2015年 06月 20日

モダマを追って旅するアジア 8-6, E,glandulosa の花期

夜、カンボジア・プノンペンに着いて宿を決めるとすぐに飯を食いに外へでた。なにしろ腹が減っていた。プノンペンには日本食を出す店が多い。店に入ると店員に「いらっしゃいませ」と声を掛けられる。日本では当たり前のことだが、長く旅をしていると忘れてしまう。まず、レモンチューハイ、焼き鳥、カツどん、味噌汁、・・・いっぺんに食い意地が顔をだす。
翌日、朝から情報収集をはじめる。まず、宿の人に「Kompong Speu にMt,Reang Kol という地名があるか」と聞く。宿の人がPCで調べてくれたが、カンボジアでもヒットしない。これは日本でもさんざん繰り返したが同じことだった。私が参考にしている資料はI.NIELSEN が書いたものでフランス表記なのかも知れない。地名はもともとその土地の呼び名であるから書き表す時、フランス表記であったり英語表記であったりして微妙にスペルが異なる。宿のソファーに座っていた中年のご婦人が、「Kompong Speu なら教え子が沢山いるから聞いてあげる」と携帯を掛けてくれた。しかし、地元の人も知らないと言う。
そこはE,glandulosa のカンボジアにおける一産地なのであるが、植物の分布は一箇所に限らず、同じような環境を探せばよいはずだ。そこで
Kirirom へ明日行ってみることにした。バスで行くには日帰りが難しいので、ドライバー付きで車を借りることにした。
翌早朝、宿に車が迎えに来てくれ乗り込んだ。運転手に名前を聞いたら「ジュイ」と言った。意味はバナナだそうだ。無口だけど気の廻る男性だった。チャンバーサックの島でタイ薬草図鑑の写真入りコピーは持っていかれてしまったので、I.NIELSENのイラストと実物の種子を使って
聞き込みをした。国道4号線を西に走ってkIRIROM が近づくと、道脇に木の根やサルノコシカケのようなキノコを売っている店が目立つ。その一軒で聞いてみると、「この辺には無いが、あっちにはあるかも・・・」とkIRIROM 方向を指差す。ふむ、ふむ、いい感触だ。国道から脇道に入り公園の入り口に来た時、バナナさんがゲートの係官にイラストを見せ聞いてくれた。係官は分からないらしく、別の係官に聞いた。この方は少し歳をめした男性で、一目見るなり山を指差し「沢山あるよ」と教えてくれた。海抜300~500m位の低木林に自生していた。それも花の最盛期で莢は散り始めていた。

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アジアにおける小型モダマ類は開花期もそろっている。これは基本的にフィリピンのE,parvifolia も同じで、こちらは海洋性気候のためバラつきがあるだろう、と予想される。これで三種の情報がすべて集まった。(自宅のプレハブの屋根に登ってみたらE,parvifolia の蕾が着いていた。間違えない)

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写真は、E,glandulosa の根元で、ツルが多数出ている。これはこの種の特徴と言える。


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自生地の環境、大型モダマ類が樹高の高い森に自生するのに対し、陽のよく当たる疎林を好む。サバンナ気候に適応したモダマといえる。

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この林では地元の人が薬草店へ卸すためすでに拾われた後と思われる。それでも一生懸命探してくれたバナナさん、ありがとう。

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「タイには赤い花の咲くサガリバナが山にある」と聞くが、カンボジアの山にもサガリバナがあった。すでに種子が着いていたので開花期は早いようだ。はたして何色の花を咲かせるのだろうか。


# by modama | 2015-06-20 10:38 | Comments(2)
2015年 06月 19日

モダマを追って旅するアジア、8-5, インターナショナルバス

これまでに何度国境を越えただろうか。ゲートをくぐり陸上の国境線を徒歩で越えたこともある。橋を歩いて渡ったこともある。最近はシャトルバスやインターナショナルバスで越えることが多い。今回、ラオスのチャンバーサックでパクセ~プノンペン行きのインターナショナルバスチケットを買った。ポスターやチケットの写真には真新しいバスの写真が載っていた。以前、プノンペンからパクセまでこの手のバスを乗った時は、写真に載っているようなバスで国境での出入国手続きはすべて係りの人が行い、乗客は国境を越えてからまた同じバスに乗るシステムだった。今回の体験はまったく予想に反していた。
出発の日、私と欧米人のカップル二人が車に乗り込んだ。メコン河の船着場で降ろされ、渡し船に乗って向こう岸の道でバスに乗ってくれとの指示だった。バスを待っている間、彼らと話したらシーバンドンへ行くと言う。シーバンドンとはメコン河に多くの島があってその辺りは急流になっている場所だ。観光地として多くの人たちが訪れる。しばらくすると別の渡し舟も着いて何名かのグループがバスを待つようになった。
やがて来たバスは、フロントガラスが小石の当たった痕でヒビだらけの古いバスだった。シーバンドンまでのローカルバスだろうと思ったが念のために運転手にチケットを見せて「プノンペン行きもこのバスにのるのか」と尋ねた。運転手は「途中で乗り換えるが乗ってくれ」と言う。
そのバスで国道13S線を南下する。しばらくするとシーバンドンの分かれ道にさしかかり、バスは停車して「プノンペンは乗り換えて」と言われた。その道筋には4名の女性バックパッカーが待っていて合流した。彼女たちはシーバンドンからの帰りでカンボジアのストゥントレンへ行くと言う。同じ国境越え組だ。
しばらくするとミニバスが来て運転手が「国境へ行くのか」と聞くので乗り込んだ。ここから国境までは近いので、やがてインターナショナルバスに乗り換えるのだろうと思った。ところが国境で出国の手続きをしてゲートをくぐり歩いて入国手続きをしたカンボジア側にもそれらしいバスは待っていない。係りらしい人がいて茶屋でしばらく待っていてくれと言った。そこには先着のグループがいて、まだ、入国手続きをしている人たちを待っているようだ。
やがて来たのはまたミニバスである。私は運転手にチケットを見せプノンペンへ行くんだよと念を押した。運転手はチケットを手にして携帯で何やら話しをしていたが、これに乗ってくれとのことだった。何であれ長く待たされるよりは少しでも先に進むことはいい。
やがてストゥントレンに着くとミニバスはレストランの前に止まり「ランチだ」と言う。この中華系のレストランが旅行社も兼ねているようだ。やがて店の前に別のミニバスが止まって多くの旅行者が乗り込んだ。「何処へ行くのか」と聞いてみると「ラタナギリ」だと言う。
ここから東の方へ向かうベトナムに近い場所だ。結局、今までバスで同行していた客は私一人になってしまった。
これまでの乗り物はインターナショナルバスでは無かったが、乗り継ぐ度にチケットを見せると無料だったので、どこかで通じていることは確かである。
レストランの主人が私に「あのバスに乗ってくれ」と言う。見るとこれまでに乗った中で最低の車だ。「これでプノンペンにまで行くのか」と聞いたら「途中で乗り換える。心配するな」と言う。ここまでくるとあきれ返るにも程がある。念のため車の写真とチケットを写真に収めた。
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後の自動車がミニバス、手前のチケットがパクセ~プノンペン行きのインターナショナルバスチケット、チケットの下には綺麗なバスの写真が載っている。チケットの発売元はGreenparadaise Travel Co,LTD である。チケットのVip の欄にはチェックがないので豪華なバスではせいにしろ、普通、インターナショナルバスというのは国境を通過するバスのことを言う。それが乗り継ぎの連続である。


