら「途中で乗り換える。心配するな」と言う。ここまでくるとあきれ返るにも程がある。念のため車の写真とチケットを写真に収めた。
c0023181_15222924.jpg
後の自動車がミニバス、手前のチケットがパクセ~プノンペン行きのインターナショナルバスチケット、チケットの下には綺麗なバスの写真が載っている。チケットの発売元はGreenparadaise Travel Co,LTD である。チケットのVip の欄にはチェックがないので豪華なバスではせいにしろ、普通、インターナショナルバスというのは国境を通過するバスのことを言う。それが乗り継ぎの連続である。


c0023181_15331936.jpg
運転手がしきりに携帯を掛け、客の情報を集めている。途中から乗る人も含め採算の合う人数になると出発する。しばらくして出発する。乗客はすべて地元の人で旅行客は私一人である。車は国道7号線を南にぶっとばす。悪路をものともせずひたすら走りつづける。やがて車内の内装金具が外れて落ちる。それでもエンジンだけは順調でスピードだけはでる。
しばらくして見覚えのある街に差し掛かった。Kratie だ。河イルカで有名な街でもある。市場横を過ぎた広場で車は止まった。一斉にバイクの運転手達がよってくる。降りる客の争奪戦がはじまる。車内の私にも声がかかる。客がめいめいオートバイに乗って散ってしまうと運転手も降りる。そして何やら携帯をしている。客をとれなかったバイクの運転手が最後の私に注目している。うち一人が「何処まで行くのか」と聞いたので、チケットを見せて「プノンペン」と答えた。みんな諦め顔になった。オートバイで行ける距離ではない。
私が車から降りないものだから運転手も困り果て、何度も携帯を掛けた。
そのうち、一人のオートバイ運転手に小銭を渡して、私に乗れと言う。別の車を捕まえたのだなと直感した。もう、こうなったら意地でもプノンペンへ行くしかない。
オートバイの後に乗って郊外までくると路肩に一台のミニバスが止まっていた。携帯で待たせておいたらしい。オートバイの運転手が止まる前に「5ドル、5ドル」と叫んだ。だいたいの事情は掴めている。もう、チケットの有効圏外なのだろう。それでも乗り継ぎの車を手配しただけでも良しとしよう。
ミニバスの若い運転手がドアを開けてくれた。乗る時「5ドル」というので財布の中を見ると10ドル紙幣しかなかった。10ドル札を出すとカンボジアマニーで良いかときくので頷いた。そお言えば、カンボジアに入ってから両替をしていないのだ。10,000R札を二枚よこした。
他の客は三人だった。そして、再びぶっとばしがはじまる。
途中、小さな集落を過ぎ、橋の手前にさしかかると、橋が一車線のため対向車待ちで停車をした瞬間、後から来た乗用車が追い抜きざま前に急停車した。窓から腕をだし「止まれ」の合図をおくっている。後ろを見ると後にも乗用車がぴたりと停車し、あとからオートバイも追いついた。「警察だろうか」と思ったが、車から降りて来たのは私服の中年男性だった。ミニバスの運転手も降りて何やら言い争いをしている。乗客の一人の若者が車外へでて運転手の加勢をしようとしたが、内側からドアが開かない。窓を開け、手を外に出して開けようとしたが、それでもだめで、窓から出ていった。(何か様にならない)
私はちょうど用をたしたかったので、助手席のドアから降りて、橋のたもとまで歩いていって用をたした。話し合いはまだ続いていて、最終的には運転手が小銭を渡して決着がついた。何かの罰則違反だろうか、しかし、取り締まる側が警察ではないので、地域のルール違反なのだろうか。私には分からない。
ミニバスが走りはじめても運転手と若者は、まだ、興奮気味で何やら口走っている。沖縄風に言えば「よそで会ったらタックルシテヤル」と言った内容なのだろうか。そして、また、ぶっ飛ばしが続く。
夕暮れ近くなって小さな街で若者は降りた。しばらくして別の街で男が乗った。運転手は時々、携帯にでて話をする。やがて車内は真っ暗になり、車のヘッドライトの明かりに田舎道が照らし出される。街灯というものがほとんど無いので、外の景色は見えない。カンボジアの平野部は地平の果てまで何も無く、ところどころ砂糖椰子の木が並んでいるだけだ。だからまったくの闇の中にライトに照らされた道だけが続く。先ほど乗って来た男が急に大声をだす。携帯のモニターが車内を僅かに照らす。会話が終わっても男は携帯の明かりを消さず、座席の下を照らしたりしている。彼の座るシートの下には私のリックがある。そのうち後の座席の客もごそごそと動きはじめた。そして、大声で何やら分からぬ言葉で会話を始める。この繰り返しがしばらく続く。
「一体、今、何処を走っているのだろう」「どれぐらいでプノンペンの街に着くのだろうか」かいもく見当がつかない。
ふっと、頭の中を不安がよぎる。もし、今、この車に乗っている人がみんな仲間だったら・・・。

