2015年 10月 27日

アジアにおけるEntada 属の分布北限と上限の検討

沖縄県石垣島におけるEntada phaseoloides ヒメモダマの分布上限に関しては(深石、2014年) 約海抜100mにあり、それが島を取り巻くようにして発達した段丘の琉球石灰岩上限(80m) のやや上方である事を示した。それではアジアのEntada 属分布上限及び北限はどこであろうか。

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上図のようになる。ネパールにおいては、海抜800~1300m でポカラ約800m、東ネパールで1300m程になる。東にはシッキム、ブータン、アルナチャルブラディシュに分布し、マクマホンラインの北、西蔵・墨脱県が大陸における北限になる。中国雲南省では、海抜650~1,800m で、「雲南の植物 Ⅲ」呉征鎰主編では14の自生地が記録されているが、六庫・ルーシュイが最も北に位置する。
西蔵(●A)ではヤルンツァンボ川の急峻な峡谷に自生し、海抜は1000m前後であるが狭まった谷間は一気に数千mの峰々に駆け上がる。下流域のインド・アッサム方面から暖かな気流が上昇して谷底に雲霧林が形成されている。
雲南のルーシュイも同様な環境で自生地は怒江峡谷にあり、下流域ミャンマーのタンルウィン川からの暖かな気流が吹き上がりバナナやパパイアといった作物の栽培を可能にしている地域である。中国自然区画では西南区にあたり、西部型熱帯モンスーン気候にぞくする。この地域では夏の半年は西南季節風が、冬の半年は熱帯大陸気団が卓越して、基本的に寒波の影響は無い。それに対し昆明(○B)より東の昆明準停滞前線を境にして東の東部型熱帯モンスーン気候では、夏は東南季節風の影響を受けるが冬は寒帯大陸気団が卓越して寒波があり、華南区ではモダマ分布域の北限は緯度を下げるとみられる。
広西、広東、福建省では大陸の海岸部付近を北上し台湾北部へ、南西諸島にかけて海洋性亜熱帯モンスーン気候の地域で奄美、屋久島をアジアのEntada 属分布北限としている。南西諸島では海水温の影響で、大陸に比べ冬にも気温が下がらず降水量も年間を通して100mm/月、以上あり北緯30度にまで分布域が達している。
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(以下、「中国の自然地理」任美鍔編著より抜粋)
「西南区は第三紀には熱帯低地であった。鮮新世にいたって広い範囲にわたる隆起があり、同時に河川開析を受け、現在、標高が比較的高い山地と浸食面には、まだ多くの第三紀に残留した熱帯植物と古残積層が保存されている。・・・古熱帯植物は地表の上昇、気候の冷涼化の中で、生態環境の変化に徐々に適応したものであって、なお多くの古熱帯マレー亜区系の植物、例えば、フタバガキ属、フクギ属、ホベア属、ツルサイカチ属などさらにはソテツ、カライヌガヤなどの古植物が保存されている。」

以上のようにモダマ属も第三紀の熱帯低地であった時代に大陸内部に分布拡散をとげたと考えられる。それら植生の覆う地形がネオテクトニック運動により隆起し、傾斜地では激しい河川開析を受け、同時に河川拡大も進行し、浸食を受けた渓谷と峰々は高度の差を生み、各環境の変化により植生の分断化が起こり、多様性が生まれたと考えられる。
一方、現在のヒマラヤ山脈の麓でも同様な環境変化が起こったはずである。ネパール、シッキム、ブータン、アルナチャルブラディッシュ、西蔵に分布するモダマ属も高所へと押し上げられていった。
モダマ属の種子は、基本的に重力散布であり、それに種子が浮力を獲得したことによって水散布及び海流散布能力が加わった。平地にあっては樹冠に這い上がったツルから種子が落ち、周辺に分散する。しかし、その親株との距離は僅かである。傾斜地では親株より下側に散布される率が高い。傾斜がきつくなればなるほどその率は高まる。よって重力散布では山を登ることは不利な傾向にある。ましてや、雨が降れば下へ流される。水に浮く種子ほどその率は高くなる。しかし、斜面といえども凹凸があるため留まる個体もあるはずである。とくに水に浮かない個体が残る。そして、在り続けた結果、高所での分布位置を獲得したのであろう。それらは、同じメコン川水系のラオス山岳地と下流域カンボジアのEntada rheedii の種子浮力保有率が如実に物語っている。