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運転手がしきりに携帯を掛け、客の情報を集めている。途中から乗る人も含め採算の合う人数になると出発する。しばらくして出発する。乗客はすべて地元の人で旅行客は私一人である。車は国道7号線を南にぶっとばす。悪路をものともせずひたすら走りつづける。やがて車内の内装金具が外れて落ちる。それでもエンジンだけは順調でスピードだけはでる。
しばらくして見覚えのある街に差し掛かった。Kratie だ。河イルカで有名な街でもある。市場横を過ぎた広場で車は止まった。一斉にバイクの運転手達がよってくる。降りる客の争奪戦がはじまる。車内の私にも声がかかる。客がめいめいオートバイに乗って散ってしまうと運転手も降りる。そして何やら携帯をしている。客をとれなかったバイクの運転手が最後の私に注目している。うち一人が「何処まで行くのか」と聞いたので、チケットを見せて「プノンペン」と答えた。みんな諦め顔になった。オートバイで行ける距離ではない。
私が車から降りないものだから運転手も困り果て、何度も携帯を掛けた。
そのうち、一人のオートバイ運転手に小銭を渡して、私に乗れと言う。別の車を捕まえたのだなと直感した。もう、こうなったら意地でもプノンペンへ行くしかない。
オートバイの後に乗って郊外までくると路肩に一台のミニバスが止まっていた。携帯で待たせておいたらしい。オートバイの運転手が止まる前に「5ドル、5ドル」と叫んだ。だいたいの事情は掴めている。もう、チケットの有効圏外なのだろう。それでも乗り継ぎの車を手配しただけでも良しとしよう。
ミニバスの若い運転手がドアを開けてくれた。乗る時「5ドル」というので財布の中を見ると10ドル紙幣しかなかった。10ドル札を出すとカンボジアマニーで良いかときくので頷いた。そお言えば、カンボジアに入ってから両替をしていないのだ。10,000R札を二枚よこした。
他の客は三人だった。そして、再びぶっとばしがはじまる。
途中、小さな集落を過ぎ、橋の手前にさしかかると、橋が一車線のため対向車待ちで停車をした瞬間、後から来た乗用車が追い抜きざま前に急停車した。窓から腕をだし「止まれ」の合図をおくっている。後ろを見ると後にも乗用車がぴたりと停車し、あとからオートバイも追いついた。「警察だろうか」と思ったが、車から降りて来たのは私服の中年男性だった。ミニバスの運転手も降りて何やら言い争いをしている。乗客の一人の若者が車外へでて運転手の加勢をしようとしたが、内側からドアが開かない。窓を開け、手を外に出して開けようとしたが、それでもだめで、窓から出ていった。(何か様にならない)
私はちょうど用をたしたかったので、助手席のドアから降りて、橋のたもとまで歩いていって用をたした。話し合いはまだ続いていて、最終的には運転手が小銭を渡して決着がついた。何かの罰則違反だろうか、しかし、取り締まる側が警察ではないので、地域のルール違反なのだろうか。私には分からない。
ミニバスが走りはじめても運転手と若者は、まだ、興奮気味で何やら口走っている。沖縄風に言えば「よそで会ったらタックルシテヤル」と言った内容なのだろうか。そして、また、ぶっ飛ばしが続く。
夕暮れ近くなって小さな街で若者は降りた。しばらくして別の街で男が乗った。運転手は時々、携帯にでて話をする。やがて車内は真っ暗になり、車のヘッドライトの明かりに田舎道が照らし出される。街灯というものがほとんど無いので、外の景色は見えない。カンボジアの平野部は地平の果てまで何も無く、ところどころ砂糖椰子の木が並んでいるだけだ。だからまったくの闇の中にライトに照らされた道だけが続く。先ほど乗って来た男が急に大声をだす。携帯のモニターが車内を僅かに照らす。会話が終わっても男は携帯の明かりを消さず、座席の下を照らしたりしている。彼の座るシートの下には私のリックがある。そのうち後の座席の客もごそごそと動きはじめた。そして、大声で何やら分からぬ言葉で会話を始める。この繰り返しがしばらく続く。
「一体、今、何処を走っているのだろう」「どれぐらいでプノンペンの街に着くのだろうか」かいもく見当がつかない。
ふっと、頭の中を不安がよぎる。もし、今、この車に乗っている人がみんな仲間だったら・・・。

私はこれまで随分一人旅をして来た。自然の中で長らくキャンプ生活を送ったこともある。自然の中では怖いと思ったことは無い。むしろ都市ではある。銃声を聞いたこともある。人が一番怖い。
今、車という密室に数人の人がいる。そして、彼らは外部と連絡をとっている。私はその言葉を理解することができない。完全に孤立した状態にある。
「うん、何とかなるサー」その時の運命に委ねること、そして情況に応じて対処すること。これしか無い。
私も流れる種子(命)なのだ。
何処に流れ着こうが、そこで精一杯生きれば良い。
何だか大げさな妄想が頭の中をよぎる。

ある小さな街に着いた。車が店の前に止まる。運転手が降りて「夕食だ」と言う。それまで客の居なかった店に数人の男たちが寄ってくる。運転手とは顔見知りのようで、同じテーブルの席に座る。運転手が店の人にビールと食事を頼む。
食事は粥の一種で、カンボジアでは間食によく食べられる。私は、その粥の原料となるご飯をよく知っている。料理に出した残りの釜底のご飯で、日中、道脇などで干したものだ。道路に巻き上がる土ぼこりを浴びている。まぁ、洗って粥にするのだから別に問題はない。
運転手の若者が「ジャポニ、食事だ」と誘ってくれるが食べる気にならない。と言うよりも私は旅の移動中にはあまり食物を口にしない習慣がついている。一日一食という日は普通だ。でも、目的地に着いたりして落ち着つくとたらふく食べてしまう。
運転手は缶ビールで集まって来た男たちと乾杯する。これも客の情報を伝えてくれる人たちへの営業なのだろう。

この小さな街を出発してまもなく見覚えのあるメコンに架かる橋を越えた。ここから先はすべて周知である。
ロータリーで客はすべて降り、私もトゥクトゥクに乗り換えた。
長いインターナショナルバスの旅であった。










# by modama | 2015-06-19 14:33 | Comments(2)
2015年 06月 18日

モダマを追って旅するアジア、8-4, チャンバーサック

当初の計画では、ルアンパパーンからパクセへ飛ぶことになっていた。しかし、飛行機の便数が少なく6月にならないと飛ばないということで、急遽、とりあえずビエンチャンまで飛ぶことにした。ビエンチャンの空港に降りてすぐに航空会社のカウンターで明日のパクセ行きは取れないか相談したところ、これまた取れないということだった。すると、バスで行くしかない。以前、中国の雲南シーサンバンナからラオスへ入り、ルアンパパーン、ビエンチャン、パクセ、カンボジアの国境を越え、プノンペンまで行ったことがある。その時の道路事情とバスのひどさが記憶にあるものだから、ビエンチャン~パクセはできることなら避けたかった。とりあえずビエンチャンのバス停近くに宿をとり、バスの時刻表などを見て明日からの行程を再検討することにした。

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パクセ行きのパスを時刻表でみると昼すぎにある。これは以前と同じでパクセには夜中に到着することになる。夜中に宿を探すのも大変だし、おそらく昔のままのバスだと行程も疲れる。このバスをサルサバスと名づけた記憶がある。バスの前半分にシート座席があるものの後ろ半分は床だけで、最後部には荷物が積み込まれる。座席と荷物の間には、背もたれの無いプラスチックの椅子が置かれていて、シート座席が確保できなかった客はそれに座る。あの時は欧米人と地元の人が半々ぐらいで、私の前には女性のバックパッカーが居て、後は地元の男性だった。はじめのうちは整然としていたが、悪い道を走るうちに置かれてある椅子は移動する。それも列の間が狭いものだから皆が自分のスペースを広げようと頑張る。特に前の女性は背も高く足も長い。しらずしらず足を伸ばすので椅子が私の方へ寄ってくる。後の地元男性は慣れたもので、私の椅子の脚を自分の足で抑えている。私と前の女性の間隔は狭まり、大きなお尻が私の股間に侵入してくる。完全に密着状態だが、私は後ろに逃れられない。時々、女性が「ごめんなさい」と言って椅子を戻すので、その隙に足で椅子の脚を抑えるが、長い足をずっと折り曲げている苦痛に耐え切れず女性は、また、後へ移動しはじめる。慣れない私は前の椅子を足で押さえきれない。また、股間にすっぽりとお尻が入ってくる。ある一定の間隔を保とうと私は腕を胸の前で組む、すると腕が彼女の背中(ブラジャーの留め金の辺り)に位置する。激しいバスの振動でこの姿勢を保っているのも疲れる。いっそのこと、彼女の腰のところへ手をあてがっていられれば少しは楽なのだが・・・サルサダンスを踊るように一列にくっつきあったら楽なのにナーと思う・・・
暑いし、埃だらけだし、振動は激しいし、もう乗りたくない。
そこで私は考えた。何もラオスにこだわることはない。タイに入ろう。タイの方がずっとインフラが整備されている。遠回りでもこちらの方が楽なのではないだろうか。結果、ビエンチャン、コンケーン、ウドンラチャタニー、と乗り継いでコンチャムに行くことにした。
翌日の行程が決まったので宿に戻って昼寝をした。夕方、食事をするため外に出たら、食堂が無い。辺りは銀行ばかりで、それも中華系銀行が軒を並べている。店はほとんどがすでにシャッターを降ろし、明かりを消している。ビエンチャンはダウンタウンの一部を除いて暗く寂しい街だ。やっと探した屋台で飯を食う。