私はこれまで随分一人旅をして来た。自然の中で長らくキャンプ生活を送ったこともある。自然の中では怖いと思ったことは無い。むしろ都市ではある。銃声を聞いたこともある。人が一番怖い。
今、車という密室に数人の人がいる。そして、彼らは外部と連絡をとっている。私はその言葉を理解することができない。完全に孤立した状態にある。
「うん、何とかなるサー」その時の運命に委ねること、そして情況に応じて対処すること。これしか無い。
私も流れる種子(命)なのだ。
何処に流れ着こうが、そこで精一杯生きれば良い。
何だか大げさな妄想が頭の中をよぎる。

ある小さな街に着いた。車が店の前に止まる。運転手が降りて「夕食だ」と言う。それまで客の居なかった店に数人の男たちが寄ってくる。運転手とは顔見知りのようで、同じテーブルの席に座る。運転手が店の人にビールと食事を頼む。
食事は粥の一種で、カンボジアでは間食によく食べられる。私は、その粥の原料となるご飯をよく知っている。料理に出した残りの釜底のご飯で、日中、道脇などで干したものだ。道路に巻き上がる土ぼこりを浴びている。まぁ、洗って粥にするのだから別に問題はない。
運転手の若者が「ジャポニ、食事だ」と誘ってくれるが食べる気にならない。と言うよりも私は旅の移動中にはあまり食物を口にしない習慣がついている。一日一食という日は普通だ。でも、目的地に着いたりして落ち着つくとたらふく食べてしまう。
運転手は缶ビールで集まって来た男たちと乾杯する。これも客の情報を伝えてくれる人たちへの営業なのだろう。

この小さな街を出発してまもなく見覚えのあるメコンに架かる橋を越えた。ここから先はすべて周知である。
ロータリーで客はすべて降り、私もトゥクトゥクに乗り換えた。
長いインターナショナルバスの旅であった。










by modama | 2015-06-19 14:33 | Comments(2)
2015年 06月 18日

モダマを追って旅するアジア、8-4, チャンバーサック

当初の計画では、ルアンパパーンからパクセへ飛ぶことになっていた。しかし、飛行機の便数が少なく6月にならないと飛ばないということで、急遽、とりあえずビエンチャンまで飛ぶことにした。ビエンチャンの空港に降りてすぐに航空会社のカウンターで明日のパクセ行きは取れないか相談したところ、これまた取れないということだった。すると、バスで行くしかない。以前、中国の雲南シーサンバンナからラオスへ入り、ルアンパパーン、ビエンチャン、パクセ、カンボジアの国境を越え、プノンペンまで行ったことがある。その時の道路事情とバスのひどさが記憶にあるものだから、ビエンチャン~パクセはできることなら避けたかった。とりあえずビエンチャンのバス停近くに宿をとり、バスの時刻表などを見て明日からの行程を再検討することにした。