以下は、ヒマラヤ山脈の年代的地形変化を表した図である。在田一則、1988年より。


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図の②③のように中新世中期から鮮新世前期にかけてネパール・カトマンズ以南(図の左側)は比較的なだらかな地形であった。この時期の西ネパールからモダマ化石は出土している。化石種と現生種が同系統であるならば、やがてマハバラート山脈やシワリク山脈の1000m付近の山々に遺存していることになる。しかし、実際の隆起は現在のモダマ分布上限より高くなっているので、高海抜域では気候に適応できず消滅した結果、現在の分布上限が見られるのであろう。
例えば、アジアの分布北限である屋久島(表4)を見ると最低温度8,7度である。ポカラ(表1)が最低温度6,9であり、海抜800mに自生している。さらにネパールの自生地記録では1300mとされていて、その環境が如何なる場所であるか分からないが、気候的限界なのであろう。中国雲南においては海抜1800mが記録されているものの現在も自生しているのかは分からない。屋久島産のモダマは海流散布されたことが推測され、それに対しポカラ産のモダマがその地域に長い間あり続けたとして適応した結果、最低温度の1,8度の差が見られるのかも知れない。それに1300-800=500mの高度からくる気温差、もしくは1800-800=1000mの高度からくる気温差をポカラの最低温度6,9に足したものがモダマ属分布上限、北限の限界なのだろうか。
それでは、高地におけるモダマ属の気候適応を考えてみよう。

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上写真二枚は3月中旬のネパール・ラムナガール(海抜280m)のE. rheedii である。葉のサンプルを採集している。

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上写真3枚は、同年3月下旬のポカラでのE. rheedii である。
葉を落とし、花序に蕾がついている。
ポカラ(海抜800m)は表1,のような気候で温暖冬季少雨気候にぞくする。ラムナガールも冬季は少雨傾向にあるが低地であり気温は高い。ポカラは冬の間、低温と乾季を過ごして、これから雨季を迎える時期に入る。低温と乾燥が葉を落とす原因とみられ、一時的に生育活動を弱めていることが推測できる。これらの傾向は、葉をすべて落とさないまでも山地に自生地を持つラオス、雲南、タイ北部、などで見られる傾向である。また、大陸低地のサバナ気候地域であるカンボジア、タイでも乾季の強い地域あるいは年には葉を少なくする。これに対し南西諸島の海洋性亜熱帯モンスーン気候地域や熱帯雨林気候地域では一年中葉をつけている。
このようにアジアのモダマ分布地でも地域の気候によりさまざまな適応がみられる。

また、花期においては、ネパール・ポカラで3月下旬で上写真のような状態であるから4,5月と推測される。同様、「雲南の植物」によると花期は4~5月、果熟期9~11月とある。
一方、石垣島のE. phaseoloides は、花期5~11月であり、果熟期は6~8月である。これは、前年に咲いた花が冬を越して成熟する観察例もあるが今のところ、まだはっきりしない。



# by modama | 2015-10-27 10:20 | Comments(0)
2015年 10月 16日

モダマ調査でお世話になった人々・その8

スリランカのEntada zeylanica。アジアには9種のEntada 属が分布する。そのうちE. rheedii とE. phaseoloides は広域分布種であるが、その他、E. tonkinensis はベトナム、中国南部と台湾、日本の奄美、屋久島に。タイ、ラオス、カンボジアにE. grandulosa,E. reticulata が、タイ、マレーシア、インドネシアの一部にE. spiralis などが比較的狭い分布域に、そして固有種としてスリランカにE. zeylanica, ボルネオにE, borneensis, フィリピンにE. parvifolia が分布する。
2015,2月にスリランカへE. zeylanica の調査に出かけた。この種はハーバリュームの標本写真は見ていたが、実物の種子などは見る機会がなかった。私は標本を見るのではなく、自生地を訪れたいので、はじめから植物園の標本室には行く予定をたてず、自生していそうな場所をグーグルアースで見当をつけ出かけた。

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スリランカの首都コロンボから列車でキャンディーへ行き、ウダワッタキャレー自然保護区などを探索してから、20km程離れた森にある宿泊施設に滞在した。この辺りの森には必ず自生するという感だけをたよりに・・・。
宿に到着するとまずオーナーにモダマ探しの旨を伝える。すると、地元出身の使用人を呼んできて聞いてくれた。1キロ先の山にあると言うので、翌日、彼を案内人としてお借りすることにした。
朝食後、彼が来たので「準備はいいか」とオーナーに聞くと「OK」と言う。足元を見ると裸足なので「靴は履かなくていいのか」と聞いてみた。オーナーもスタッフも「彼は靴を履いたことがない」と言う。

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山道を二人で歩きながら「彼の名前を聞きわすれた」ことを思い出したが、もう聞きようがない。それでも彼は黙って自生地に案内してくれ、林床に落ちている種子を探してくれた。私がモダマの落ち葉を拾って、この葉がモダマの葉であることを彼に確認すると頷いて、近くにあった枯れた竹で高所の葉を叩き落としてくれた。
翌朝、宿泊施設の敷地内にも二本あることを教えてくれ、案内してくれた。


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結局、最後まで名前を聞き忘れてしまったが、ありがとうございました。

追記、E. zeylanica は、かなり早い時期にE. rheedii からスリランカで分化した種と考えられる。種子は小型で、葉もE. rheedii とは異なる。種子は半数が浮力を有したが、スリランカ以外での自生は知られていない。

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ここで取り上げた「お世話になった人々」は、「モダマを追って旅するアジア」のページでもとりあげてあるが、感謝の意を込めて再び載せることにした。海外での調査では、言葉の不自由などもあって、すべてが順調にいったわけではない。中には自生地を知らないのに連れまわされたり、近くにありながらわざわざ遠くに出かけるプランを示したガイドもいた。約束したのに当日来なかった者もいた。
他にもベトナムやカンボジアで車をチャーターした運転手は、積極的に地元の人に聞き込みをしてくれ感謝したい。タイのソンブンさんにも「ありがとう」。