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翌日の朝、プノンペンのバスターミナルからKhong keng 行きのインターナショナルバスに乗る。途中ラオス国境で出国、タイ入国の手続きを済ませてコンケーンへ、ここのバスターミナルでウドンラチャタニー行きに乗り換えようとしたら切符売り場の表記がすべてタイ語だった。窓口に並んでいる二人の少女に聞くと、ここがウドン行きの切符売り場だと言う。彼女らの後ろに並んで切符を買う。その際、発着ホームの番号も聞く。
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少し時間があるので用をたそうと荷物が安全に置けそうな待合席を探す。ちょうどお坊さんが二人居たので隣の席を確保、そこはウドン行きのバスホームから少し離れているが、バスが来れば見える位置にある。用事を済ませて席に座っていると先ほどの少女達がやって来て、ウドン行きのバスは向こうのホームだと教えてくれる。知っていたけど「あっ、ありがとう」とお礼を言う。とても親切な子達だった。バスは間も無く客を乗せて出発、ウドンのターミナルに着くと珍しくインホメーションがあって人が居た。係りにコンチャム行きのバスは何処から乗るかと尋ねるとホーム番号を教えてくれた。そこにはミニバスが三台止まっていて一人も客は乗っていなかった。荷物を持ったまま三台のバスを物色していると一人の男が近づいて来て「何処へ行くのか」と聞くので「コクチィアム」と答える。男は「ほんとにコンチャムへ行くのか」と念を押す。このバスは何処へ行くのかと聞くと「コンチィアムだ」と言う。私も「コンチィアムに行くんだな」と念を押す。男はバスのドアを開け「さぁ、乗れ」と言う。何だか話がうますぎるので、まさか貸切で行くのではないだろうなと心配になる。すると男は待合席の方へ行ってゾロゾロと客を連れて来た。私が定員になる最後の客だったのだ。すぐさま出発。

コンチャムに着いたのは夜になってからだった。乗客がみんな降りてから運転手に「近くに安宿はあるか」と聞くと「連れて行くから乗れ」と言う。5分ぐらい乗るとゲストハウスの前に止まってくれた。料金のボッタクリなどはまったく無かった。

コンチャムにはE,reticulata の種子の特に小さな個体群があると聞いていた。それを是非見つけてDNA のサンプルを採りたかった。翌朝、
レンタバイクを借りた。その時、バーツがたりなかったので、両替してから払っても良いかと聞くといいと言う。オートバイに乗って銀行へ行く、ところがパスポートをバイク屋に預けてあることに気づく。引き返してバイク屋にパスポートが無いので両替が出来ないと言うとパスポートを返してくれた。変わりに国際免許証を渡す。無免許で銀行へ行く。何だかやたらに融通がきく。田舎街の良さでもある。

コンチャムはタイのコラート台地を西から東へ流れるムーン川水系とメコンが合流する地点だ。大陸内陸部のサバンナ気候で暑い。土地も侵食されていて砂岩がむき出しになった部分や一面の玉砂利地帯だったりする。わずかばかりの赤灰色の土ではキャッサバが栽培されていた。樹高の低い林の中を歩き廻ってモダマを探したが見つからなかった。しかし、このような環境で小型のモダマが進化したことは十分に理解できる。現在に残る典型的な地形のように思う。大きな河川が近くにあっても開析が進めば、水位は台地を潤すことがない。過去になんどか直接大河の河底になったとしてもひとたび河川の流が変われば、栄養豊かな表土は浸食を受けて流れ、砂質と玉砂利の台地は貧土壌として乾く。アジアにおける小型モダマ三種の内、二種はこんな土地で分化したのであろう。そして、内一種がフィリピンの島嶼へと伝播して海洋性気候のもとに再び分化したのであろう。系統的にみてもこの三種は、大型モダマ群とはかけ離れたクラスターに位置する。

気温37~40度の炎天下はさすがにこたえる。オートバイで走っていれば風を受けて少しは涼しいが、止まって林を歩くとドッと汗が流れる。二日間であきらめ、ラオス側のチャンバーサックへ向かうことにした。ここのE,reticulata 自生地は、過去に二箇所みつけてある。今回は花の時期確認とさらに新しい自生地を見つけたいと思っている。しかし、ここも暑い!!

翌朝、タイ国境へ向かうためミニバスに乗ったら、ウドンから来たときの運転手だった。この辺りを担当していると言っていた。出国手続き、入国手続きをすませてラオスに入ると外には車が無く、数台のオートバイが待っていた。「パクセ」と叫んで手を挙げると、背の低い中年の男が歩み出た。気骨のありそうな男で「幾らか」と聞いたら「50」と言う。まさかラオスのお金ではないだろうから「ドルか」と聞いたら「そうだ」と言う。まったくのボッタクリだ。「途中でバスに乗り換えるのか」と聞いたら、「このオートバイで行く」と言う。
不思議なことに値切り交渉をせずに乗る気になった。走りなが「パクセから何処へ行くか」ときくので「チャンバーサック」と答えるとオートバイを止めて「ボールペンあるか」と聞く。彼は自分の掌に国境とパクセとの間にメコンを描いて、メコンの手前から横線を描き「チャンバーサック」と書いた。そしてパクセか、それとも直接チャンバーサックへ行くかときくのである。確かにパクセへ行って一泊しないでチャンバーサックへ直接行く手もある。「このオートバイで行けるか」と聞いたら「大丈夫」だと言う。何だかこの男の後ろに乗っているのが面白くなってきた「よし、いこう」。ばんばん飛ばして昼前に着いた。お金を払うとき「一日分稼いだナ」と言って渡すと笑っていた。「少し休んでから帰れョ。エンジン焼けるゾ」と声を掛けたが、まっしぐらに戻って行った。ボラレたけど面白かった。

前に二度泊まったことのあるGHに荷を解いた。以前は親父が仕切っていたが、今は息子がGH、娘が店番をしている。娘はすでに一児の母親だ。売店にはITとコピー機が新しく入って様変わりしている。プノンペン行きのインターナショナルバスのチケットも扱かっているらしい。
早速、オートバイをレンタルしてE,reticulata の自生地へ行ってみる。枯れて丸まった莢が幾つかあって、ツルには蕾もついていた。やはり花期はこの時期でよいのだ。林の一部の木が切られ自生地が少し狭まっている。

翌朝、メコン河にある小島へ行くことにした。Done Daeng と言うらしい。オートバイで船着場まで行き、そこから小船を二艘つなげた船にバイクを載せて渡る。

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メコンから見たチャンバーサックの街並み。自然遺産ワットプーはずっと左手になる。

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オートバイを乗せた小船は島の北側の浜に着いた。そこは広い砂浜で陸地までオートバイを走らすのに一苦労。沢山の牛が放牧されていて島というよりは、アフリカのサバンナに来たような感じがする。砂にタイヤをとられながらやっと陸地に到着する。村の入り口らしいが人の気配は無い。はじめにロッジらしい建物があって庭には自転車とオートバイが整然と並んでいるが、客の気配もまったく無い。その先に行くと民家があって村人たちの姿がある。お寺もある。モダマを探しながらオートバイを走らせていくと、畑の隅の木陰に男女の姿が見られた。一度は通り過ぎたが、「あの人たちに聞いてみよう」と思い立ち、Uターンした。リックからタイの薬草図鑑のコピーをとりだし尋ねた。このコピーには花、葉、莢の写真が載っていてタイ語の解説がかかれている。タイ語が読めなくとも写真でどんな植物か分かる。旅先で非常に重宝している資料だ。
それを見たオジサン、オバサンは、今私が来た方を指差す。「向こうにあるのだろうか?」するとオジサンが行ってみようと仕種をするので
オートバイに乗ってついて行った。すると一軒の家に入り、高床式建物の下にある休み台で休めと言う。そこには家族らしい女性子供、それに横になった老人がいて一家の団欒が感じられた。女性たちが子供の髪の毛を切っていた。