c0023181_11312981.jpg
c0023181_11412633.jpg
パクセ行きのパスを時刻表でみると昼すぎにある。これは以前と同じでパクセには夜中に到着することになる。夜中に宿を探すのも大変だし、おそらく昔のままのバスだと行程も疲れる。このバスをサルサバスと名づけた記憶がある。バスの前半分にシート座席があるものの後ろ半分は床だけで、最後部には荷物が積み込まれる。座席と荷物の間には、背もたれの無いプラスチックの椅子が置かれていて、シート座席が確保できなかった客はそれに座る。あの時は欧米人と地元の人が半々ぐらいで、私の前には女性のバックパッカーが居て、後は地元の男性だった。はじめのうちは整然としていたが、悪い道を走るうちに置かれてある椅子は移動する。それも列の間が狭いものだから皆が自分のスペースを広げようと頑張る。特に前の女性は背も高く足も長い。しらずしらず足を伸ばすので椅子が私の方へ寄ってくる。後の地元男性は慣れたもので、私の椅子の脚を自分の足で抑えている。私と前の女性の間隔は狭まり、大きなお尻が私の股間に侵入してくる。完全に密着状態だが、私は後ろに逃れられない。時々、女性が「ごめんなさい」と言って椅子を戻すので、その隙に足で椅子の脚を抑えるが、長い足をずっと折り曲げている苦痛に耐え切れず女性は、また、後へ移動しはじめる。慣れない私は前の椅子を足で押さえきれない。また、股間にすっぽりとお尻が入ってくる。ある一定の間隔を保とうと私は腕を胸の前で組む、すると腕が彼女の背中(ブラジャーの留め金の辺り)に位置する。激しいバスの振動でこの姿勢を保っているのも疲れる。いっそのこと、彼女の腰のところへ手をあてがっていられれば少しは楽なのだが・・・サルサダンスを踊るように一列にくっつきあったら楽なのにナーと思う・・・
暑いし、埃だらけだし、振動は激しいし、もう乗りたくない。
そこで私は考えた。何もラオスにこだわることはない。タイに入ろう。タイの方がずっとインフラが整備されている。遠回りでもこちらの方が楽なのではないだろうか。結果、ビエンチャン、コンケーン、ウドンラチャタニー、と乗り継いでコンチャムに行くことにした。
翌日の行程が決まったので宿に戻って昼寝をした。夕方、食事をするため外に出たら、食堂が無い。辺りは銀行ばかりで、それも中華系銀行が軒を並べている。店はほとんどがすでにシャッターを降ろし、明かりを消している。ビエンチャンはダウンタウンの一部を除いて暗く寂しい街だ。やっと探した屋台で飯を食う。

c0023181_12401116.jpg
翌日の朝、プノンペンのバスターミナルからKhong keng 行きのインターナショナルバスに乗る。途中ラオス国境で出国、タイ入国の手続きを済ませてコンケーンへ、ここのバスターミナルでウドンラチャタニー行きに乗り換えようとしたら切符売り場の表記がすべてタイ語だった。窓口に並んでいる二人の少女に聞くと、ここがウドン行きの切符売り場だと言う。彼女らの後ろに並んで切符を買う。その際、発着ホームの番号も聞く。
c0023181_15052456.jpg

少し時間があるので用をたそうと荷物が安全に置けそうな待合席を探す。ちょうどお坊さんが二人居たので隣の席を確保、そこはウドン行きのバスホームから少し離れているが、バスが来れば見える位置にある。用事を済ませて席に座っていると先ほどの少女達がやって来て、ウドン行きのバスは向こうのホームだと教えてくれる。知っていたけど「あっ、ありがとう」とお礼を言う。とても親切な子達だった。バスは間も無く客を乗せて出発、ウドンのターミナルに着くと珍しくインホメーションがあって人が居た。係りにコンチャム行きのバスは何処から乗るかと尋ねるとホーム番号を教えてくれた。そこにはミニバスが三台止まっていて一人も客は乗っていなかった。荷物を持ったまま三台のバスを物色していると一人の男が近づいて来て「何処へ行くのか」と聞くので「コクチィアム」と答える。男は「ほんとにコンチャムへ行くのか」と念を押す。このバスは何処へ行くのかと聞くと「コンチィアムだ」と言う。私も「コンチィアムに行くんだな」と念を押す。男はバスのドアを開け「さぁ、乗れ」と言う。何だか話がうますぎるので、まさか貸切で行くのではないだろうなと心配になる。すると男は待合席の方へ行ってゾロゾロと客を連れて来た。私が定員になる最後の客だったのだ。すぐさま出発。

コンチャムに着いたのは夜になってからだった。乗客がみんな降りてから運転手に「近くに安宿はあるか」と聞くと「連れて行くから乗れ」と言う。5分ぐらい乗るとゲストハウスの前に止まってくれた。料金のボッタクリなどはまったく無かった。