# by modama | 2015-10-16 10:32 | Comments(0)
2015年 10月 14日

モダマ調査でお世話になった人々・その7

ラオス・ルアンパパーンにはこれまで三度立ち寄ったが、中国シーサンバンナからバスで南下したり、カンボジアから北上したりで、今回はタイ北部のチェンコンからメコンを船で下ってみた。一泊二日の船旅で、河岸の植生を観察した。モダマの水散布を考える良い機会になった。これまで海流散布に目が向けられがちであったが、東南アジアでのモダマ拡散は河川や氾濫原を考慮しなければならない。また、種子浮力の喪失を考える上で、山間部の地形は鍵を握っているはずである。

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写真、メコンを下ること二日、渓谷からルアンパパーンのある盆地にさしかかると地形は徐々に開けはじめ石灰岩の崖が現れる。洞窟に仏像が祀られた聖地。

前回、前々回ルアンパパーンを訪れた時、周辺の山々にモダマ自生地が多くあることは聞いていた。しかし、さらに北部のムアンゴイなどに行く途中でもあり日程の都合で調査はしなかった。今回はルアンパパーンのサンプルを得たいと思っている。
宿に荷を置きレンタバイクを借りた。前回、バスでビエンチャンへ向かう途中、峠の茶屋でモダマ莢を見かけているので、南部の山へ向かった。山の麓にさしかかった処で休憩をしていると「モダマ自生地のありそうな地形だな」と感じた。竹の柵で囲まれた入口から子供が二人出てきたので尋ねてみることにした。もちろん言葉は通じない。モダマ種子を取り出して「この辺にマッレーはあるか」と聞いてみた。子供は種子を見て「マッレー」と口にした。知っているのだと判断して、周囲を指さした。子供は柵の中を指さしたので、裏山に自生地があるのだと確信した。やがて母親らしい女性が出てきたので聞いてみた。もちろん言葉は通じない。
私の問いかけに戸惑っていたが、とりあえず入口から中へ入れという仕草をしたので、バイクを押して敷地の中へ入った。

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男性が一人枯れ木を切って薪を作っていた。女性に「私はマッレーを見たいので連れていってくれ」と裏山を指さして頼んだ。私は日本語だったり、英語だったり、身振り手振りを交えて懇願した。彼女の言葉はラオス語だから私にはさっぱり分からない。そのうち「マネー」という単語を聞き取ったので「お金をくれるか」と言っているのだと理解し、とりあえず小銭を渡した。それを見て不満げだったので「帰って来てから、また払う」と説明をした。このような場合、必ず後払いにしなくてはならない。
女性が薪を切っている男性に何か相談している。男性はしかたなさそうに作業の手を休め、私のところに来た。様子を見ていた子供が男性に行こうと催促しているようだった。これで交渉は成立した。子供が小屋から肩掛け袋を持って来て先頭にたって歩きはじめた。


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焼き畑で以前パイナップルを植えていたらしい斜面を登って森の中に入った。二人の足取りが早く、息切れしている私は、だいぶ差をつけられた頃、斜面の上の方から呼ぶ声が聞こえた。道の無い斜面を登って行くとモダマのツルがあった。二人はすでに種子を沢山拾い始めていて持って来た。「もう、これで十分だ」「あとは、葉が欲しい」と頼んだ。男性は手ごろな木を探してよじ登り、一本のツルを切ってくれた。「ok,これでいい」「写真撮りたいから」とお願いするとそれに答えてポーズをとってくれる。森の中では苦せずして意思の疎通ができる。

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山から下りて家に着くと女性たちが待っていた。採って来たモダマ種子を見せると「なんだ、それだけでいいのか」という仕草をする。私は「商売じゃないから、これで十分」と言おうとしたが通じるはずもないのでやめた。男性に謝礼として、日本の時給ほどの金額を渡した。男性も女性もその札を見て、眼が点になっていた。思わぬ報酬にびっくりしたようだ。私は「この一部で子供たちに何か買ってやってくれ」と言ったら分かったようだった。


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しばらく休んでいると女性が家からノートを持ち出して来て、男性に手渡した。そこには一枚の紙が挟まっていて、それを見せてくれた。顔写真が貼ってあり、公印が押されていることからして何かの証明書のようであった。見せられても読むことができないので、写真を撮ってもよいかと尋ねると頷いた。土地所有の証書だろうか。つまり、モダマ種子を私が譲渡しましたという証拠にしろという心遣いなのであろう。
名前を聞くことも読むこともできなかったが、お世話になりました。
ありがとうございます。

追記、ルアンパパーンのモダマ種子は、形質が比較的均一で浮力も無かった。ミャンマーのものとはだいぶ違う。隔離と選択圧によるものと推測している。


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# by modama | 2015-10-14 10:56 | Comments(0)
2015年 10月 12日