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オジサンは携帯で話をしていると、まもなくしてその家の娘が別の娘を後に乗せて戻って来た。顔つきや身なりからして、この家族ではないらしい。娘は私を見て「ニーハオ」と挨拶した。私はだまったまま会釈した。家の女主人と見られるオバサンが娘に枕を持ってきて横になれという。しばらく顔や手にクリームを塗ってから横になった。他の女たちは子供の散発を終え、オバサンは寝ていた老人を起こしお粥を食べさせた。どうやら介護老人らしい。
オジサンは、私の持っていたコピーをよこせと合図して、それを持ってオートバイで出かけて行った。オジサンはコピーの写真を参考にモダマを探しに行ったのだろうか。あるいは他の物知りに尋ねているのだろうか。
オジサンが帰ってくるのを待ちながら、敷地の中をうろついたり、休み台に座ったりしていた。敷地の裏側には魚網があることから半農半漁の暮らしをしているらしい。やがて女性たちは洗濯をしてから水浴びなどをして一人、二人と部屋の中に消えていった。気がつくと介護老人と連れてこられて横たわっている娘と私の三人きりになってしまった。何だか変な構図だ。
すると、寝たきりの介護老人が奇声をあげた。部屋の中からなだめる女性の声がする。何だか休み台にいる三名は部屋の中から秘かに見られているような気がする。なかなかオジサンが帰って来ないので、私は近くにあった椅子を三つ並べて休み台から離れた場所で横になった。
しばらくして、部屋からオバサンが出てきて私に「ゴー」という声を掛けた。「ゴー・・・?」振り返ると外を指差して再び「ゴー」と言った。横たわっていた娘も起き上がって私を見ている。「ゴー・・・?,帰れという意味だろうか」。しかし、オジサンは私のコピーを持ったまま出かけてまだ帰ってこない。そのことを説明したが言葉が通じない。一体何なんだろう・・・
旅先で事を荒げてはいけない、ましてここは島なのである。私はオートバイに乗って上陸した方へ戻った。ロッジは相変わらず閑散としていた。
気をとりなおして、島を反対側に廻る道を行くことにした。そして、木陰でオートバイを止めて一休みすると近くの林の樹冠から二本のツル先が飛び出ているのが目に入った。「むっ・・・もしかして」近づいていくと羽状複葉の葉が見え、枯れて丸まった莢が着いていた。
「あるじゃない、こんな所に」まさしくE,reticulata だった。
花にはハナムグリも来ていた。

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この島には高木の茂る地域もわずかにあって、そこにはE,rheedii も自生していた。林床に種子をさがしたがひとつも無かった。島の人が拾ってしまったのだろう。

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船の迎えの時間になったので船着場に戻った。船を待つ間木陰で、「こんな島のリゾートロッジに人が来るのだろうか」と考えた。砂浜は牛の放牧場だし、午後になったら砂は陽に焼けて熱い。メコンの水で水浴するのだろうか。島は半日あれば自転車かオートバイで巡れる。観光地など何も無い。
そんなことを考えていると一人の青年がやって来た。手にはバケツを持っている。暇だったので「何をするの」と聞いてみた。畑の柵を直すらしい。しかし、いっこうに作業はせず携帯をかけていた。私がタバコを吸っているのを見て、一本くれないかというのであげた。しばらくして、彼は村の方へ帰って行った。おそらくこれで誤解は解けただろう。いや、誤解というより自分たちの思い込みだったことが・・・、やがて、迎えの船が来た。


# by modama | 2015-06-18 12:41 | Comments(2)
2015年 06月 17日

モダマを追って旅するアジア8-3,ルアンパパーン

ルアンパパーンは過去何回か訪れている。しかし、拠点として通過することが多く森に入ることは無かった。一度はガイドに「滝に行かないか」と誘われ、「私はマップァーを見たい」(ラオス語でモダマの事)と言ったところ、ガイドは「マップァーなら沢山あるよ」と言っていた。
滝のそばにもあるらしいが、ガイドはすでに数名の予約をとっていて団体行動になると言うのでやめた。他の人に迷惑をかけたくないからだ。
今回は、Huay xai から船で入り、その後、Nong khiaw,Muang ngoi,Bamna と行く予定だったが、日程上難しくルアンパパーン周辺を調べることにした。宿の関係者に聞いたら「ある所、知っているョ」というので「是非、連れて行って」と頼んだところ「明日、息子が4時に帰るのでオートバイで連れて行く」との約束を得た。
翌朝、4時までには時間があるのでレンタバイクを借りて、自分で南の山へ行ってみることにした。街中をぬけ、山の麓に差し掛かった頃、小さな谷があって小川が流れる日陰があったのでオートバイを止めて休憩した。「この辺ならモダマがありそうだナ」と考えていたら、竹で組んだ門から子供が二人出てきた。

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子供たちにモダマを見せて「この辺にマップァーのあるとこ知らない」と聞いて「マップァー、マップァー」と強調した。子供も「マップァー」と口にしたので、「これは知っているな」と理解し、周囲を指差し「この辺にあるか」と聞いた。二人の子供は「ある」という態度を示した。それからは「おじさんをそこに連れて行ってくれ」・・・と言っても言葉は通じないので「ルー大柴」のように日本語と英語のチャンポンで頼んだ。そんな騒ぎを聞きつけたのか、中からカアチャンらしい女性が出てきて「何だ、何だ・・・」という状態に。
「モダマを探している」ということまでは理解してもらえたらしく、カアチャンはオートバイを指差して中へ入れろという仕種をする。いよいよ本格的な交渉だなっと「ルー大柴」は張り切る。
なんだかんだお互いが言葉を発している中でカアチャンの口から「マネー」と言う言葉が聞き取れた。ようするに「案内すれば報酬をくれるか」という内容なのだろう。「イエス、イエス、もちろん、払いますョ。ペイね、私、あなたにペイします」(もう完全にルー大柴状態)
(そうだ、言葉だけでは実感が無いから)幾らかの小銭をカアチャンに渡し「山に行って帰ってきたら、また、払います」と告げた。
私はモダマを買いに来たわけではないが、私のために時間を割いてくれ労をおしまないのなら、当然、感謝の気持ちとして謝礼は払うつもりである。カアチャンは何となく理解したらしく、傍らでもくもくと枯れ木を鉈で切って蒔きを作っている父ちゃんに声を掛ける。寡黙な父ちゃんは作業の手を止め「しかたない、んっじぁ、行くか」と言ったようだ。年上の子供が涼み台に架けてあった肩掛け袋を持つと先頭になって山へ向かった。高床式の自宅横を通り過ぎるともう一軒の家があり、年とったご婦人が二人休んでいた。父ちゃんが通り過ぎる時、声を掛けたので、私も会釈をした。
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少年は相変わらず先頭に立って進んでいく。ここは集落を作らず、二軒だけが山の中にある。
斜面を大分登った所で視界が開け、谷の下に県道と一軒の別の家が見えた。開けた斜面は、以前、バインを植えていたようで苗が所々残っている。
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それからまた森の中を登る。その辺りから私は追いつけなくなり息があらくなる。「ま、待ってくれ」と声をかけようとした時、斜面の上の方で呼びかける声が聞こえた。自生地に着いたようだ。

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息切れ切れでたどりつくと少年はすでに沢山の種子を拾っていて、肩掛け袋からあけてくれる。父ちゃんも「ほれ、いくらでもあるだろ」と言わんばかりに拾ってくる。みるみるモダマ種子の山ができる。「も、もう、いいです」「こんなに沢山持って帰れない」それでも少年はキャッキャと森の中を探し回る。「お~い、種子はもういいから、あの葉っぱを採ってくれないか」父ちゃん、しばらく頭上を見上げてから、傍らの木を登りはじめる。
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そしてツルに手が掛かると引きずり降ろす。「少しでいいからネ」鉈でバサリとツルを切る。「OK,OK,記念写真撮ろう」パチリ。以心伝心
子供と父ちゃんと森の中にいるとすべて言葉がスムーズに通じる。

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楽しかった。十分満足だと示して、帰ろうと即した。また、少年が先頭になって山を降りた。
家の前ではカアチャンともう一人の子供が待っていた。涼み台で休めというのでリックを降ろし一休みした。父ちゃんに二枚の紙幣を渡し感謝の言葉を添えた。父ちゃん握り締めた紙幣を見て、目が点になっていた。紙幣の一枚を示して「子供たちに何か買ってやってくれ」と伝えた。分かったと言っているようだった。カアチャンが家の部屋からノートを持ってきて、それに挟まっていた一枚の紙を見せた。丸坊主の少年(?)の写真が貼ってあり、割り印が押されていた。記載の下にはまた印が押されていたので公文書らしい。丸坊主の少年の写真を指差して父ちゃんを指差した。「本人だ」と言っているようだ。今の父ちゃんも若く見えるが、何かの証明書の写真はすごく若い。私には、何でカアチャンがこんなものを持ち出してきたのか分からない。後で調べられるかも知れないと思い「写真撮ってもいいか」と聞いたらいいと言う。A4ぐらいの大きさがあって身分証明証にしては、紙が薄い。土地の所有権を示す証書だろうか。何で見せてくれたのか分からない。もし、何かトラブルがあった時、この人から買ったと言えという意味なのだろうか。

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みなさん、どうもありがとう。

それから宿に帰り、中庭でモダマ種子を洗った。容器の中で4個の種子が浮いたが、それらは表皮に皺がよったり虫喰いのあるもので中の
子葉が腐食しているものと思われる。結果、100パーセント近く沈むと判断した。種はE,rheedii である。この同じ種の種子がカンボジアまで南下すると逆に100パーセント近く浮くようになる。今回もこの変化をどう解釈するか手がかりを得るためタイ北部の山岳地帯からメコンを下る旅をしている訳である。

