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石垣島便り

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2007年 05月 09日

貝紫の思い出


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もお、随分昔の話。
奈良東大寺で歴史的に大きな行事があって、その祭事に使用する布を当時大阪芸術大学教授であった
故吉岡常雄先生が復元した。
その仕事にまつわるエピソードをNHKの「日曜美術館」という番組が取材したことがある。
番組制作にあたって、紅露という染材の自生地をロケするので先生が来島した。案内役を私が勤め収録後、先生と自宅で昼食を共にした。その時、島の染材に話が進み、貝紫の材料となるアッキガイ科の貝が多く生息している事を話すと先生はすごく関心を示し、是非、採集してみたいと懇願された。しかし、その時期は潮が合わず日程の都合でとりやめとなった。
先生が帰られてから、しばらくして先生がお書きになった本が送られてきた。「天然染料の研究」という本で、当時の私達には手の出ない高価な本であった。化学的な解説と実践的な事例が詳しく書かれ、後の私達の仕事に随分役立った。
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先生は、その後、民放テレビの番組制作でペルーに貝紫染織旅行に出かけたが、残念なことに当時の石垣島は、NHKの総合と教育の2チャンメルしか受信できず、見ることはなかった。
しばらくして、染織旅行の詳細が雑誌となって発刊され、先生から送られてきた。
まるで装甲車のようなトラックで砂漠を横断し、無人の海岸でキャンプを張り、染織した様子が載っていた。
それが一時、貝紫ブームの火付けとなったように記憶する。
その間、私は一回だけ試し染以外に貝紫を染めたことがある。
その糸は故大城志津子琉球大学教授によって作品に織られた。
僅かな糸量であったが、染めに一年間を費やした。
石垣島と西表島から貝を採集し、こつこつと染め貯めた。
西表島をとりまく3/2のリーフをキャンプ生活をおくりながら巡った。
西表島の西から南にかけての海岸は、道路も人里も無く、干潮の時間帯、リーフを移動したり磯場の岩を越えて、水場を探しキャンプを張った。
食料も大半は現地調達で縄文時代の狩猟採集民のような生活を体験した。
大量の貝を使用する貝紫染は、それ以来、資源保護のためしていない。
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by modama | 2007-05-09 04:49


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