モダマ調査でお世話になった人々・その6

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(写真はキナバル山を望む、麓では火入れが行われている)

人や物の出会いは不思議である。ある日、同じ学会に所属するYさんからモダマが送られて来て、それがE. borneensis であることに気づいた。本種のことは標本写真では知っていたが実物を見るのははじめてで、是非とも自生地を訪ねたいと思っていた。そこでYさんにそのモダマの出処を尋ねたところ「ボルネオ在住で昆虫写真を撮っている人」だという。早速、コンタクトをとった。「写真を撮っていて見つけたモダマで、どれが何処のか、区別はつかないがタンブナンのものだろう」ということだった。何はともあれ、彼の足跡をたどれば自生地に行き着くはずだ。そこでボルネオ行きを計画した。
漂着種子を探すのに良い海岸線のある場所で、そこに流れ込む水系がある程度の高度をもった山系に源を発する場所、いろいろ検討したところコタブルを根拠地にして調査することに決めた。そして、在住の中世古さんにタンブナンへ連れていってもらえれば、サンプルも確実に入手できると考えた。
そこで来訪を告げ、中世古さんの住所を聞き、落ち合う段取りとなった。返信のメールに書かれた住所は、私が目的地としていたコタブルだった。以前はタンブナンに居て、現在はコタブル郊外に住んでいる、なんという偶然だろう。
コタキナバルに着いてから、近辺の離島を回り、数日後コタバルで中世古さんと会った。その日から数日彼の家にやっかいになり、浜を歩いたり、E. rheedii の自生地やMucuna の自生地を案内してもらった。その時、彼がここにもモダマがあると言って車を止めた瞬間「・・・?」「何か違う」と思った。これまで見てきたE. rheedii とは違う。葉の色つや形、それに花序の付き方。そして、わずかに残っていた莢を見るとE. borneensis なのである。「これですよ、これ、これ」あまりにもあっけない発見に大喜びした。


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それから私は一度、コタキナバルに戻り、キナバル山の麓にあるロッジに向かった。途中バスの車窓からもE. borneensis を見つけた。それは、先日、中世古さんと見つけた自生地に近い場所だった。海抜は700mを少し超えた尾根であった。数日、キナバル山の中腹を散策してから、ロッジに中世古さんが迎えに来てくれた。タンブナンへ行く約束をしていた。途中、ポーリンでフロレシアの花を見たり、Mucuna の自生地を巡ってタンブナンの元の借家の大家さんの家に宿をとった。

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タンブナンでは、モダマ自生地の地主に挨拶へ行ったりしてから、現場に向かった。ここでも莢を見つけサンプルを得ることができた。


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その後、コタキナバル在住のTさんからも情報が入り、別の場所の自生地も確認し、メランカップでも地元のクルソーさんに案内してもらい計5か所で10数株を観察できた。

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写真、メランカップのクルソーさんに案内してもらった自生地。彼はモダマには男モダマと女モダマがあると言っていた。E. rheedii とE. borneensis を指すのだろう。


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タンブナンの元大家さんの家で撮影。
中世古さん、クルソーさん、大家さん、Tさん、大変おせわになりました。
ありがとうございます。

追記、今回のボルネオ調査ではE. borneensis とE. rheedii の分布域を確認した。E. rheedii は海抜の低い低地から麓にかけて数十株を、そしてE. borneensis は分布上限を海抜800m程にして十数本を調査した。海岸線では数千個のローカルドリフトした漂着E. rheedii を目視した。また、海岸林で自生するE. rheedii も見つけた。第三紀中新世に貫入した花崗岩から成るキナバル山の隆起速度は現在5mm/E だという。種子浮力を喪失したE. borneensis は分布上限などから考察すると、より早く到達した種だと思われる。今後、この種のアジアにおけるEntada属の系統的位置づけを調べる必要性を強く感じている。


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写真、E. rheedii の莢を持つ地元青年。なを、ここで使用した写真には中世古氏の撮影したものが含まれている。この場を借りて御礼申し上げます。


# by modama | 2015-10-12 11:16 | Comments(0)
2015年 10月 08日

モダマ調査でお世話になった人々・その5

仕事でベトナムに滞在していた小菅さん一家が帰島した。その時「ベトナムに居た時、家族旅行でミャンマーへ行き、モダマをもらったのであげます」と言っていただいたモダマ種子がE. phaseoloides にそっくりだった。しかし、ミャンマーはE. phaseoloides の分布域ではない。そのことが気にかかって自分の目で確かめないといけないと思い出かけた。場所はヤンゴンから西へ広大なデルタ地帯を横切ったベンガル湾側のチャウンタである。

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写真、ヤンゴンのダウンタウン、かつて海上交易の拠点となった港町で各地からの人種が入り混じった街だ。正面に見えるのが仏教徒のパゴダ、左がイスラム寺院、その他ヒンズー寺院、中国寺院などがあり、脇道沿いにはインド人街、中国人街などが集まっている。