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洗ったモダマを乾かすために宿の調理場からバーギ(平笊)を借りたら「あら、沢山のマップァー」と驚いていた。
空調の利いた部屋で少し昼寝して目覚めたら4時近くになっていた。ロビーに行くと息子さんが帰っていててソファーで横になっていた。
「行こう」と声をかけて、二人してオートバイで出かけた。今度の場所は町の東側になる。サンプルは広範囲で集めたほうが良い。


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息子さんは出かける前にモダマが自生する土地の所有者に携帯で連絡をとっておいてくれた。その土地の人から鉈を借りて藪を払った。

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ルアンパパーンは美しい街だ。今度はのんびりと過ごしたい。なんだか以前も同じようなことを書いた気がする。
お世話になったみなさん、ありがとう。



# by modama | 2015-06-17 10:52 | Comments(2)
2015年 06月 14日

モダマを追って旅するアジア8-2,ラオス



Dr,T さんとMさんとチェンマイの北方面行きバスターミナル近くの安宿前で別れて、いつもの一人旅になった。
チェックインしてからまずはバスターミナルへ行って、翌日乗るChiang khong行きバスの時刻と発車場所を確認した。
明日はメコン河を渡ってラオスのHouay xayに入る。ここは数年前まで渡船でわたっていたが、近くに橋が架かりこちらが利用されているらしい。
次に、Wiang pa pao で採集したモダマの葉をスキャンするため、コピーサービスの店を探した。日本ではコンビニへ行けば何処にでもあるが、東南アジアの街では専門の業種になっている。官庁街や大学の近くに多い。幸い近くに数件並んであった。
葉はすでに柄からはずれていた。それでもA4でコピーしておくと葉の形とサイズが分かる。
モダマ自生地の山から下りると、決まってする作業だ。植物標本を作って管理する手間が省ける。

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朝、バスに乗って午後Chiang khong に着くまでの間、ずっと外の景色を眺めモダマを探した。
三箇所で確認したが、すべてストレートタイプの莢だった。
ラオスからタイ北部にかけてE,rheedii とE,rheedii sinohimalensis の分布境界があるはずで、それを探しているが難しい。
そのために花を見たいと望んでいたが、残念ながら花期ではなかった。
以前、ラオスのバンナでブンニャン先生に聞いたら「5月だ」と言っていた。それで今回、タイ北部の山中に滞在したが、花はみられなかった。
年、年の気候や地域などで花期も変化するのだろう。

Chiang khong の街近くにバスが差し掛かると、真新しいバス停で多くの人が降りた。
先ほど見た標識では街まで6kmと表示されていた。どうしようかと戸惑っていると、荷物庫から私のリックが降ろされているのが窓から見えた。
バスから降りて、聞いてみるとラオスへ行く人はここで降りるとのことだった。
数台のトゥクトゥクが待機しているので、ここから乗り換えて出国審査を受けるのだろう。

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出国手続きの窓口でスタンプを押してもらい国境へ出る。
そこにはシャトルバスの乗り場があって、ここからバスに乗ってメコンに架かる橋を渡ってラオス入国の手続きをする。
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ラオス側でも同じようにトゥクトゥクが待っていて、Houay xay の街に向かう。
当然のようにその間は、当初のバスのメンバーと同じになる。
地元の人、訪米人、私、それに英語を話す中国人、彼らは女性一人、男性三人の若者グループで終始大きな声で周囲をはばかることなく
英語で喋っていた。中国以外の外国で育った世代のようで中国語は一度もは話さなかった。
出入国審査を通るのも一番最後、バスにもトゥクトゥクに乗るのも最後だった。
街へ向かうトゥクトゥクでも最後に乗り込んだので一番後ろの座席になってクループどうしで喋りつづけていた。
旅の途中では席が隣り合わせになった時、挨拶がわりに「何処からきたの」などと言葉を交わすことが度々だか、まったくメンバー同士以外コミニュケーションをとらない。
そのうち中国人の一人がスマホを車外に落としてしまった。仲間が大声をだし欧米人が車体を叩いて運転手に停車をうながした。
しばらくしてから運転手が気づいて車は止まった。
スマホの持ち主は舌打ちしながら下車して道路を歩いて行った。200mぐらいの距離があったろうか。スマホを拾い上げた若者は立ち止まってしきりにスマホの様子を気にしている。仲間が大声で呼びかけているが答えない。やがて歩いて戻って来た若者はずっとスマホの状態をチェックしている。仲間も心配して覗き込んでいるが、彼のミスで車を停止させたことにはいっこうに無関心で、乗客や運転手には一言も詫びる気配が無い。私にはこの若者グループの精神がまったく理解できなかった。確かに自分のスマホは大事だろう、しかし、彼のミスで公共の乗り物を長らくストップさせ、乗客や運転手を待たせたのだ。何か一言ぐらい言葉が欲しい。旅に出るといろいろな人と出会う。

宿を確保して荷物を置いてから街のなかを歩いた。かつての渡し場は今も盛況で多くの地元民の行き来があった。イミグレも残っている。
ラオス国籍の人たちは、もっぱら街に近いこちらを利用しているようだ。
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明日は、ここからボートに乗って二日間のメコン下りになる。

朝、宿にボート会社のトゥクトゥクが迎えに来て、チケット販売の店に寄った。その時数名の欧米人女性と一緒だったがうち一人が
素足だった。船着場へ降りる時も一緒だったので「足が痛くないか」と聞くと「気持ちいい」と言っていた。彼女とは席が隣同士だったが
私は席に座らず操舵席の横で写真を撮った。今回メコンの船旅を選んだのは岸辺の植生を観察したかったからだ。水散布は海流散布の基礎
であるから、風景を眺めながらモダマの有無を確かめたかった。海には一日に二度の干満があり、それが月によってさらに変化する。それが種子漂着地の条件であり環境である。川の水位にも日々不規則ながら変化があり、年の乾季と雨季には大きな変化がある。したがって
河川岸辺の植生は水位によって影響を受ける。現在は乾季の終わり、雨季の始まりであるから水位は低い。今回の行程の河岸では8~10m
程の水位差があるようだった。そこは言わばニッチであり、一年草の植物は進出したり喪失したりを繰り返す。不安定ではあるが、一時的
なスペースが提供される。そして上部にいくにしたがって定着の可能性は増す。と言ってもそれも不安定きわまりない場所なのだが。
モダマのように発芽に長い時間を要し、次世代を繋ぐ結実まで10年近くを要する植物にとっては、定着は容易ではないだろう。それは海浜の汽水域においても同様である。そんなことを二日間の船旅で景色を見ながら考えたいと思っている。
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ボートにはそれぞれの客が乗り込み出航のはこびとなった。

船は川下へと舳先を向ける。ゆったりとしたメコンの流れに乗る。360度川から人々の暮らしと自然の風景に包まれる。川で生活の一部
を支える人の暮らしもある。陸上からの眺めとは異なる。川は国境の一部でもある。二つの世界の狭間を行く。
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次々と景色が変わり、村が垣間見られ、そして過ぎて行く。

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私は船から岸辺の植生に見入る。光の良く当たる川に面した側の木々は精一杯枝を伸ばし、さらに別のつる性植物が競い合うように光をもとめて樹冠をマント状に覆う。木々を覆ったツルはさらに光を求めて伸びようとするが、早く、高く、幹に資源を使わず伸びることだけに
戦術転換したつる性植物は他の木の支えを失って虚しくも垂れ下がる。それも陸側ではなく次世代を繋ぐ種子が落ちれば再び流れて行く
川側にだ。生き物はあらゆるチャンスに臨み、その多くを無駄として、しかし、一部の可能性にかけていつもチャレンジしている。
結果は時と偶然が決める。

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この森を山で暮らす人々が生活の場に替えようと切る。もともとは森も山の人々の生活の場であった。しかし、定住と豊かさを求め
畑を作りはじめた。これまでの森の恵みを採取する暮らしから、それ以外の作物を栽培することに挑戦した。山にはそれらの歴史が刻まれている。