コンチャムにはE,reticulata の種子の特に小さな個体群があると聞いていた。それを是非見つけてDNA のサンプルを採りたかった。翌朝、
レンタバイクを借りた。その時、バーツがたりなかったので、両替してから払っても良いかと聞くといいと言う。オートバイに乗って銀行へ行く、ところがパスポートをバイク屋に預けてあることに気づく。引き返してバイク屋にパスポートが無いので両替が出来ないと言うとパスポートを返してくれた。変わりに国際免許証を渡す。無免許で銀行へ行く。何だかやたらに融通がきく。田舎街の良さでもある。

コンチャムはタイのコラート台地を西から東へ流れるムーン川水系とメコンが合流する地点だ。大陸内陸部のサバンナ気候で暑い。土地も侵食されていて砂岩がむき出しになった部分や一面の玉砂利地帯だったりする。わずかばかりの赤灰色の土ではキャッサバが栽培されていた。樹高の低い林の中を歩き廻ってモダマを探したが見つからなかった。しかし、このような環境で小型のモダマが進化したことは十分に理解できる。現在に残る典型的な地形のように思う。大きな河川が近くにあっても開析が進めば、水位は台地を潤すことがない。過去になんどか直接大河の河底になったとしてもひとたび河川の流が変われば、栄養豊かな表土は浸食を受けて流れ、砂質と玉砂利の台地は貧土壌として乾く。アジアにおける小型モダマ三種の内、二種はこんな土地で分化したのであろう。そして、内一種がフィリピンの島嶼へと伝播して海洋性気候のもとに再び分化したのであろう。系統的にみてもこの三種は、大型モダマ群とはかけ離れたクラスターに位置する。

気温37~40度の炎天下はさすがにこたえる。オートバイで走っていれば風を受けて少しは涼しいが、止まって林を歩くとドッと汗が流れる。二日間であきらめ、ラオス側のチャンバーサックへ向かうことにした。ここのE,reticulata 自生地は、過去に二箇所みつけてある。今回は花の時期確認とさらに新しい自生地を見つけたいと思っている。しかし、ここも暑い!!

翌朝、タイ国境へ向かうためミニバスに乗ったら、ウドンから来たときの運転手だった。この辺りを担当していると言っていた。出国手続き、入国手続きをすませてラオスに入ると外には車が無く、数台のオートバイが待っていた。「パクセ」と叫んで手を挙げると、背の低い中年の男が歩み出た。気骨のありそうな男で「幾らか」と聞いたら「50」と言う。まさかラオスのお金ではないだろうから「ドルか」と聞いたら「そうだ」と言う。まったくのボッタクリだ。「途中でバスに乗り換えるのか」と聞いたら、「このオートバイで行く」と言う。
不思議なことに値切り交渉をせずに乗る気になった。走りなが「パクセから何処へ行くか」ときくので「チャンバーサック」と答えるとオートバイを止めて「ボールペンあるか」と聞く。彼は自分の掌に国境とパクセとの間にメコンを描いて、メコンの手前から横線を描き「チャンバーサック」と書いた。そしてパクセか、それとも直接チャンバーサックへ行くかときくのである。確かにパクセへ行って一泊しないでチャンバーサックへ直接行く手もある。「このオートバイで行けるか」と聞いたら「大丈夫」だと言う。何だかこの男の後ろに乗っているのが面白くなってきた「よし、いこう」。ばんばん飛ばして昼前に着いた。お金を払うとき「一日分稼いだナ」と言って渡すと笑っていた。「少し休んでから帰れョ。エンジン焼けるゾ」と声を掛けたが、まっしぐらに戻って行った。ボラレたけど面白かった。

前に二度泊まったことのあるGHに荷を解いた。以前は親父が仕切っていたが、今は息子がGH、娘が店番をしている。娘はすでに一児の母親だ。売店にはITとコピー機が新しく入って様変わりしている。プノンペン行きのインターナショナルバスのチケットも扱かっているらしい。
早速、オートバイをレンタルしてE,reticulata の自生地へ行ってみる。枯れて丸まった莢が幾つかあって、ツルには蕾もついていた。やはり花期はこの時期でよいのだ。林の一部の木が切られ自生地が少し狭まっている。