バスでチャウンタの街に着くと海沿いはリゾートホテルが立ち並ぶ観光地だった。しかし、7月だというのにシーズンオフで客は少なかった。私が泊まったゲストハウスも客は一人もおらず、オーナーは「準備ができていないがいいか」と言われて泊めてもらった。いったい何月がシーズンなのだろう。それはともかく私が来た目的を伝えた。ヤンゴンの街で前もって調べておいたモダマのミャンマー語を交えて「ゴンニンドーを探しに来た」と言うと「知ってはいるがこの辺りにはない。隣の村にあるかも知れない」という返事だった。是非行きたいので誰かガイドを探してくれないかと頼み込んだ。オーナーは携帯を何度かかけたが、しばらく待ってくれということだった。それで初日は浜でビーチコーミングをして漂着モダマやジオクレアを拾い、種子の形が小菅さんからいただいたものと似ていることを確認した。
翌朝、オーナーが「連絡がとれたので、スタッフとバイクで行ったらいい」と言ってくれた。まだ、少年のようにあどけなさが残るスタッフと出かけることにした。着いた村は河川の汽水域から少し遡った位置にあり、ココヤシに囲まれていた。

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一軒の家を訪ねるとスタッフと同年配ぐらいの青年が出てきて、出かける準備をした。村の田圃をぬけて小高い丘を登ったところにモダマ自生地はあった。

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葉もE. phaseoloides とE. rheedii の中間のような形態だった。この知見はモダマの分布拡散と分化を考える上で興味深いものである。種の分類はさておきミャンマーの西側(ベンガル湾側)と東側(タイ国境側)とでは形態的に異なることが分かった。

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種子形態でもE. phaseoloides によく似たものが混じったいる。

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カシューナッツの畑で撮影。ありがとうございました。

追記、ミャンマー・ベンガル湾側のモダマ種子の形をチェックしてみましょう。


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〇印をつけた種子を単独で見るとE. phaseoloides に似ている。もし、こんなのが漂着したら間違えるかも知れない。漂着種子の同定は難しい。一方、このような形態の種子がスマトラとかジャワ島に漂着して、ミャンマー西部と同じような熱帯雨林気候で生育し続けたらどうなるだろうと考える。形質の固定化がおこらないだろうか。海流散布は広い地域に行われるが、上陸して自生できる環境は限られている。たまたま、〇印タイプが上陸、自生に成功した地域では、このタイプが島の一部の条件下で隔離されることになる。
スンダランドで分化したと思われるE. phaseoloides は、もともとE. rheedii から分化した種であるからこのような形態(種子形態を含めた)のバラつきから選択されたものであろう。それには島嶼への漂着、隔離、環境などが作用しているように思われる。
一方、大陸内陸部を東へ分布拡散したグループは、ネパールからミャンマー山岳部、タイ山岳部、中国雲南山岳部、ラオス山岳部をかつて地形が比較的穏やかだった時代、東へ拡散し、と同時に隆起の影響を受けて河川の開析によって隔離と下流域への拡散が起こる。東南アジア広域にE. rheedii は分布するようになる。と同時に河川から海へ流出した個体群は海流散布されてスンダランド、オセアニアへも拡散した。
当然、大陸内陸部でも地形的に隔離が起こる。そして、浮く種子は流れ易く、沈む種子は流れずらく選択圧がかかる。同じメコン流域のE. rheedii でもラオス山岳部の種子はほとんど浮力を有さず、下流域のカンボジアでは逆にほとんどが浮力を有する。形質の種内変異が起こる。
また、海を越えるためには「浮く種子」であるという選択圧がかかる。そして島嶼にたまたま漂着した種子の中で、たまたま上陸可能な地形にたどり着いた個体はその地で自生し形質を留めるとどうじに島という限られた地形と条件下で再び隔離される。時には、違った地域からの個体と出会うこともあるだろう。島嶼への漂着は交雑と隔離の両局面を担う。
島嶼においても隆起が伴えば隔離されると共に分散(河川から海へそして海流散布)が進行する。一方、海浜性植物の多くの場合は、自生地が海と内陸部狭間のニッチに限られる。ここでははっきりと区別して認識しなければならない。
詳しくは別の項目を作って述べたい。





# by modama | 2015-10-08 10:43 | Comments(0)
2015年 10月 07日

モダマ調査でお世話になった人々・その4

台湾へ行くときは、決まって台北林試の方々にお世話になる。ランユウ島に2度行った時も恒春へ行った時も、初日は林試に立ち寄った。2007,12月、呂勝由博士に会いに植物標本館へ行ったら氏は来台中の元東北大の大橋先生を案内していて不在だった。別棟の陳財輝博士の部屋を訪ねると、前もって用意していてくれた資料を手渡された。博士には恒春の南仁山入山申請だけをお願いしたのだが、いざ、現地に赴くと何から何まで手配していてくれて、案内者が車で迎えに来てくれた。頭のさがる思いだ。
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旧植物標本館のたたずまい。現在はビルの一室に移転していた。陳博士に案内されてモダマの標本写真を撮らせてもらった。以前は呂博士が標本館の担当だったが、今では若い人たちが管理していた。