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しかし、人と自然のそんな歴史は、つい最近のことにすぎない。川の成り立ちや植生の成り立ちからすれば数秒の過去のようなものだ。
ただ、この数秒の出来事が今、地球を大きく変えようとしている。多くの自然を失わせている。できることなら今あるものから、少しでも過去からの推移を知りたいと望む。刻々と変化するなかでもがく。大陸の広大な平野部は、今、ほとんどが田畑に変わり、人々の暮らす都市へと変貌した。カンボジアの台地は地平線の果てまで耕作地に変えられている。この一本の川の流れに沿って見ていくと人の営みの凄さが分かる。
台地は水と太陽と時間が変化を作りだしてきた。特に雨による開析が大きな働きをもった。水溜りが流れ小川となり、やがて川となった。
台地の隆起は高低差を生み、さらに深い谷を作り、流れを替えた。侵食と流出が地形を変えた。山地の渓谷と平野は大河の流によって
作られた。それらの地形を覆う植生も地形の変化と共に分布を拡散したり、多様化を生み出し、変遷した。

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船上から眺める景色にはモダマのようなツル性の植物が多々ある。しかし、モダマと確信できたものは無かった。チェンマイからChiang kong までのバスの旅では三箇所でモダマの莢が見られた。だが、大河の畔では二日間かけて決定できる個体は無かった。それは、莢の時期ではなかっただけのことだろうか。いつか、自由のきく小船で各岸を巡り確認調査をしたいものだ。

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海岸と同じように谷間の地形も刻々と変化している。ただ、一度深く刻み込まれた谷間は大きく変化することは無く、台地の隆起に影響されより深まっていく。侵食は激しさを増し、時に流れの変化で体積した土や砂も再び下流へ運び去る。

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メコン下流域の広大な平地の源はこうした谷間の侵食がもたらしたものだ。土砂と共に植物も運ばれる。もちろん種子も運ばれることだろう。水に浮く種子もあれば、沈む種子もある。しかし、自然はそれらを選ばす、時には確率などという法則も無視し、偶然という処置を課すこともある。沈む種子も流れる。時には岸辺に打ち上げられる。自然はいくえを予測することは難しく、結果だけを私たちの前に見せる。そんな気まぐれ者だ。

船旅も長くなると人々は退屈し、辺りの景色も見なくなる。ある者は酒を飲み、ある者はゲームに興じる。そんな人々の姿を見るのも楽しい。私の隣に座っていた裸足の女性には、私が席をはずしている間にもうひとつ隣の席の男性が言い寄っていた。はじめ「あのチャイニーズと旅をしているのか」と女性に声を掛けるのが操舵席横に居る私に聞こえた。やがて私の席に移動し話し込んでいた。私が席の前に置いてある荷物の中から別のカメラを取りに行ったときには、男性が席を空けたので「いいよ、かまわないよ」と席を譲った。
長い船旅の間、私はタバコを吸うため時々船尾の部屋へでかけた。エンジンルームの奥の艫のスペースは、船長家族の部屋でもある。数人が寝れる居間と押入れがあって、最後尾は炊事場になっている。食器類と竈がある。竈にはおき火が残っていて、彼らが航行の行き先で宿泊していることが分かる。奥さんが売店の売り子をしており、息子が操舵助手を勤めている。ときどき操舵を任され、父親の指示で舵輪を操っていた。このようにして親から子へとメコン河の地形や航路を身に着けていくのだろう。
売店の奥さんに断わって艫の部屋でタバコを吸っていると裸足の女性がやってきた。彼女はポシェットからペーパーを取り出し、巧みに草の葉を巻き込んだ。辺りにマリファナの香りが漂った。


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船内の中央には欧米人たちのグループが居て、両側の席から通路を挟んでトランプをしている。床に座って観戦する者も居る。そこを時々
トイレに行く人たちが通る。欧米の中年ご婦人は、そんな若者たちに笑顔を交わしながら床の上のトランプを跨いで通る。ラオスのご婦人は、姿勢を低くしてシン(巻きスカート)の裾を左手で掴み、右掌を立てて前に出し、床のトランプを回りこんで通る。その姿勢は日本人にそっくりだった。おもわずアジア人の身のこなしを確認した。

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岸辺の景色は刻々と変わっていく。やがて、船がエンジンの出力を弱め岸に近づいた。下船する人がいるらしい。桟橋も無い砂利場に船は横付けされた。

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荷物と家族が降りると船は再び岸を離れた。迎えに来た人々が船を見送った。


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河は人々の道でもある。河に沿って山の中に村が点在する。その村々は細い踏み分け道で繋がれているが、車の通れるような道はまだ無い。こうやって肥料袋に幾つかの物資を買出しに船で街へ出る。当然、行く時には何らかの生産物を売りに行くのだろう。ここでも家族が暮らしをたてている。
夕暮れ近くなると川辺に人々の姿が見られるようになる。一日の仕事を終え、水浴しに来るのだ。焼畑の山の斜面から降りて来た人もいるのだろう。これから夕餉の支度にとりかかる人もいるのだろう。男女みんなが水辺に集う。


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一日目の航行も終わりに近づいた。Pakbenの集落が見えて来た。真新しい宿泊施設が建設中である。この集落はこれまでの川岸の集落と
違ってOudomsay へ通じる車道がある。逆に言えばOudomsay から車で来て、メコン河へ突き当たる場所である。この先に道は無く、河の道に変わるT字路である。


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船着場には、宿泊施設の関係者などが迎えに来ていた。
乗船客が浮き桟橋に降りて船倉から自分の荷が出てくるのを待つ間、宿の関係者が客引きをする。そしてめいめい村の宿に宿泊する。
そんな混雑の中、一人の男が「ビックレインが来るゾ」と叫んだ。南西の空を見上げると黒く覆われていた。私は自分の荷を担いで宿に
向かった。途中、雨がふりはじめた。私が宿に間も無く着く時、一台のトラックが客を乗せて追い抜いて行った。
宿の中庭では、部屋の鍵が客に配られていた。「予約なしだが部屋はあるか」と係りの男に聞いた。男は「あるよ」といって並べられた沢山の鍵の中からひとつをとりだし案内してくれた。川べりの棟で木の階段を登ると暗い廊下があって、重厚なドアが並んでいる。そのひとつのドアを開け、「この部屋はどうか」と聞く。厚い材の板壁は、板と板の間に隙間がある。内装無しで柱がむき出しになっていた。ベットの上には蚊帳が吊ってあったので、壁板の隙間は気にならない。灰皿があったので「この部屋はタバコを吸ってもいいのか」と聞くと、
男は「かまわないよ。マリファナもいいョ」と何気なく言い「欲しいなら後で持ってきたやるョ」と気軽に付け加えた。断わると男はシャワー室の電気のスイッチなどを説明して出ていった。外では土砂降りの雨が下のレストランのトタン屋根を激しく打った。

翌朝、雨は止んでいた。ここでモダマを探してもう一泊するか考えた。しかし、昨夜、レストランで夕食をとっている時、係りの男にモダマのことを聞いたら「向こう岸の村にあるかも知れない」といった曖昧な答えだった。昨日は雨の中を夕方到着したのでまだこの村の周辺の景色をよく見ていない。それで、早朝の村を歩いて景色を眺めて決めることにした。
一本のメイン道路の両脇に宿とレストラン、売店などが並んでいて坂を上っていった辺りに生活物資を売る店と市があった。市を一回りして生活ぶりを垣間見ることにした。


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市をひととおり見てから村の外れの小道を歩いてみた。モダマの自生するような森は離れているように思われた。それに村にはレンタバイクが無さそうで、車つきでガイドを雇うほどの期待感もない。この村はパスしよう。
宿に帰って荷物をまとめチェックアウトした。船着場へ向かうと昨日とおなじメンバーたちも集まっていた。今度の船の席は前方向きに二人かけする椅子が中央の通路を挟んで左右にあるタイプだった。周囲がみな白人達になった。隣の男性若者はフランス語を話していて四名のグループ、斜め後は北欧人の女性二人組、前には英語を話すグループだった。隣のフランス人が「何処からきたの」と話しかけてきた。日本からと答えると「日本には友人がいます。先日、友達の結婚式で日本へ行きました」と流暢な日本語で答えた。しばらく会話を楽しんだが、他三名との会話に戻っていった。前の英語族のグループが早くからビールを飲み陽気になっていた。うち一人は話し方が井上陽水そっくりで面長の顔にサングラス・・・いや、陽水が外人ぽっいのかな・・・。
やがて二人かけの椅子を向かい合わせにしてトランプに興じはじめた。その口調が隠語かなにかで分からないのだが、聞いていて楽しい。
やがて男女でヘソを見せ合い「お前のヘソは〇〇」とか言って笑い合っていた。実に楽しいグループだ。
そのうち周辺の皆が一瞬黙り、鼻に神経を集中した「匂う」と顔を見合わせていた。前方の席から昨日の裸足の女性が男に付き添われて後部の艫の部屋へ向かった。彼女は昨日から、いや、それ以前からずっと別の世界を旅しているようだった。