翌朝、メコン河にある小島へ行くことにした。Done Daeng と言うらしい。オートバイで船着場まで行き、そこから小船を二艘つなげた船にバイクを載せて渡る。

c0023181_08481318.jpg

c0023181_08494623.jpg

c0023181_08514698.jpg
メコンから見たチャンバーサックの街並み。自然遺産ワットプーはずっと左手になる。

c0023181_11324620.jpg
c0023181_11342954.jpg

オートバイを乗せた小船は島の北側の浜に着いた。そこは広い砂浜で陸地までオートバイを走らすのに一苦労。沢山の牛が放牧されていて島というよりは、アフリカのサバンナに来たような感じがする。砂にタイヤをとられながらやっと陸地に到着する。村の入り口らしいが人の気配は無い。はじめにロッジらしい建物があって庭には自転車とオートバイが整然と並んでいるが、客の気配もまったく無い。その先に行くと民家があって村人たちの姿がある。お寺もある。モダマを探しながらオートバイを走らせていくと、畑の隅の木陰に男女の姿が見られた。一度は通り過ぎたが、「あの人たちに聞いてみよう」と思い立ち、Uターンした。リックからタイの薬草図鑑のコピーをとりだし尋ねた。このコピーには花、葉、莢の写真が載っていてタイ語の解説がかかれている。タイ語が読めなくとも写真でどんな植物か分かる。旅先で非常に重宝している資料だ。
それを見たオジサン、オバサンは、今私が来た方を指差す。「向こうにあるのだろうか?」するとオジサンが行ってみようと仕種をするので
オートバイに乗ってついて行った。すると一軒の家に入り、高床式建物の下にある休み台で休めと言う。そこには家族らしい女性子供、それに横になった老人がいて一家の団欒が感じられた。女性たちが子供の髪の毛を切っていた。

c0023181_10552270.jpg
オジサンは携帯で話をしていると、まもなくしてその家の娘が別の娘を後に乗せて戻って来た。顔つきや身なりからして、この家族ではないらしい。娘は私を見て「ニーハオ」と挨拶した。私はだまったまま会釈した。家の女主人と見られるオバサンが娘に枕を持ってきて横になれという。しばらく顔や手にクリームを塗ってから横になった。他の女たちは子供の散発を終え、オバサンは寝ていた老人を起こしお粥を食べさせた。どうやら介護老人らしい。
オジサンは、私の持っていたコピーをよこせと合図して、それを持ってオートバイで出かけて行った。オジサンはコピーの写真を参考にモダマを探しに行ったのだろうか。あるいは他の物知りに尋ねているのだろうか。
オジサンが帰ってくるのを待ちながら、敷地の中をうろついたり、休み台に座ったりしていた。敷地の裏側には魚網があることから半農半漁の暮らしをしているらしい。やがて女性たちは洗濯をしてから水浴びなどをして一人、二人と部屋の中に消えていった。気がつくと介護老人と連れてこられて横たわっている娘と私の三人きりになってしまった。何だか変な構図だ。
すると、寝たきりの介護老人が奇声をあげた。部屋の中からなだめる女性の声がする。何だか休み台にいる三名は部屋の中から秘かに見られているような気がする。なかなかオジサンが帰って来ないので、私は近くにあった椅子を三つ並べて休み台から離れた場所で横になった。
しばらくして、部屋からオバサンが出てきて私に「ゴー」という声を掛けた。「ゴー・・・?」振り返ると外を指差して再び「ゴー」と言った。横たわっていた娘も起き上がって私を見ている。「ゴー・・・?,帰れという意味だろうか」。しかし、オジサンは私のコピーを持ったまま出かけてまだ帰ってこない。そのことを説明したが言葉が通じない。一体何なんだろう・・・
旅先で事を荒げてはいけない、ましてここは島なのである。私はオートバイに乗って上陸した方へ戻った。ロッジは相変わらず閑散としていた。
気をとりなおして、島を反対側に廻る道を行くことにした。そして、木陰でオートバイを止めて一休みすると近くの林の樹冠から二本のツル先が飛び出ているのが目に入った。「むっ・・・もしかして」近づいていくと羽状複葉の葉が見え、枯れて丸まった莢が着いていた。
「あるじゃない、こんな所に」まさしくE,reticulata だった。
花にはハナムグリも来ていた。

c0023181_11365839.jpg
c0023181_11393460.jpg

c0023181_11405544.jpg

c0023181_11414475.jpg
この島には高木の茂る地域もわずかにあって、そこにはE,rheedii も自生していた。林床に種子をさがしたがひとつも無かった。島の人が拾ってしまったのだろう。