迎えに来てくれたのは恒春研究中心の職員である潘順勇氏、初対面は強面に見えたが誠実な方だった。地元出身のパイワン族の方で自然のことは詳しい。私にとっては研究者より潘さんのような方のほうが嬉しい。車で迎えに来てくれた潘さんは高所鋏と図鑑を用意してくれていた。図鑑があれば言葉は通じなくとも意思のそつうが図れる。高所鋏は、事前に標本写真を撮影したので使わなかった。はじめ南仁山に登り、それからE. phaseoloides 自生地である牡丹郷高士村へむかった。海抜200m辺りで数本の個体を観察した。

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南仁山山頂近くにある天池にて、昔は蓮の栽培がされていた。周辺の森ではオニガシなどのブナ科植物が多く見られる。

翌日は、墾丁国立公園内の一般立ち入り禁止域に自生するE. rheedii を案内してくれた。カルスト地形は八重山の琉球石灰岩と同じような隆起珊瑚礁から成る恒春石灰岩であった。以前から考えていた「島の植生は隆起に伴い南方系海流散布植物を混成させている」との見解をより強く確信した。ここでは基層の上に恒春石灰岩が有り、モダマやサキシマスオウなどの植物が遺存していた。

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森の所々に柑橘類やコーヒーの木が逸出して自生している。古くは田代安定らが植物園を開設したなごりなのだろう。今は保護地域とされている。

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墾丁から望む大尖山、隆起と侵食の過程がうかがえる。

モダマ自生地を案内してもらってから、中腹のワニグチモダマ自生地、海岸線のゴバンノアシ自生地などを見て廻った。林試招待所に宿泊し、朝は潘さんのお宅で朝食をご馳走になった。

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日中の調査から夕方招待所に帰ると周辺の森からサルたちが降りてきていた。まるで自室のように住み心地の良い招待所だった。
これらの手配をしてくださった陳財輝博士、寡黙で誠実な潘さん、ありがとうございました。


# by modama | 2015-10-07 11:22 | Comments(0)
2015年 10月 06日

モダマ調査でお世話になった人々・その3

2009,12月、カンボジア北部の町ストゥントレーンから東へ行ったベトナム、ラオス国境に近いラタナキリという地域に行った。ストゥントレーンからは小船かミニバスの交通手段がある。かつては飛行機も飛んでいたが当時は封鎖されていた。バンルンという街に行くはミニバスが便利でそれを利用した。ミニバスと言っても10名乗りのハイエースで座席後ろと屋根には荷物がぎっしり積み込まれている。未舗装の道を土ぼこりを立ててエアコンも無しで走る。午後になってバンルンに着き、予定していたヨーロッバ人が営むゲストハウスを探す。ところが休業していた。飛行機が飛ばなくなってから観光客が減り閉めたという。しかたなしに他の宿を探した。街から少し離れた場所に一軒屋風のホテルがあり、部屋が空いているか尋ねると「有る」と言う。値段を聞くと一泊5ドルだと言う。「5ドル・・・?」見た目は新しい立派な建物なのに5ドルとは安い。「部屋を見せてくれ」と頼むと案内してくれた。二階が4部屋で1階が1部屋とオーナーの部屋だと言う。「2階は埋まっているので、この部屋を使ってくれ」と言われて見せてくれた部屋は40㎡程の広さで床が石タイルでひんやりしていてチーク材のダブルベットが置かれている。ほかにクローゼットと机に椅子も有る。「ここが5ドルか」と再確認すると「そうだ」と言う。決まり。
夕方、中庭を挟んだ向かいの食堂でビールを飲んでいるとオーナーの息子の友達がオートバイでやって来た。仕事の帰りらしい。英語で語りかけてきて「明日の予定は」と聞く。そこで「私はアンコンを探しに来た」と目的を告げる。彼はモダマのことを知らないらしい。自分の部屋からコピーなどを持って来て見せた。女性オーナーや息子、使用人の女子など集まって来て何やらカンボジア語で話している。どうやらモダマ種子は見たことあるが、自生地は分からないとの結論らしい。青年の名前はマカラと言い「自分の姉さんが植物に詳しいので聞いてみるが、分かったら明日案内するか」と聞くので一日幾らでガイドするかと尋ねると「10ドル」だという。何だか話がトントン拍子で進んでいく。
翌朝、マカラ君が迎えにきた。「アンコンのこと分かったか」と聞くと「今から一緒に姉さんの所へ行こう」という。何だか雲行きが怪しくなってきた。彼のオートバイに乗ろうとしたらナンバープレートが無い。「このバイクで大丈夫か」と聞くと「心配ない」とのことだ。
街を離れしばらく走ると小さな村に着いた。ここが自分の村だという。彼の小屋を見せてくれた。おお、まさしく「ウサギ小屋」とはこれのことだ。