船外では焼畑の景色が多くなった。ラオスの第二の都市ルアンパパーンに近づいたからだろう。


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やがて船が岸辺に寄ると集落から石段を乗船客が降りて来た。この辺りからは乗る客に代わる。


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昨日よりも集落は大きくなり、船着場が施設されている。街へ買い物や出稼ぎに出る人が多いのだろう。停泊している船も多数あり経済活動が盛んであることが伺える。

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船が出港すると河川敷で見送る子供たちの姿が見えた。この辺りはまだ学校が無いのだろうか。みんな小学生ほどの年頃だった。

二日間の船旅の間、眺めた風景も少しずつではあるが変わってくる。河川敷の広がりが増え、盆地(ルアンパパーン)に近づいた気配がする。
風景に人の姿がめだち、生活圏の広がりが感じられる。


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川岸に切り立った石灰岩の崖が望まれた。アジア大陸には中国貴州、雲南、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマー、ネパールにかけて石灰岩地帯が点在する。太古の昔海だった地質だが、大陸内陸部に露頭する。植物の歴史からすれば遥か以前の堆積だが、海底で生成された地層が現在地上にあり、場所によっては高い山を形成していることは、長い時間をかけて隆起したことが伺える。その地層が今、地上にあって侵食や溶蝕を受けるにはめくるめく時の流れを物語たっている。そして、その地形を覆う植生は、地形の変化を受けて拡散や多様性を生み出したに違いない。台地の隆起や造山運動は地形の複雑化のみならず生命の多様化を図った。写真は鍾乳洞に仏像が奉られた場所。


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河川は広がり船旅の終着地ルアンパパーンが近づいた。


# by modama | 2015-06-14 12:52 | Comments(2)
2015年 06月 12日

モダマを追って旅するアジア8-1,タイ、ラオス、カンボジア


四季のある温帯の気候では花の咲く時期がほぼ決まっている。
春の花の代表ともいえる桜では、3~4、それに5月にかけて開花前線が南から北へ移動する。

ところが、同じ桜でもネパールでは、年に二度開花するとネパール在住の人から聞いたことがある。

今回のモダマを追う旅は、タイ、ラオス、カンボジアの旅であった。
それも、できるなら花を見てみたいという目論見があった。
ことのはじまりは、古くからの知人であるDr,Tさんが昆虫採集に出かけた先で拾ったモダマ種子と写真の情報にある。
チェンマイとチェンライの県境の標高1200m程の地点に自生地があって、そこのモダマ莢は螺旋状をしていた。
この螺旋状莢の情報は、それ以前に石神さんからも得ていた。しかし、はっきりした自生地の情報が無かった。
また、私自身も中国のシーサーバンナやラオスのムアンゴイで螺旋状の莢は見ている。
いろいろな情報を繋ぎあわせると、莢の螺旋状はストレートの莢と隣接して飛び飛びに見られるようだ。
げんにDr,Tさんが昨年送ってくれたチェンマイ・チンダオの莢はストレートだったし、今回の旅でご一緒させていただいた
M氏が、その後行かれた採集地でのモダマ情報でもストレート状莢だったとのことだ。

これまで得られた資料は種子と莢の写真だけだったので、是非とも花と葉も見たかった。

そこで、Dr,T氏とM氏が当地へ昆虫採集に行かれるという話しを聞き、私も加えてほしいと嘆願した次第である。

両氏と合流したのは、チェンマイの街中にあるアパートで、某先生が研究の拠点にしているらしい。
普通乗用車に三人(現地運転手一人)の旅であるから楽勝と思いきや、資材が多く超満員だった。
お二人には思わぬご迷惑をおかけした。すみませんでした。
いざ出発。

ここまで張る写真が無いので、「モダマを追って旅するアジア」のこれまで行った先をまとめて地図にしたので載せておこう。
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今回の旅の行程は、タイ・チェンマイにて両氏と合流、Wiang pa pao にある山村に4日滞在、チェンマイに戻って両氏と別れる。
私はタイ・ラオス国境の街Chiang khong へ向かう。ラオスのHuay xai からボートに乗ってメコン河を下る二日間の船旅、途中、
Pakbeng で一泊、翌日Luangphrabang へ。周辺の山でモダマを探す。Luangphrabang からPakse へ飛ぶ予定が飛行機が無く、
予定を変更してVientiane まで飛ぶ、ここからもPakse への飛行機がとれず、再び予定変更してタイに入国、タイではKhon kaen,
Udon ratchathani,とバスを乗り継いでその日のうちにKhong chiam へ行き宿泊、二泊して再びラオスへ入国するがPakse へは
寄らず、そのまま国境から目的地のチャンパーサックへオートバイで行く。チャンパーサックではメコン河の島などに渡り三泊する。
チャンパーサックで購入したパクセ~プノンペンのインターナショナルバスチケットでカンボジアに向かう。これがとんだアクシデント
を招く。それでもラオス・カンボジアの国境を通過して夜にはプノンペンへ到着。プノンペンではメコンのダック島へ渡り奇跡の
再会をはたし、Kampong spueuでE,glandulosa の自生地で花を撮影する。プノンペンからバンコクへ、そして台北、沖縄、石垣島へと
帰還する。

今回は、当初の目的のE,rheedii (?) 莢が螺旋状の個体の花は見れなかったが、E,glandulosa とE,reticulata の新しい自生地と花を見ることができた。暑く、熱くきつい旅だったが、多くの成果を得た。
旅の途中でお世話になった方々に感謝、感謝。

三人の乗った車がチェンライ方面へ向かってしばらくすると国道を左折してはじめの山の村に着いた。
ここから先は普通乗用車では走れず、案内人のSさんが四輪ピックアップで迎えに来た。

彼の村は、十数件の民家と小さな製茶工場、学校、集会場からなっている。
以前、Dr,Tさんたちは、彼の家に泊めていただいたと話には聞いている。
村に着くとSさんは「家に行くか、山に行くか」と聞く。
来るなり山へ行くのも大変なので、躊躇していると、車はSさんの家の前を過ぎた道で止まった。
彼は山の斜面を指差し「山がいいか」と聞く、といっても彼は英語が話せないので、そお言っているらしい。
山の斜面を見ると小屋が建っている。「あそこに泊まるかと言っているらしい」
とにかく行ってみることにする。
斜面を登っていくと途中、中年のご婦人が斜面を掘り起こして階段を作っていた。
どうやらこの日のために小屋を作ったらしい。
電気、水道、シャワーも完備されていた。
もちろん、この小屋に泊まることになった。
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小屋から眺める村の風景もすばらしい。
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その日の夜から夜間採集がはじまった。
うひゃ~、すげ~、虫の集まり方がはんばじゃない。
私も虫採りのお手伝い。
「うわぁ~、カブトムシだ。これ採る?」「・・・いらない」
「クワガタも来た、これ採る?」「・・・いらない」
「カナブンは・・・」「・・・いらない」
「何だ、なんた。こんなに虫が来ているのに・・・」
Dr,Tさんは、黒くて小さくてマイナーな虫ばかりを採っている。一方、Mさんはカミキリムシばかしだ。
それも「これは、もういらない」とか言ってポイと捨てる。
とにかく蛾がすごい、ばさばさと音をたてて飛んでくる。
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翌朝になっても蛾は沢山白布に止まっていた。
こんな綺麗な蛾も着ていた。こんな蛾の繭から糸を作りたいナ~。
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翌日の日中はモダマの自生する山へ連れて行ってもらった。
Sさんが運転するピックアップの座席に両名が座り、私は後部の荷台に乗った。
地形や植生を見るためだ。
村を出て、小さな稜線を超え、くだりにさしかがった時、右手にモダマがあったので、運転席の屋根を叩いて車を止めてもらった。
「サブァーがあるゾ」タイでは、モダマのことを「サブァー」と呼ぶ。
Sさん「こんな所にもあったのか~」彼が案内してくれようとした場所ではないようだ。
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それにしても高いところに莢がある。
ちょうほうなのは、虫屋さんが同行していることだ。長い竿とネットがある。
幾つか莢のサンプルを採る。
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次に、彼らが昨年種子を採って送ってくれた場所へ行く。
ちなみに、はじめにモダマを見つけた場所が「サブァー1(ワン)」その次が「サブァー2(ツゥー)」と呼ぶようになった。
山の中の場所を説明するには、こんな風に何かがある場所とみんなで記憶すると分かり易い。
サブァー2へ行く道では、電信柱を設置する工事が行われていて周辺の森の木が切られている。
(と言うことは、この先の村では今だ電気が無いのだ)
昆虫採集には、枯れ木があるので最適な場所だ。とくにカミキリムシには・・・。
ここにはモダマの他にMucuna もあって、ちょうど莢が裂開しているところだった。
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この地点でめいめいが別れる時、「虫を見つけたら採っておいてネ」と長竿のネットを渡されたので、それで莢をゆすると種子が
沢山採れた。林床に落ちた種子はほとんどが虫に食われているので、サンプル採りには最適である。