c0023181_12062188.jpg
船の迎えの時間になったので船着場に戻った。船を待つ間木陰で、「こんな島のリゾートロッジに人が来るのだろうか」と考えた。砂浜は牛の放牧場だし、午後になったら砂は陽に焼けて熱い。メコンの水で水浴するのだろうか。島は半日あれば自転車かオートバイで巡れる。観光地など何も無い。
そんなことを考えていると一人の青年がやって来た。手にはバケツを持っている。暇だったので「何をするの」と聞いてみた。畑の柵を直すらしい。しかし、いっこうに作業はせず携帯をかけていた。私がタバコを吸っているのを見て、一本くれないかというのであげた。しばらくして、彼は村の方へ帰って行った。おそらくこれで誤解は解けただろう。いや、誤解というより自分たちの思い込みだったことが・・・、やがて、迎えの船が来た。


by modama | 2015-06-18 12:41 | Comments(2)
2015年 06月 17日

モダマを追って旅するアジア8-3,ルアンパパーン

ルアンパパーンは過去何回か訪れている。しかし、拠点として通過することが多く森に入ることは無かった。一度はガイドに「滝に行かないか」と誘われ、「私はマップァーを見たい」(ラオス語でモダマの事)と言ったところ、ガイドは「マップァーなら沢山あるよ」と言っていた。
滝のそばにもあるらしいが、ガイドはすでに数名の予約をとっていて団体行動になると言うのでやめた。他の人に迷惑をかけたくないからだ。
今回は、Huay xai から船で入り、その後、Nong khiaw,Muang ngoi,Bamna と行く予定だったが、日程上難しくルアンパパーン周辺を調べることにした。宿の関係者に聞いたら「ある所、知っているョ」というので「是非、連れて行って」と頼んだところ「明日、息子が4時に帰るのでオートバイで連れて行く」との約束を得た。
翌朝、4時までには時間があるのでレンタバイクを借りて、自分で南の山へ行ってみることにした。街中をぬけ、山の麓に差し掛かった頃、小さな谷があって小川が流れる日陰があったのでオートバイを止めて休憩した。「この辺ならモダマがありそうだナ」と考えていたら、竹で組んだ門から子供が二人出てきた。

c0023181_09544922.jpg
子供たちにモダマを見せて「この辺にマップァーのあるとこ知らない」と聞いて「マップァー、マップァー」と強調した。子供も「マップァー」と口にしたので、「これは知っているな」と理解し、周囲を指差し「この辺にあるか」と聞いた。二人の子供は「ある」という態度を示した。それからは「おじさんをそこに連れて行ってくれ」・・・と言っても言葉は通じないので「ルー大柴」のように日本語と英語のチャンポンで頼んだ。そんな騒ぎを聞きつけたのか、中からカアチャンらしい女性が出てきて「何だ、何だ・・・」という状態に。
「モダマを探している」ということまでは理解してもらえたらしく、カアチャンはオートバイを指差して中へ入れろという仕種をする。いよいよ本格的な交渉だなっと「ルー大柴」は張り切る。
なんだかんだお互いが言葉を発している中でカアチャンの口から「マネー」と言う言葉が聞き取れた。ようするに「案内すれば報酬をくれるか」という内容なのだろう。「イエス、イエス、もちろん、払いますョ。ペイね、私、あなたにペイします」(もう完全にルー大柴状態)
(そうだ、言葉だけでは実感が無いから)幾らかの小銭をカアチャンに渡し「山に行って帰ってきたら、また、払います」と告げた。
私はモダマを買いに来たわけではないが、私のために時間を割いてくれ労をおしまないのなら、当然、感謝の気持ちとして謝礼は払うつもりである。カアチャンは何となく理解したらしく、傍らでもくもくと枯れ木を鉈で切って蒔きを作っている父ちゃんに声を掛ける。寡黙な父ちゃんは作業の手を止め「しかたない、んっじぁ、行くか」と言ったようだ。年上の子供が涼み台に架けてあった肩掛け袋を持つと先頭になって山へ向かった。高床式の自宅横を通り過ぎるともう一軒の家があり、年とったご婦人が二人休んでいた。父ちゃんが通り過ぎる時、声を掛けたので、私も会釈をした。
c0023181_10480600.jpg
c0023181_10492772.jpg
少年は相変わらず先頭に立って進んでいく。ここは集落を作らず、二軒だけが山の中にある。
斜面を大分登った所で視界が開け、谷の下に県道と一軒の別の家が見えた。開けた斜面は、以前、バインを植えていたようで苗が所々残っている。
c0023181_10510518.jpg
それからまた森の中を登る。その辺りから私は追いつけなくなり息があらくなる。「ま、待ってくれ」と声をかけようとした時、斜面の上の方で呼びかける声が聞こえた。自生地に着いたようだ。