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姉さんを紹介され一緒に村の周辺を探したが無かった。マカラ君、また、バイクに乗れという。つぎに着いたのはゴムプランテーションの集荷場である。液体のゴムを林から集めて運び出す拠点で友達に何やら聞いている。「ゴム林に残っているらしい」ということで、また、バイクに乗って林の小道を行く。途中、作業している人に何度か尋ね、奥へと進んでいく。今度はバイクを降りて踏み分け道を歩く。あった。そこにはゴムの木から木へ渡るようにして巨大なモダマツルがあった。
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私が葉の形など確認している間にマカラ君は、林床に落ちている種子を拾ってくれた。乾季なので葉は僅かしかなく、それも高いところなので届かない。枯れた莢が幾つか下がっていた。それでも十分なサンプルが集まった。
林を出てから彼を昼食に誘った。市場近くの食堂へ行ったらPOLICEの車が止まっていたので「ナンバープレート無しでやばい」かなと思ったが、マカラ君は平気で駐車。何事もなかった。食事を終えてからバイクにガソリンを満タンに入れさせて「後はおまかせするから」と言って彼に案内させた。

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ヤクロムという火山湖?や滝に連れて行ってくれた。私の興味を知っていて自然の豊かな場所を選んでくれた。ガイドによっては「まかせる」というとマージンが貰える土産物屋とかに連れて行きたがる者もいるが彼はそうではなかった。早めに宿に戻り、私はビールを飲んだが、彼に勧めても「自分は飲まない」と断わった。約束の10ドルにチップをつけて渡すと、彼は喜んで帰っていった。きっと、昨日、宿に来た時間ぐらいまで、これからも客を乗せて仕事するのだろう。ガソリンもほぼ満タンだし「がんばってお稼ぎ」と見送った。

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彼がくれたラタナキリのマップを見ながらビールを飲んで一日を振り返った。
マカラ君ありがとう。


# by modama | 2015-10-06 09:48 | Comments(0)
2015年 10月 05日

モダマ調査でお世話になった人々、その2

モダマ種子サンプルを入手することはそれ程大変なことではない。現地の市場や生薬店へ足を運べば、運よくば入手できる。しかし、産地が分からないのと自生地の地況や植物自体を見ることができない。また、研究機関から入手する手もある。この場合データははっきりしている。が同様自生地の地況が分からない。何といっても自分で自生地に足を運ぶことが、私にとっては満足のいくサンプル入手であり、楽しい。
2012,12月ラオスへ行った時にはベトナムのハノイから中国の雲南へ入り、シーサンバンナからラオスに入国した。ルアンパパーンからトラックバス(トラックの荷台に乗り合い)でノーンキャウまで行き、その先道が無いので小船でムアンゴイ村へ行き、さらに徒歩でバンナ村へ入った。ムアンゴイでは宿泊先のオーナーがガイドもしているが、彼はその時、足の裏を怪我していて山には入れないので、隣村へ行けば自生地があると紹介してくれた。
ムアンゴイからバンナ村までの道は、途中の鍾乳洞までは道路があり、そりから先は踏み分け道を行き、橋の無い川を渡り、田圃の畦道を歩く。
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稲は穂をつけたばかりで収穫前の農閑期だった。バンナ村に着いて村人にモダマを探しに来たことを告げたが言葉が通じず、村はずれの学校へ案内された。学校では授業の最中だったが、村人が「へんな外人が来ている」と先生に告げてくれた。先生は授業を中断して私の話を聞いてくれた。「10分したら昼休みだから待っていてくれ」と言う事なので校庭で小屋作りをしている作業を見ていた。するとその中の一人が話しかけてきたのでモダマ種子を見せて「私はマッレーを探しに来た」と答えた。ラオス語ではモダマのことをマッレーとかマッパーと言う。児童たちが昼休みで家に帰ると先生が対応してくれた。作業していたオジサンと先生に自生地へ行きたいむねをつたえると「休み時間の間に行こう」と言う事になった。児童たちは家で昼食をとってから昼寝をして、また、授業を受けるらしい。その間に先生は付き合ってくれるという。

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写真はバンナ村のメインロード。この道のはずれに学校があった。

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帰宅する児童と校庭で作業する村人、右端の赤いTシャツを着た人が話しかけてきた人でこの村の村長らしい。後で知ったことだが、あの小屋は先生(手前の成人)の宿舎だと言う。


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村長さんが先頭にたってモダマ自生地へと向かう。裸足で腰には山刀をさげさっそうと行く。
自生地は左手の岩山の少し左側だった。途中田圃の間を川が流れていて、三人でパンツひとつになって渡った。

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田圃の周囲には柵が張り巡らされてあり、それを越えて山の麓を登る。山は果樹などが植えられてあり、田の稲が実るまでは水牛を放し飼いにしている。稲が収穫し終えると水牛を田に放し稲藁などを食べさせる。山は果樹や竹の子、山菜の採集地でもあり水牛の放牧地でもある。藪の中は湿度が高くむんむんしている。モダマを見つけてサンプルを採集して間も無くヒルに襲われていることに気づく、三人で藪から逃げ出し果樹の下に避難した。何匹ものヒルが足を這い上がっていた。

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村の小屋に戻って一休み、村長さんは私の双眼鏡がお気に入りで子供のようにはしゃいで遠くの景色を見ていた。最後に謝礼としてガイド料を手渡すと「学校の管理費に使わせてもらう」と言って快く受け取ってくれた。
ブンニャン先生、シーウォンおじさんありがとうございました。
(今度、行く時には児童たちにお土産とシーウォンおじさんには重くて今は使っていないこの双眼鏡をプレゼントしよう)