そんなわけで、この日は片目はモダマ探し、もう片目は虫探しで森を歩いた。
結果、開花期にはあたらず残念であったが、葉を見ることが出来DNAのサンプルが得られた。
小屋に帰ってから採取した螺旋状の莢を撮影した。
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モダマ莢の枠を外枠と内枠に沿って計測した。92cm:44,5cmだった。
でも何かおかしい、外枠と内枠の長さ、太さ、成長速度で莢が螺旋状になるのだろうけど・・・

その疑問をもやもやと頭の中にいだきつつ、旅を続けたわけだが、
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カンボジア・プノンペンの日本居酒屋でビールを飲みながら
枝豆を食べていて「ふっ」と思いついた。
やっぱりおかしい!!
さて、何がおかしいのでしょう。それは宿題にします。分かった人は手を挙げて。

翌日は、Sさんが別の場所へ案内してくれた。
(以下、昨日の文書を少し書き直します)そこでは、モダマの成果は少なかったが昨年ボルネオで実と種子を確認したHodgsoniaの仲間 を
採取した。ボルネオのものとは種子の形態がかなり異なり、与那国島に漂着した種子の方がボルネオ産に似ていた。アジアに分布する
この属の分布を調べるとボルネオ産はH,macrocarpa で、タイ北部に分布するものはH,heteroclita らしい。



c0023181_11015977.jpgご覧のように種子の甲が明らかに高い。


案内人のSさんはかなり気をつかってくれて、
いろいろな場所へ連れて行ってくれた。
もちろん、モダマの自生している場所は限られてい
るので「はずれ」の場合もある。それはそれでよい。
全体像を把握するには必要なことだ。
言葉が通じないのでとにかく一緒に行動してくれて
示してくれることがうれしい。
ところが、中には間違えもある。
「小さいモダマがある」と言うので連れて行ってもらった。ところが、これは誰でもが騙される別種だった。
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さて、こいつにも名前を進呈しておかなくてはいけないだろう。「(新称・モダマダマシ) と・・・。

タイでの報告はこれぐらいにして、みなさんにお土産。

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# by modama | 2015-06-12 09:22 | Comments(4)
2015年 05月 09日

嵐の前の静けさ?

昨夕は、まったくの凪状態で蒸し暑く、梅雨を感じさせた。
一方、台風6号がフィリピンの東にあって、進路を徐々に北へ変え、八重山諸島に接近しつつある。
今年はまだ5月だというのに、6号めの発生とあって台風の多い年だ。

台風自体は毎年のことで、慣れっこなのだが、育てている植物への心配が絶えない。
今、一番悩んでいるのが、2012年に蒔いたベトナムのモダマが成長して成熟葉を出したばかりで、
みすみす風にとばされる前にサンプルを採るべきか、そのまま運を天に任せて成長させるか、である。

このモダマはEntada tonkinensis といって、日本には屋久島、奄美に、台湾では北部に、
それから中国南部とベトナム北部に自生が確認されている。
今、育てているのはベトナム中部の個体で、これまで確認されていた分布域より南に自生するものだ。

台風の接近次第で、標本用枝葉とDNAサンプルを作らなくてはならなくなる。

それに、Entada borneensis は二年目の株だか、5月に入って新芽(ツル)を伸ばしはじめたが、
これは、タイワンキチョウが卵を産み、幼虫が葉を食い荒らしている。
幼虫は見つけ次第退治しているが、標本にするような綺麗な葉がまだ無い。

ここ数日は台風進路とお天気から目を離せない。
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葉は2回羽状複葉、小葉は3対。
現在、葉は5m程の高さにある。





# by modama | 2015-05-09 08:53 | Comments(0)
2015年 05月 02日

タマリンドの実


昨年の6月、花が咲いたタマリンドの木に50個ぐらいの実が成っている。
二月にスリランカへ行く前 「帰ってくるまでに落果しないだろうか」と心配したが、大丈夫だった。
最近、庭に茂った木を切ったりしたので見てみたら、まだ、熟していないようだ。

以前、庭でジャクフルーツの実が40cmぐらいまで成長した。
収穫の時期が分からず、時々、見てはいたが外見からは、経験の少ない私には分からない。
それて、実の匂いに誘われて虫が飛んで来るようになってから収穫した。
ところが、切ってみたらまだ未熟だった。
もともと匂いのきつい実だから、臭覚の敏感な虫には若いうちから匂うのだろう。

そんな失敗談も味わったので、タマリンドが熟すのには気をつかっている。
しかし、まもなくまた家を留守にしなければならない。

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# by modama | 2015-05-02 10:30 | Comments(0)
2015年 04月 26日

蚊帳を染める

毎年、旧暦の3月3日(浜下りの日)近くなるとアカショウビンが戻ってくるが、ことしは浜下りの日よりも一週間ほど早く鳴き声が聞かれた。
それも、明け方ではなく夜中に鳴いていた。
近頃では、毎朝、目覚めの床の中で耳にする。
森からマーニ(クロツグ・ヤシ科植物)の甘い匂いも漂い、初夏の気配を感じる。

先日、通販で麻の蚊帳を見つけ注文した。
蚊を避けるためというより、懐かしさもあって入手した。
子供の頃、朝寝坊していると祖母が「早く起きなさい」と声を掛け、蚊帳の吊り輪をはずした。
顔に麻の感触が被さり、目覚めた。
といっても、すぐに起きれる程の目覚めではなく、しばらくぐずぐすしてから、麻のサラサラした感触を楽しんだ。
起きてからも、布団の上に波打った緑色の繊維の上で水泳の真似などして遊んだ。

また、蚊帳は寝る前に入ると、織り目を通して見える部屋の光景が薄ぼんやりして眠気を誘った。
まるで繭の中に巣篭もりした感じで、穏やかな眠りを導いた。

そんな懐かしさも手伝って購入したのだが、届いたものは麻の生成りで出来ており、少し不満があった。
そこで、自分で染めてみようと思いたったのだ。

竈で福木の枝葉を煮出し染液を取った。
日頃は、糸染をしているが、縫製済みの蚊帳を染めるのは初めてだ。
かなりのカサがある。
大胆に染液に蚊帳を入れ、煮染した。
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それからアルミ媒染して、再び染液へ入れた。
これがやたらと重労働であった。
水洗い後、脱水して部屋の中で干した。
黄色く染まった蚊帳は見た目は良いが、眠りを誘う空間を作らない。
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さらに藍染をした。
その後、幾度か水洗いをして完成。
これで、子供の頃の眠りが蘇るだろうか。
蛹のような眠りにつけるだろうか。

朝、起きてみたら「蛾」になっていた、何てことはないだろうか。
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# by modama | 2015-04-26 09:50 | Comments(2)
2015年 04月 25日

ボルネオ便り3

貝と種子を使ったゲームを書き込んだところ、ボルネオ在住のN氏からメールがきました。
「以前、土産物屋で見たことがある」と言うことで、彼は写真家なので沢山の写真の中から探し出してくれたそうです。
そして、興味深いレポートも書き込んでくれました。
写真を一枚お借りして添付します。
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彼のレポートでは、写真の物は土産物なのでボルネオで作られた物では無いかも知れない。
しかし、私のブログを地元の人である大家さんに見せたところ「Congkak(チョンカッ)」だと言っていたそうです。
ボルネオでも使われているそうです。
彼とのそんなやり取りの中で、私の記憶からもそれらしい遊びが浮かびあがりました。
カンボジアに行った時のことです。
街中に居るときには、市場や人の集まるところで生活ウォッチングをするのですが、
プノンペンの街中に小高い丘があって、その頂に寺があり人々の信仰の対象になっていて多くの市民が集う場所でした。
野生のサルと飼われている象がいて、よく立ち寄る場所でした。
人の集まる場所には、当然のように路上生活者がいて、ここには子供たちだけのグループがいました。
その子供たちが、歩道に石で線を引き、小石を動かしてゲームしている光景を見た覚えがあります。
地べたに座ったそれぞれの子供たちの前には小銭がありましたので、石を使ったゲームの勝敗でお金のやり取りがあったのでしょう。
路上生活をしている子供たちが博打のようなことをしている事実に印象を強く受け、記憶に残っています。

子供たちが路上生活者になったのには、それぞれの事情があるでしょうが、なかには親が博打好きで一家離散した話も聞きます。
そんな子供たちが、また、子供たちのグループで同じことをしている光景を目にして、感慨深い思いでした。





# by modama | 2015-04-25 09:45 | Comments(2)