c0023181_10520935.jpg
息切れ切れでたどりつくと少年はすでに沢山の種子を拾っていて、肩掛け袋からあけてくれる。父ちゃんも「ほれ、いくらでもあるだろ」と言わんばかりに拾ってくる。みるみるモダマ種子の山ができる。「も、もう、いいです」「こんなに沢山持って帰れない」それでも少年はキャッキャと森の中を探し回る。「お~い、種子はもういいから、あの葉っぱを採ってくれないか」父ちゃん、しばらく頭上を見上げてから、傍らの木を登りはじめる。
c0023181_11045888.jpg
そしてツルに手が掛かると引きずり降ろす。「少しでいいからネ」鉈でバサリとツルを切る。「OK,OK,記念写真撮ろう」パチリ。以心伝心
子供と父ちゃんと森の中にいるとすべて言葉がスムーズに通じる。

c0023181_11081658.jpg
楽しかった。十分満足だと示して、帰ろうと即した。また、少年が先頭になって山を降りた。
家の前ではカアチャンともう一人の子供が待っていた。涼み台で休めというのでリックを降ろし一休みした。父ちゃんに二枚の紙幣を渡し感謝の言葉を添えた。父ちゃん握り締めた紙幣を見て、目が点になっていた。紙幣の一枚を示して「子供たちに何か買ってやってくれ」と伝えた。分かったと言っているようだった。カアチャンが家の部屋からノートを持ってきて、それに挟まっていた一枚の紙を見せた。丸坊主の少年(?)の写真が貼ってあり、割り印が押されていた。記載の下にはまた印が押されていたので公文書らしい。丸坊主の少年の写真を指差して父ちゃんを指差した。「本人だ」と言っているようだ。今の父ちゃんも若く見えるが、何かの証明書の写真はすごく若い。私には、何でカアチャンがこんなものを持ち出してきたのか分からない。後で調べられるかも知れないと思い「写真撮ってもいいか」と聞いたらいいと言う。A4ぐらいの大きさがあって身分証明証にしては、紙が薄い。土地の所有権を示す証書だろうか。何で見せてくれたのか分からない。もし、何かトラブルがあった時、この人から買ったと言えという意味なのだろうか。

c0023181_11314801.jpg
みなさん、どうもありがとう。

それから宿に帰り、中庭でモダマ種子を洗った。容器の中で4個の種子が浮いたが、それらは表皮に皺がよったり虫喰いのあるもので中の
子葉が腐食しているものと思われる。結果、100パーセント近く沈むと判断した。種はE,rheedii である。この同じ種の種子がカンボジアまで南下すると逆に100パーセント近く浮くようになる。今回もこの変化をどう解釈するか手がかりを得るためタイ北部の山岳地帯からメコンを下る旅をしている訳である。

c0023181_14202085.jpg
洗ったモダマを乾かすために宿の調理場からバーギ(平笊)を借りたら「あら、沢山のマップァー」と驚いていた。
空調の利いた部屋で少し昼寝して目覚めたら4時近くになっていた。ロビーに行くと息子さんが帰っていててソファーで横になっていた。
「行こう」と声をかけて、二人してオートバイで出かけた。今度の場所は町の東側になる。サンプルは広範囲で集めたほうが良い。


c0023181_14280900.jpg
息子さんは出かける前にモダマが自生する土地の所有者に携帯で連絡をとっておいてくれた。その土地の人から鉈を借りて藪を払った。

c0023181_14440027.jpg


c0023181_14460768.jpg
ルアンパパーンは美しい街だ。今度はのんびりと過ごしたい。なんだか以前も同じようなことを書いた気がする。
お世話になったみなさん、ありがとう。



by modama | 2015-06-17 10:52 | Comments(2)