# by modama | 2015-10-05 14:58 | Comments(0)
2015年 10月 02日

モダマ調査でお世話になった方々

これまでモダマ調査で東南アジアの国々を廻ったが、月日がたつと忘れていくことも多い。もともとブログは自身の忘備録として書いてきたが、最近、写真を整理していて海外でお世話になった方々を留めておこうと考えた。
日本人の感覚では、野山の自然物は誰のものでもないという意識が強く山菜採りなど行われるが、山国に暮らす人にとっては、日常の暮らしと身近な自然は密接な関係があって、森も林も日本で言えば彼らの畑のようなものである。日々使用する薪の供給地であり、食料の多くもそこから得ている。だから、無断で他人が踏み入ることや何かを採集することは、彼らにとって生活を脅かす行為とも受け取られかねない。
たとえモダマの種子や葉をサンプルとして採集するにしても、現地の人の了承をできるだけ受けなければならない。そこで適当な案内者を探すわけだが、旅行社で観光案内を頼むのとは違って手間のかかる仕事でもある。一方、旅の成り行きでふっとしたことから出会った人にお願いすることもある。その時もジャングルに同伴してもらうのだから安全な人を選ばなくてはならない。

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中央ネパールのラムナガール北にある小さな集落ティムラ村で出会った(右から)マガラさんとその妹と隣村のご婦人。この三人に出会ったのは森の小道をモダマを探しながら歩いていたときだ。谷の方から木を切る斧の音が聞こえ「懐かしいな~、今時、斧で木を切る人がいるんだ」と近づいて行くと、たち木ではなく枯れた倒木を1mぐらいの長さに切っていた。日本なら鋸でする作業だが、ここでは斧一丁で、輪切りにして、それを縦割りにして薪を作っていた。話かけるとぎょとして振り向いて、はじめは見知らぬ外人に警戒心を抱いているようだったが、次第に打ち解けてきた。そこで、モダマ種子を見せ「私はパングラーを探している。この森に有るか」と身振り手振りで尋ねた。実物の種子と「パングラー」というネパール名で理解したようだ。マガラさんは「この森には無く、(東を指して)向こうの森にはある」と言っているようだった。
(写真は横たわるモダマのツルに腰掛けて記念撮影)
「翌日、私はまたこの村に来るからモダマの自生する森に案内してくれ」という約束を取り交わした。そして、翌日、写真の三名にジャングルを案内してもらいモダマ自生地にたどりついたのだが、その経緯は次のようだ。マカラさんははじめ薪を採っていた森(自分の村の森)にはモダマは無いと言っていた。翌日、妹とご婦人が同伴した。マカラさんは自分の村の森にはモダマが無いので妹の嫁ぎ先である隣村の妹に明日行くことを相談したところ、もともとの村人であるとつぎ先のご婦人が同伴した。つまり、隣村の森の恵みは、あくまでも隣村の所有であって、村人の了承が必要なのだろう。本来ガイドは一人でいいが、この場合ガイドを引き受けてくれたマカラさんの村の森には無いので二人の女性が加わった。私ははじめマカラさんと契約したので当初のガイド料を支払った。僅かなガイド料は三名の手に渡ったのだろう。これも村々の繋がりを深めればよいと思う。

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街ではストライキや襲撃事件が頻発するネパールであったが、マカラさんのおかげで無事目的が達成できた。ありがとうございます。



# by modama | 2015-10-02 11:42 | Comments(0)
2015年 09月 21日

Abutilon indicum タカサゴイチビ

植物に関する知識は薄く、樹木は知っているが草本はよく分からない。
植物にしろ昆虫にしろ知らない種を検索するのは難しい。
鳩間島で見かけた花を調べようとしたが何となく「アオイ科」かな・・・
?とは思ったが
写真の載った沖縄植物図鑑には無かった。
それでスリランカで買った「
Illustrated field guide to flowers of Sri Lanka」で似ている花はないか眼を通した。
この図鑑は花の色別に記載されている。はじめはあまり科学的ではないと思っていたが、
似た花が載っていて
Abutilon indicumとあった。
「そうか、こういう手がかりから検索するのも便利だな」と改めて思った。
しかし、花弁の形が少し違う。
そこで、琉球植物誌で検索すると「タカサゴイチビ」
Abutilon indicumが該当した。
今度は
ITで和名を入力して検索してみた。
すると沖縄と与那国の本種の写真がヒットした。これで間違いないだろう。

しかし、ひとつ疑問に思うことはスリランカの花弁と鳩間島の花弁の形が違うことである。
鳩間島の花弁の形は近縁な
Abutilon hirtumに似ている。

この種は熱帯に広く分布する種なので分布を拡散するうちに二種間で交雑が起こっているのかも知れない。
DNAを使って詳しく解析する必要があるだろう。しかし、私にはその術が無い。

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# by modama | 2015-09-21 10:31 | Comments(2)